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新婚旅行が熱海

昔は新婚旅行と言えば熱海だったそうですね。今だと 普段の観光でも行きません。廃れる一方です。信じられ ません。下手に熱海に行くより海外のパックツアーの 方が安いくらいです。どうして昔は新婚旅行と言えば 熱海だったんですか?

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  • tmaru1221
  • ベストアンサー率14% (53/368)
回答No.11

その昔、今でいう東海道本線という電車は、御殿場線経由だったそうです。なので、国府津から御殿場を通って沼津で静岡に行くんだったんだそうです。 ということは、熱海まで行くというのは、新幹線はもちろん、電車で行くのはとても面倒だったし、車で行くなんてもってのほか、歩いていくなら箱根の山を越えていくところだったんでしょうね。 そんな困難な時代が新婚旅行時代の熱海だったんじゃないでしょうか?きっと戦後の時代の話だと思うのですが・・・

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その他の回答 (10)

  • munecyan
  • ベストアンサー率10% (150/1421)
回答No.10

一言時代が変わった。 新婚旅行が熱海ということは、めったに乗り物を使った旅行はできなかった。せいぜい、近くの遊園地へ行くのがやっとでした。浅草へ、東京の人でさへ1年に1回行ければいいほうでした。 「日光へいかないで死んではいけない」と言われ、旅行などは、よほどの金持ちが行くという時代が、今は海外が当たり前の新婚旅行の時代です。これだけものが豊かになり、逆に熱海は東京に近すぎて、行く人が少なくなり寂れてきました。東南アジアの人たちが、地方へ行くと首都へ行きたいと思っているのと同じです。舗装道路を歩くのさへめったになく、雨が降ると泥んこになって歩いたのでしょう。 70歳以上の人に話を聞くとよくわかると思います。

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  • KimJongIl
  • ベストアンサー率29% (159/536)
回答No.9

時代は変わりましたなぁ(遠い目

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  • smatsuz
  • ベストアンサー率30% (191/630)
回答No.8

前提条件として、新婚旅行ばかりでなく(国内)旅行自体がまだまだ贅沢な時代背景がありますね。 そして東京から鉄道(汽車)が発達していたのが東海道で、温泉があって、海があって、山があって東京より暖かいなど風光明媚な地域で、移動時間的にも遠すぎず近すぎず、そして尾崎紅葉の金色夜叉へ登場して知名度が上がったなど、様々な好条件が重なって新婚旅行に最適だという話しが広がることにより、実績も重なり「新婚旅行といえば熱海」と言う意識が一般的になったと考察できますね。 私の所からでは電車で15分程度なので新婚旅行はもう少し遠くへ行きたいですね(笑)

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  • cool_c001
  • ベストアンサー率27% (8/29)
回答No.7

日本で海外旅行が解禁されたのは1964年からです。 それ以前は、経済発展のため日本円の持ち出しが厳しく規制されていましたし、一般人の海外旅行も規制されていました。 海外旅行が禁止されていたのだから、国内のリゾートに人気が集中するのは当然でしょう。ましてや、リゾートでの休暇はお金がかかりますから、一生に一度、気兼ねなくお金を使える特別なイベントである新婚旅行で、豪華にのんびりと旅行を楽しんだのだと思います。

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  • yo-shiki
  • ベストアンサー率35% (68/191)
回答No.6

NO1のとおり、海外は無理の場合。 国内旅行となると、結婚式終了後(4時頃ですかね)に新婚旅行に出発すると考えると、東京から三時間前後でいける場所となると新幹線の開通前は、箱根・熱海・伊豆の辺りがになってしまいますよね。  

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  • ban-chan
  • ベストアンサー率36% (421/1140)
回答No.5

昭和30年代の新婚旅行と言ったら“熱海”が定番でした 当時は、経済事情が今とはまるっきり違いますから、熱海といっても気楽に行ける場所ではありませんでしたし、 新幹線もなかった時代、東京から熱海も1時間で行ける場所でもありませんでした。 そして、根本的に違うのが、今みたいに自由に海外に行く事ができない時代だったのです。 日本人が、海外に自由に行けるようになったのは、昭和39年4月からで、それまでは仕事や研究・留学といった目的でしか海外へ出ることが出来なかったので、海外への新婚旅行は“夢の夢”の話しでした。 そして、昭和40年代になり、経済的に余裕が出てくると、新婚旅行のメッカと言えば“宮崎” 当時、一年中温暖な気候の宮崎県では、観光客を増やそうと“新婚旅行は宮崎”のキャンペーンを展開しました。 キャンペーンソングとも言える『フェニックスハネムーン』がヒット事もあり、昭和40年代の新婚旅行は宮崎が定番でした。 『フェニックスハネムーン』については下のURLをどうぞ http://plaza.rakuten.co.jp/bulldog/4001 そして、更に経済的な余裕が生まれ、海外旅行代金も下がってくると、ハワイやグァム さらに、バブル期には豪華、遠くにとオーストラリア、ヨーロッパなどと新婚旅行の行き先で、人気がある所は変化しています。

参考URL:
http://plaza.rakuten.co.jp/bulldog/4001
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  • hiro-2005
  • ベストアンサー率29% (205/705)
回答No.4

二人きりで、のんびり温泉なんてのもいいと思いますが。 海外旅行もツアーも今ほどなかったので、美味しい海の幸が食べられて、湯量豊富、風光明媚(当時としてはそういうイメージ)な熱海が手ごろだったのではないかと思います。 私は、最初夫に新婚旅行はツアーで提案されたので、団体で行くくらいなら、二人きりで熱海のほうがいいとごねました。 結果、フリーでヨーロッパに行けました。

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回答No.3

昔は円レートが固定で、1ドル360円もしました。 そして海外旅行の格安ツアー等ありませんし、相場も、いまとは比べ物がならないくらい高く、 とても庶民が簡単にいけるような代物では無かったのです。 ですので国内旅行の定番、温泉があって風光明媚なところが新婚旅行先として人気があったのでしょう。 今は国内旅行のほうが海外旅行より高いくらいですね。当時結婚された方からは、隔世の感があることでしょう。

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回答No.2

交通事情・世相が全く違います。 新幹線なんてSFの世界。九州から東京までの鈍行が あったんですよ。 汽車の切符を買うのも一苦労。 オンライン化されていなくて、指定席はあそこの駅で 何枚、この駅では何枚の発売と決まっていて、帰省も ままならなかった頃です。 国内線の飛行機は初任給より高い時代。 旅行なんて超贅沢で、新婚旅行という名目がなければ 夫婦で旅行なんてバッシングの好対象でした。 旅館に泊まる時、宿泊客がお米を持参しなければなら ない時代もあったのですよ。 子供を連れて居酒屋なんて行ったらそれこそ大変! 女同士で居酒屋に行ったらもう「水商売の女」。 暇な時に昭和史の、本でも写真集でも見てみて下さい。

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  • silpheed7
  • ベストアンサー率15% (1086/6908)
回答No.1

外国に行くなんてとんでもない時代だったからです。

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