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君が代ってどう思いますか。
君が代ってどう思いますか。 ちなみに私の周りでは儀式などで唱うときはほとんどだれも唱ってなかったし、周りはかなり気まずい雰囲気があったように記憶しています。 また、テレビでアメリカのある大会で君が代が流れたけど、そこにいた日本人は気まずい顔をして突っ立っているだけで、 唱うことすらできなかったです。対照的にそこにいたアメリカ人は誇らしげに唱っていましたが。 ということで今回の質問では 1君が代を自信を持って唱えるか 2君が代を自信を持って唱えない人を見てどう思うか 3君が代を自信を持って唱うべきか 4外国に言って国歌を唱ってよと言われてかつ、周りの人が全員唱ったあとだったりして断れないときどうするか などについて聞きたいです。
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今回は、完全に、一人の私人としての見解です。 君が代については、本屋さんなどへ行くと、驚くほど多くの議論が述べられています。 自信を持つも何も、私は幼少の頃から、この曲を至極当然に大きな声で歌ってきたし、その歌詞の裏の政略だとか、戦争で悪用されたいきさつその他を聞いても、「そういう歴史も背負った歌だったんだなあ」と思っただけです。歌えなくなるようなことなど、全くありません。 一方で、この歌が歌えない人たちの気持ちも、年を重ねるごとにわかってきました。この曲が流れるだけで、人生でのかけがいのないものを失った記憶がよみがえる人たち。曲と共に、とんでもない思想に、いわば「洗脳」させられてきた人たち。いわば、麻原某の、「尊氏のテーマ」を高らかに歌い上げてきた人が、目を覚ましたあとの気持ちのような。 そんな人に、この歌を歌えといっても無理な話であります。 だからこそ、「君が代」の真価は、戦後生まれてきた私たちに委ねられていたのではないかと思います。純粋な歌としては、どうなのか、と。 「尊氏のテーマ」を、宗教と関係ない子たちが、幼少から折あるごとに聞かされてきたとしましょう。子どもは、まずメロディーから入ります。その曲が好きになるかどうかは、まずはその旋律の魅力にかかってきます。私は…その手の歌を好きになるようには、あまり思えません。ましてや歌詞の意味を考えればね。 しかし、君が代は、「いい」のです。 私が幼少の頃、刷り込まれるほど聴かされていた音楽といえば、おそらく、グループサウンズ(年齢がばれます)ですが、(申し訳ないですが)多くの曲は、今聴いても、ちっとも魅力を感じません。もちろん、好みはあります。 何の先入観念も持たずに、その曲を好きになれるかどうか、判断を下すのは、我々以降の世代です。純粋な音楽として。 だから、君が代がつらい世代は、仕方がないと思いますが、曲に直面する前にその知識を伝えてしまって、次の世代の子にまで純粋に接することをさせない、というのは、いかがなものかと思います。私は、10歳のときに、詩に関する話を聞きました。このタイミングで聞かせてくれた、当時の先生に感謝しております。 最後に、君が代の、国歌としての大きな意味付けとして、このメロディーラインをあげておきたい。 日本が鎖国を止め、世界に開かれた国家になろうとしていた明治のはじめ、音楽の世界にも、和洋折衷が出始めました。この旋律は、当時でなければ作れなかったと思うし、日本古来の良い旋律が、西洋の音階と出会って生まれた象徴的な文化です。 …まだまだ述べたいですが、今回はここまで。
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- parts
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1.歌えます 2.どう思うでしょうね。少なくともすばらしいことをしているとは思いませんね。 3.自信がどうかは知りませんけど公の場では歌うべきでしょうね。 4.歌います。 問題は2番目ですよ。 konojiさんがおっしゃるとおりです。 学校教育で、どう教えるか、悪いところだけを教えれば、どんな歌でも悪く感じるでしょうしね。 まあ、好き嫌いもですけど、問題は公の場で他の外国の方が歌われて、自分たちは歌えないというのは情けないですよ。否定するのはかまいませんけど、メリハリはつけるべきですね。 嫌だから、今にそぐわないからただ歌わないならず~っと変わりませんよ。 それに感じも悪いでしょうし歌わなくていい結果が出るとも思いませんよ。 もし変えたいなら、歌う場では歌い、変えたいなら他の方法で行動を起こすべきだと思いますけどね。私には、歌わない人は背景などを考えたとしても、良い行動をとっているように見えませんね。
お礼
ありがとうございます。 君が代に対してうやむやな立場をとり続けて来た人は、 4のような状況でかなり困るのではないかと思われます。 私のような人ですが^^; 賛否のけじめをつける必要性を個人的にも感じます。
- microvoltage
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1 はい歌えます。 2 「歌えない」のでは無くて「歌いたくない」もしくは「歌う気がしない」のでは無いかと思います。 3 必要無いと思います。 4 たぶん「君が代」を国歌として歌うと思います。
この質問の回答はかなり意見がわかれると思います。 ・・ 歌詞の意味を承知した上で私自身は抵抗なく歌えます。 (私は天皇崇拝者ではありません) *自信を持って歌うべきか?・・・質問の意図がよくわかりません。 国家の歌い方までアメリカナイズされる必要は無いと思います。 これは,日の丸問題と共によく議論されますが この議論の根本的な原因としては 教育現場における教師側の指導にも問題があると思います。 いわゆる,戦時中の天皇崇拝の名残として扱われますが,表に現れている一面だけを問題化しているように思え,ある意味そのような議論自体に不快感を感じます。 君が代の「君」は確かに天皇のことです。 しかし,それは古事記にある神話の時代をへて現代までつづく日本の歴史そのものです。これを除外して今の日本を語る事は絶対に出来ません。 なぜ,日教組がこれについてこれだけ問題化するのかよく理解できません。 美しい歌だと思います。 又,大声で肩を組ながら歌うような歌ではなく,もっと内面的な物の美しさをもとめた歌詞だと思います。 そういう意味でこの歌には日本の,“わびさび”というものが込められた世界に誇れる国家だと私は思っています。
お礼
ありがとうございます。 たしかに君が代には現代では独特の雰囲気があると思います。 私ももう少し君が代について勉強したいと思います。
回答は年代によって大きく異なるでしょう。 1.歌えます。 2.教育の影響、犠牲者、かわいそう。 3.歌うべきです。 4.下手でも歌うべきです。 戦争によって国家感、価値観が大きく変わり、新憲法のもと、新生日本がスタートしました。しかし、憲法に国旗、国歌の明記がなかったために教育現場で様々な解釈が生まれました。時の文部省は日教組との摩擦や教育現場での混乱を恐れて、明確な方針を示すことが出来ず今日にいたっています。国歌はスポーツで国を代表する歌になり下がっています。世界の国歌で国民投票によって決められたのはほとんどなく、独立時の事情で決められた国歌が歌い継がれているのがほとんどです。従って、中には平和な現代にそぐわない歌詞もありますが、変更されることもなく歌われています。これは学校教育で国の独立に至る歴史を教え、その歴史の中から生まれた国家を大事に、誇りを持って歌うよう教えているからです。 日本の場合、外敵と戦って独立した歴史がなく、明治維新は徳川体制を倒した新政府が国家意識の乏しかった国民に強引に欧米の国家感や制度を押し付けてきました。国が独立した喜びを歌った欧米の国歌を真似て急遽制定したのが現在の国歌なのでもともと国民が感激して歌う国歌ではなかったと思います。第二次大戦に敗れたときが新しい国歌制定のチャンスだったはずですが、当時の政権担当者にも国民にもそのような心の余裕がなかったのだと思います。その後、国歌は長い間、政党や日教組にもてあそばれて来たように思われます。一歩、国を出ると日本の国旗や国歌感がいかに歪められ中途半端に放置されているかがよく分かります。世界の隅にある国ならあまり注目されませんが、第二の経済大国日本が、国民が等しく誇れる国旗も国歌も持たない国だというのは情けなくなります。このような国は、いったん経済力が落ちれば尊敬するに値しない国になるでしょう。
お礼
ありがとうございます。 ご意見参考になります。
お礼
ありがとうございます。 ちなみに私は君が代には国家主義的な雰囲気を感じます。 戦前の歴史から考えるととくにそう思います。 でも周りの人が自信を持って唱っていたら私の考えも代っていたかも知れません。