『型にはめないといけない』 ← これは人間の悲しい性ですよね。
血液型にしろ、星座にしろ、干支にしろ、県民性にしろ・・。
確かに「地域性」「土地柄」「独自の慣習」は存在します。そういった個別の例において、相性は存在するかもしれません。
しかし、それは「人」対「人」であって、「県」などといった曖昧なカテゴリで分けてどうする? ・・っと思うのです。
古代日本ならともかく、移動の容易になった現代ではその垣根も低くなっていますし。
私はこの手のパターン分けは信じません。
というか、信じる根拠がないですよ。
たかが数例で全日本人の組み合わせがそうであると論じるのは空想の領域です。
占いは好きだけどね。
現在の世にあふれている「・・・占い」の類は、何でも強引にパターン分けさえすれば、そこに相性判断が成り立つという、これはもう占いのマニュアルに従っているだけですよ。
信憑性とか関係ないです、たまたま「そうだった」人が信じるだけの事なのですから。
「信憑性があるか」と問われれば「ある」とも「ない」とも言えるでしょう。
なぜなら、膨大な人間の性格をたかだか48通りに単純化・形式化すれば、当たる部分があって当たり前。
そのうえ人間には、情報を都合よく解釈する、取捨選択フィルターを精神に搭載してる訳ですし。
統計的データに基づいたといっても、傾向の単純化は人の複雑な精神活動を無視した、単なる民族的なおしながきにすぎません。
例えば、外国人が「日本人は・・」と言った時、あなたは「そんな単純に考えないで下さい」と抗議するに違いありません。
問題は、その人と付き合う前に、自らの脳内パターンファイルに照らし合わせて、勝手に相手の性格(相性)を判断する人間の行動にあるのではないでしょうか。
これは、芸能人のモノマネでもいえる事で。
よく初対面の人を「芸能人の・・・に似てる」と認識して安心しませんか?
本当は違うのだけど、こうだっというパターンにはめ込み、最初は空想の人格を仮定して、円滑に人間関係をスタートしようとしているのです。
ですから、後で振り返って「そう思える」のと、最初から「・・県人だからな」では意味が異なるのだと思えます。