日大アメフト部の声明書。こんな声明書でいいの?
5月29日の日大アメフト部の声明書を読みました。読んだ時の感想を書きます。このような声明書で、死んでしまった日大アメフト部は再生できるのでしょうか。ご意見をお伺いしたいのです。
指摘したいポイントは3つです。
一つ目のポイント、声明書になっていないこと。
二つ目のポイント、アメフト部員達の主張がないこと。
三一つ目のポイント、アメフト部の将来に望みが持てないこと。
次に、各ポイントについて要点を順番に説明します。
一つ目のポイントの声明書になってないということに関して説明します。辞書によりますと、声明書とは自分の立場、考えをはっきりと人々に告げること、となっています。特に政治、外交上の意見の発表となっています。
この声明書の中では、謝罪の言葉、各機関から問い合わせがあれば正直に話しますと言うこと、大学側の第三者委員会に協力しますと言うこと、現在のあり方を改革しますと言っていること、などで声明書らしいものは見られません。これでは声明書とは言えません。
声明書とは、具体的に自分の立場と自分の責任を明らかにして、その問題をどのようにして解決するかの対策、そしてその対策を実現するための方策やいつまでに達成するか、などが盛られている事が必要です。
繰り返しますが、これは声明書とへ言えるものではありません。このような声明書では、世の中の人たちを納得させる事はできないし、将来とも他の大学と試合をすることができなくなる事は明らかであります。
アメフト部員達の主張がないことについて説明します。
声明書とは、具体的に自分の立場と自分の責任を明らかにして、その問題をどのようにして解決するかの対策、そしてその対策を実現するための方策やいつまでに達成するか、などの主張が盛られている事が必要です。
しかし、この声明書を読む限り、部員の自分たち自身が何をすべきか、大学側に何を注文するかなどが全く記載されていません。改革するという言葉だけが入っていますが、具体的にどのような改革をするのかが明記されていません。大学側へ厳しい注文をすれば自分たち部員の就職などに悪い影響を与えられるのではないかという、自己保全の姿勢が見え隠れしております。
大学側へ厳しい注文をすれば自分たち部員の就職などに悪い影響を与えられるのではないかと言う、自己中心の姿勢が見え隠れしております。
繰り返しますが、改革のための主張がまったくありません。
アメフト部の将来に望みが持てないことについて説明します。
他の大学と試合ができるようにしたいのならば、アメフト部員の意識をどのような変革すべきないの、監督やコーチはどのように変わらねばならないのか、大学はどのように変革しなければならないのか、などの提言がなければ、大学アメフト部のいつまでも現在のままで、将来の望みが期待できません。
具体的に指摘します。例の反則タックルは日大アメフト部の特定の部員が犯した反則ではなく、部員の各人が犯す可能性があったという認識がなされていないことです。おわば、共犯であるという事実から逃げて、自分はあんなことをしないと認識しているのです。
繰り返しますが、こんな声明書ではアメフト部の将来は期待できません。
最後に全体をまとめます。この声明書は、一つ目、声明書になってないこと。二つ目、アメフト部員達の主張がないこと。三つ目、アメフト部の将来に望みが持てないこと、以上です。
アメフト部の各部員は大学卒業後、社会の各分野で指導者として重要な役割を果たさねばなりません。TVなどで報道された不祥事を起こした有名会社の役員のように、いろいろなしがらみの中で、反社会的な行為をしてはなりません。
アメフト部の諸君は今のままの状態では、卒業して会社等の役員になっても、「上司から言われたので仕方なく悪事をした」と弁明する人間になる可能性が大きいのです。
今回の不祥事は、たまたまM学生が犯しただけて、他の部員各自も同じ行為を犯していると見做すべきです。部員各君は自覚していないようですが、実に深刻な現状なのです。
部員達が当局から弱みを握られているという現実は理解できます。しかし、もう投票権も与えらています。最高学府で勉強している諸君です。それならば、自分自身を罰するくらいの正義心と矜持を持つべきだと思うのです。
彼らをしっかりと叱ってあげるのも嫌な役目ですが大人の役目だと思うのです。