これは難しい。
まず、鬼になるとは人間として社会的には死んだといえるのも確かです。
一部強い鬼は人間の社会で人間に擬態することはできますが、人間として生きられるわけではないし、鬼の大半は擬態して潜伏自体ができなくなっているようです。鬼舞辻によって社会性を剥ぎ取られているのもあるでしょう。
それに鬼が人間あるいは人間以外でも何か生き物でなくなっていることは確かです。
生命と呼べる存在ではなくなっています。(現実世界の生物の定義のどれも、全部は満たさなかったりする)
生命体と呼べないのであれば、いったいなんでしょう?
人間として社会の中で生きることもほぼできず、生命体として命を繋いでいくこともできない。そういう意味では鬼は生きているとは言えません。
ただし、いくつかの理由から鬼は命の理から外れた存在ではあるが、死者ではないとも言い切れます。
その最大は作中で数名の鬼が人間から鬼へ、また鬼から人間へ戻っていることから示唆されるでしょう。
だから鬼になるとは死んだわけではありません。
(もしそうであれば、鬼から人間に戻った者は生き返ったことになってしまいますが、そうではないからです。)
また、鬼が死後の世界に行くのが彼らが首を斬られてからであることも、鬼が死者ではないことの証拠として挙げられるでしょう。
それに、大半は人を殺して喰ったという罪を背負って地獄に落ちているのも、「鬼=死者ではない」証拠の一つです。
鬼が死者であれば、鬼の間の人殺しは死後の罪になりますよね。生前の罪として裁かれて地獄に落ちるわけがないのです。
それに、これは証拠とは言えませんが、最大の理由よりももっと上位にある根拠があります。
「鬼滅の刃」が描いているものです。テーマ、哲学といってもいい。
鬼は生き物と違って、生きるために人を喰い殺すわけではありません。
生き物は皆、何かしら食べ、栄養を身体に取り込まなければ生きていけません。
ですが、鬼は違います。
だからこそ、殺す必要もないのに人を殺す愉悦に浸る鬼はは悪なのです。
そしてこれは、作者が鬼を「人間社会の中の悪」として描きたかったからこその設定に思われます。
鬼が持つ悪の心はみな、人間が普遍的に持つ悪の心です。
他人が妬ましい、あいつが嫌いだ、気に食わない、弱い奴をいじめて何が悪い、あいつは自分が欲しいものを持っている、殺して奪ってやろう、自分の心のままに他人を傷つけて何が悪い、他人を踏みにじって何が悪い、他人を傷つけたら自分は楽しい、自分が強いと実感できたら自分は気分がいい、傷つけてやる…
こういう人間なら誰しもが持っている自己中心的な悪の心を、鬼という化け物に託し娯楽の漫画として描かれたのが「鬼滅の刃」であることは明白です。
作中の数々のセリフからもわかります。(同時にこれが、社会現象となるほど人気を博した理由の一端だろうと思います。読者は現実世界の、傷つけられて苦しむ人の心も、人を傷つけたい鬼の心も見出すからでしょう)
だからこそ、鬼になるとは死ぬことではありません。
現実世界の生きた人の心とリンクしているのですから。