kkokunitaiのプロフィール

@kkokunitai kkokunitai
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  • 登録日2007/05/18
  • 体重が(悩)

    こんにちは。24歳♀です。 1月に親知らずを抜いて、何も食べれない日々が続いたり、 2月から新しい職場にいき、 間食やお肉を食べる機会がへったりで、 体重が今年1月にくらべ8キロ落ちました・・・。 高校を卒業してから、かなり太ったので、減るのは ありがたいのですが、高校時代の体重まで下回って いるので不安になってきました。。 確かに前の事務的な仕事に比べて、販売に転職したので 立ちっぱなしだし、運動量は増えたなと感じてはいますが、 何か病気が潜んでいたりするのでしょうか? あと筋トレを去年からはじめたので、それも関係あるのかな? こんなに体重が減ったことがないので、 正直この減り方が普通なのかわかりません・・・。

    • noname#90323
    • 回答数3
  • この状況で離婚した場合、親権が取れるのでしょうか?

    現在、結婚して2年です。子供が2人います。1歳の子と生後1ケ月の子です。原因は、私が結婚前に付き合ってた人に借金をしておりまして、それを返済しておらず、妻にもその事は言っていませんでした。 最近になって、返済せざるえない状況になり、妻に打ち明けたところ離婚だと言い子供を置いて実家に帰ってしまいました。その借金については消費者金融から借りて返済しようと思っているのですが、そうした場合、消費者金融に借金があるのは、親権を争う場合に不利になるのでしょうか?乳幼児は、母親に親権がいく確立が高いと聞いていますが、どうしても子供の親権をもらい育てていきたいのです。 妻の実家には、両親がいまして、妻は現在無職ですが、私が親権を取るにはどうすればよいのでしょうか?どなたか、アドバイスをお願いします。

  • 【天皇家は朝鮮人の血が濃いという嘘】

    【1】天皇家は百済系朝鮮人の血が濃いという話を聞きました。 具体的にどう濃いのかを調べてみたら、全然濃くなかったのです。逆に薄いくらいでした。 天皇家に入っている百済系の血は、たった一人だけです。 桓武天皇の母親が200年前に来た百済王族の末裔の帰化人(国籍は日本人)の「高野新笠」だけです。 200年前に帰化して、日本人と混血を繰り返した人物は朝鮮人でしょうか?日本人でしょうか? 例えば、自分の友人に江戸時代の1800年に日本に来た朝鮮人がいたと仮定します。 その朝鮮人の末裔は200年間も日本人と混血を繰り返しました。 そして、その末裔と職場・学校で知り合います。 その人は朝鮮人ですか?日本人ですか? 天皇家に血を分けた百済系帰化人は200年前に日本に来て混血を繰り返した「高野新笠」一人だけです。 それなのに、どうして世間では「天皇家は百済系の血が濃い」と言う俗説を言う人がいるのでしょうか? 【2】百済王族の末裔の帰化人の「高野新笠」は生きている間は皇后として認められていませんでした。(死後、皇后となる。) 200年前に帰化して混血を繰り返したのに、生きている間に皇后と認められなかったのは異例です。 これは、当時の帰化人の扱いの低さを物語っています。(実際、大和朝廷内での帰化人の扱いは低かった。) 当時の人々が「百済系帰化人の末裔などは国籍は日本人でも、皇后として認められない」という行動をとった証拠でしょう。 「高野新笠」の夫と息子は天皇です。 「高野新笠」が皇后と認められない理由は他に何かありますか? 【3】桓武天皇の父であり、「高野新笠」の夫である、白壁“王”(のちの光仁天皇)は、天皇を継ぐ立場ではありませんでした。 当時、天皇を継ぐ可能性がある者は“親王”を名乗ります。 “王”は一応、皇族ですが、天皇を継ぐ可能性は低いです。 白壁“王”はまさか天皇になるとは、夢にも思っておらず、また周囲も白壁“王”が天皇になるとは思っていなかったので、百済系帰化人の「高野新笠」との結婚を認めたのではないでしょうか? そして、天武系皇族が度重なる粛清で途絶えたために、天智系の白壁王が62歳という高齢で天皇になった。 仕方なく、(血の問題で)天智系の白壁王を天皇になったとしても、百済系帰化人の「高野新笠」を皇后として認めるわけにはいかない。 当時の人々はそう考えて、「高野新笠」を皇后として認めなかったのではないでしょうか? 【4】「百済が滅亡した時に、大和朝廷は多数の百済系王族を帰化人として受け入れたから、天皇家は百済系の血が濃いのだ」と言う人がいます。 果たしてそうでしょうか? 百済系帰化人は最初は一応、それなりの地位(貴族など)を与えられましたが、百済系帰化人はすぐに人民に降下しました。 大和朝廷が百済系帰化人に関東に土地を与えて移民させた話などが残っています。 当時の大和朝廷には、資金的な余裕もなく、例え貴族でも天皇から血が離れていけば臣籍降下します。 具体的には、在原業平などがそうです。 在原業平の父は平城天皇第一皇子の阿保親王。母の伊都内親王は桓武天皇の皇女です。 在原業平は平城・桓武天皇の孫にあたります。 祖父が天皇でも臣籍降下するのに、百済系帰化人がいつまでも貴族でいたというのは間違いです。 従って、「百済が滅亡した時に、大和朝廷は多数の百済系王族を帰化人として受け入れたから、天皇家は百済系の血が濃いのだ」というのは間違いでしょう。 具体的に天皇家に血を分けたのは「高野新笠」一人だけですので。 いかがでしょうか? 【5】天皇家がどこから来たのかは諸説あり謎です。 元々、大和に住んでいた者なのか?九州から来たのか?中国から来たのか?朝鮮半島から来たのか? (私は九州から来たと思っています。) 中国歴史書に書いてあるのは、「百済は支配層と民衆の言語が違う」、「百済の住民の多くが漢人や倭人」、「倭人が頗る多い」 (百済王族は最初は扶余姓を名乗り、しばらくしてから“余”と1文字に略した。余豊璋など。) 従って、天皇家は朝鮮半島から来たと断定するのは不可能です。