com_sens の回答履歴
- 詩篇22はエリヤにたいして祈願しているの?
ダビデの詩篇22の"eli eli lama sabachtani"は普通は「神よ、神よ、どうして私をお見捨てになったのか」と訳されているようですが、「エリ(エリアの呼格?)、エリ、出てきなさい」という人もいます。どうしてこのような解釈の違いが生じるのかがわかりません。
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- noname#22986
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- このような思想はありますでしょうか?
「人間の幸せ度は誰もが一定であり、尊厳死または安楽死(意識無くして死ぬ)が最良の死に方である」 または、 「人間の幸せ度は誰もが一定であり、死に方によって幸せは左右する」 と言う思想はありますでしょうか? 例えば、 裕福な家庭で産まれたAさんと、借金取りに追われ夜逃げの毎日のBさんが、道端で1000円を拾う場合を考えると、 Aさんが感じるプラスの感情(幸せ度要因)よりBさんが感じるそれの方が大きいです。 それは各々が感じてきた価値観の違いにより生まれました。 また、高校時代にモテモテだったCさんと、おとなしく人付き合いがうまくないDさんが、女性に告白される事を考えると、 Cさんが感じる幸せ度よりDさんが感じるそれの方が大きいです。 人は何かの出来事がある際に感じる幸せ度要因は違う。 それは理想値の違いであり、幸せ度要因と理想値は反比例のようになる。 理想値が高ければ(双方の事例の前者)幸せ度要因は低く、理想値が低ければ高い。 幸せ度は一定を保つ。 ここで、人生と言う長い尺度で考えると、 今日は昨日より幸せ(幸せ度ではないです)になりたい。明日は今日より幸せになりたい。 と思うのが人間です。 と言う事は人生の終わりである死の瞬間は理想値が高い状態で死ぬのがベストとなる。 しかし死には、今まで築いてきたものを失う苦痛が生じます。 それは理想値が高いほど大きく、理想値が低いほど小さく、死すら幸せ度が伴ってきます。 しかし意識無くし死ねば苦痛は生じません。 一見ネガティブに見え、実は、する事が全て納得できるポジティブな思想のような気がします。 このような思想はありますでしょうか?
- 「ユダは裏切り者じゃない!?」先日見たニュースより
哲学・宗教関係の本が好きだったことがある一般人です。 先日NHKの昼のニュースで 「弟子でありながらイエス・キリストを売り渡し、その後裏切り者といわれるようになった(新約)聖書に書かれているユダが、実は売り渡したのはイエス・キリストによる指示によるものであった」 というのが流れていました。 気になったので自分でちょっと調べてみようと思って検索かけてみたのですが、最近の話だからなのか私のほしい情報が手に入りませんでした。(検索の仕方が悪いだけなのかもしれませんが…) そこでこの件に関して詳しい説明が書かれているような情報やサイトを知っている方教えていただけないでしょうか?具体的な内容としては解読したと言っていた文献についてや、その解読内容・信憑性、どのような影響(論争?)が起こると考えられるのか等です。 ちなみにそのニュースの中で「イエス・キリストがユダについて弟子の中でもっともよく私の言葉?教義?を理解していた者であったと言っていた」そうです。私見になりますがそうなると、聖書の別のところでイエス・キリストがユダについて「生まれてこないほうが彼のためによかった」いうのがあったはずですが、単なる自分を裏切ったこと対する哀れみの言葉でなく、生まれてこなければこんな苦しい重荷(裏切り者のレッテル)を背負わせてしまう事もなかっただろうにという優秀な弟子を持ったがゆえの苦悩のような気持ちが見えてくるのですが?
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- noname#16760
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