Isukia7のプロフィール
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- 登録日2018/06/06
- 性別女性
- 年代60代
- 都道府県東京都
- 離婚によるトラウマを克服するには
高校2年生の者です。 私には母親がいません。あまり覚えていないのですが、私が小学2年生の時に母親が家を出て行きました。出て行った時まだ幼かったので、母親が戻ってこないなんて思いもせず、「行ってらっしゃい」と無邪気に手を振っていました。今まで生きてきた中でも、その母親の後姿を忘れることは一度もありませんでした。 私は幼稚園の頃、ご飯以外の時は1階にいる祖父母と遊んでいたようです。オモチャで遊んで、母親に呼ばれたら片付けをしてから2階に上がってご飯を食べていました。片づけをしている為に遅れた私を母親はよく怒っていたそうです。 お風呂の時間にもよく遅れる私を母親は叱っていて、仕事から帰ってきた父親と喧嘩になり、私は父親の後ろによく隠れていました。 父親に聞くと、母親は浮気が発覚して出て行ったそうです。祖母は「心の病気だったんじゃないか」「あんなに怒られていたらあなたのためにならないし、離婚してよかったのよ」と言っていましたが、どうにも母親を責める気にはなれず、自分自身を責めてしまいます。母親から怒られるときには、きちんと理由がありました。私がきちんと時間に間に合えば、あんなに怒られることは無かったと思うのです。 母親が出て行った後は、私と父、父方の祖父母と共に暮らしていました。 小学校でも中学校でも私は平和でいい環境で育ち、片親だということにも気にすることはそれほどありませんでした。それどころか、幸せすら感じていました。ネットを始めて、ネットでも現実でも友達と話して充実した日々を送っていました。 しかし、私が中学校を卒業した後、父親が再婚しました。新しい母親は、息子2人を抱えていました。新しい母親がどうしてもこの場所から離れたくないと言っていたので、私と父は新しい母親と母親の息子2人と暮らすために新しいマンションへ、祖父母は結構年をとっていたため、この機会にと私達の住む県の老人ホームへと移ることになりました。 他の県に行くことになり、私は一人っ子だった為きちんと弟2人をお世話できるのか、新しい母親と上手くやっていけるのかという不安と、住んでいた場所が少し田舎だった為、都会に出られる嬉しさと引っ越しして自分の部屋を持てること、初めての引っ越しにわくわくする気持ちでいっぱいでした。 最初は頑張ろうと考え、お手伝いも積極的にやるように、家族とちゃんと友好的に付き合えるように頑張っていました。 しかし、徐々に私の心は乱れていきました。小さい子と関わったことがあまりないので、弟達とどう関わればいいか分からず、一言話しかけるだけでも勇気が必要でした。子供が好きな父親は、弟達とも新しい母親とも上手くいっていて、楽しそうにしていました。私以外の家族が楽しそうにしているのを見て、私は疎外感を感じていました。私がいなければもっとこの家族は幸せなのにと思うことが止められず、だんだんと私は家に帰ってから部屋に塞ぎ籠っているようになりました。その影響でお手伝いもあまりしないようになっていました。弟達は頭がよく運動もでき、私には無い良いところが沢山ありました。父親にもたまに会う祖母にも「○○君は○歳でこんなことができるのに、貴方はこの歳になってもできないなんて」「やっぱり祖母ちゃんの育て方が悪かったのね」とよく言われていました。他人と比べられることが大嫌いだった私は、どうして弟達と比べられなきゃいけないんだと思う反面、自分が情けないと感じていました。 部屋に引き籠っていても、家族の声はリビングから聞こえてきます。笑い合う楽しい声が聞こえる度にその中に私はいないことを痛感し、たまに涙を流していました。 更に、新しい母親の言葉が信じられなくなりました。気を遣ってくれるのはありがたかったのですが、逆に私は距離を感じていましたし、言葉の裏を読むようになりました。褒められても、それは次にも同じことをやらせるための策なんだと思うようになり、一層悲しくなりました。 ネットではそのつながりで恋人もできました。しかしどうしても彼氏が反応しないと、他の人のところへ行って会話していました。その頃は同時に3人ぐらいと話していないと落ち着きませんでした。中学校3年生の後半ぐらいから、Mにも目覚めました。いじられていると私に尽くしてくれている感じがして、嬉しく思っていました。 新しい母親は私と合わないことに始めのほうから気付いていたらしく、父親に離婚したいと話していたそうです。 ある日私が引き籠っていると、父親が怒鳴り込んできました。私は家族の声が聞きたくなくて、耳を塞ぎ部屋の鍵を閉めていました。しかし父親は「携帯解約するぞ」「このドアを壊してやる」と言ってきて、泣き叫んで部屋のドアを開けることになっていました。 父親は新しい母親と一緒にいるとき、私の家族じゃないような気がしていました。父親と二人だけになると元の家族に戻ったような気がして、安心感を得ていました。父親も新しい母親には不満があるようで、私によく愚痴っていました。そのことも私にはストレスでした。私は親には相談していないでいたのに、どうして私だけ…と。 その後私が耐え切れなくなって父親に「一人暮らししたい」「新しい母親といると、心が持たない」と告げました。父親は新しい母親と相談し、離婚することになりました。 そして今年には元の県に戻り、新しいマンションで父親と共に暮らすようになりました。新しい母親と弟達から離れたとはいえ、生活はきついです。 それどころか、離れたというのにそのトラウマは克服するどころか、悪化しています。涙の回数も病む回数も増えてしまいました。多い時には1週間に2回も病んでしまいます。 以前「離婚させちゃってごめんね」と父親に話したことがありました。その時は父親も「あなたについていきたかったからいいんだよ。パパはあなたを一人にさせないからね」と言っていましたが、今ではたまに私を責めるように思える言葉を言ってくることがあります。 二度も離婚させてしまった罪悪感もあり、眠れない日も増え、ここ最近は食が細くなってしまいました。 突然不安になって、1番目の母親のように友達や恋人が私から離れて行ってしまう映像が脳内で繰り返され、とても胸が苦しくなります。また、胸が苦しくなった直後は呼吸が苦しいこともありました。 2番目の母親がいい人だとは分かっているのに、どうしても憎んでしまいます。最近は名前を出されるだけで不快になるし、2番目の母親からもらった靴下や洋服、食器を見るだけで思い出してしまいますし、そう思えてしまう自分自身にも苛立って自己嫌悪してしまいます。 精神科に行きたいと思いますが、何だかそれを言ったら親を責めているように感じてしまいそうで、父親に知られたくありません。学校のカウンセラーにも相談しようと思いましたが、他の生徒に見つかったりするのが怖いし、病んでくるのが夕方から夜にかけてなので相談しなくてもいいかなと思ってしまいます。 また父親は過保護で、私は高校生になっても7時に家に帰ってこなければなりません。他の友達はもう少し遅くまでいるのに、私だけ帰らなければならず申し訳ないし辛いです。親の愛情だと分かっていても、なんだか腑に落ちません。 離婚によるトラウマを克服するにはどうすればいいのでしょうか。 お忙しいところ恐縮ですが、色んな意見を貰えたら幸いです。 長文失礼致しました。
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- ayane200
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