tter125のプロフィール
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- 登録日2014/06/23
- 性別男性
- 職業公務員
- 年代40代
- 都道府県長野県
- 集団的自衛権の議論について
集団的自衛権を行使できるよう、憲法解釈を変更するという閣議決定がされました。 集団的自衛権という権利の是非についてはいろいろな議論があるでしょうが、ここではその点はあえて触れません。 そのほかに2点議論があるとおもうのですが、とくに最後の論点はまったく議論されていないようなので、できれば法律の専門家に伺いたいです。 第2点目は、もちろん三権分立との関係です。ときにこの点は指摘はされているようですが、そもそも、憲法の解釈判断権限が司法ではなく行政にあるというのはなぜかという点です。ただ、この点は、通常の法律では、法律の解釈は行政の裁量範囲にあるとされるのは一般的であると思いますので、(憲法もそれでいいのかというのはちょっと疑問には思いますが、以下の点を強調したいので)そういう理解でよければ、あえて問いません。 第3点目、ここで特にお聞きしたい点です。第2点目と非常に密接に関連するのですが、そもそも、一般の法律の解釈権限が行政にあるとする理屈の根幹には、法律とは、解釈にできるだけ恣意判断が入らないように、法文ができる限り一意的に解釈できるように明確に規定されているはずのものなので、行政に裁量権を与えるとしても、その裁量範囲がおのずと限りなく限定されているという前提があるのではないかと思っていました。だからこそ、それを裁量として与えても、行政が無茶をすることなく、権力の分散が図られ、三権分立が維持されるということだったのではないでしょうか? で、今回の場合はそれを解釈の「変更」といっていることからも明らかなように、条文上は、集団的自衛権が行使できるとも、できないとも、両方の解釈が可能であるということを前提としています。だとすると、この条文はとてつもなく大きな解釈の幅を許容する条文として規定されているということになります。 しかしながら、これほど大きな解釈の幅を許す法文(憲法条文)がありうるということ自体が、そもそも、法治国家の前提として許されるのでしょうか?というのが質問です。 つまり、 1.法文上、集団的自衛権があると解釈できるか? 2.その解釈をできると判断すべき主体は内閣で適切なのか? ということのほかに、 3.それほど大きな解釈の幅を許容する法文が存在するということを前提とすること自体、法治国家の前提として、許されうるのか? ということを疑問に思います。 また、この点がなんら(といっても詳しく調べたわけではないのですが)論点になっていないのはなぜなのでしょうか?法治国家の根幹にかかわる、きわめて重要な問題なように思うのですが。。。 法律家ではありませんので、できるだけわかりやすく説明いただけると助かります。 よろしくおねがいします。
- 締切済み
- ニュース・時事問題
- kireinahanabi
- 回答数16
- 集団的自衛権の議論について
集団的自衛権を行使できるよう、憲法解釈を変更するという閣議決定がされました。 集団的自衛権という権利の是非についてはいろいろな議論があるでしょうが、ここではその点はあえて触れません。 そのほかに2点議論があるとおもうのですが、とくに最後の論点はまったく議論されていないようなので、できれば法律の専門家に伺いたいです。 第2点目は、もちろん三権分立との関係です。ときにこの点は指摘はされているようですが、そもそも、憲法の解釈判断権限が司法ではなく行政にあるというのはなぜかという点です。ただ、この点は、通常の法律では、法律の解釈は行政の裁量範囲にあるとされるのは一般的であると思いますので、(憲法もそれでいいのかというのはちょっと疑問には思いますが、以下の点を強調したいので)そういう理解でよければ、あえて問いません。 第3点目、ここで特にお聞きしたい点です。第2点目と非常に密接に関連するのですが、そもそも、一般の法律の解釈権限が行政にあるとする理屈の根幹には、法律とは、解釈にできるだけ恣意判断が入らないように、法文ができる限り一意的に解釈できるように明確に規定されているはずのものなので、行政に裁量権を与えるとしても、その裁量範囲がおのずと限りなく限定されているという前提があるのではないかと思っていました。だからこそ、それを裁量として与えても、行政が無茶をすることなく、権力の分散が図られ、三権分立が維持されるということだったのではないでしょうか? で、今回の場合はそれを解釈の「変更」といっていることからも明らかなように、条文上は、集団的自衛権が行使できるとも、できないとも、両方の解釈が可能であるということを前提としています。だとすると、この条文はとてつもなく大きな解釈の幅を許容する条文として規定されているということになります。 しかしながら、これほど大きな解釈の幅を許す法文(憲法条文)がありうるということ自体が、そもそも、法治国家の前提として許されるのでしょうか?というのが質問です。 つまり、 1.法文上、集団的自衛権があると解釈できるか? 2.その解釈をできると判断すべき主体は内閣で適切なのか? ということのほかに、 3.それほど大きな解釈の幅を許容する法文が存在するということを前提とすること自体、法治国家の前提として、許されうるのか? ということを疑問に思います。 また、この点がなんら(といっても詳しく調べたわけではないのですが)論点になっていないのはなぜなのでしょうか?法治国家の根幹にかかわる、きわめて重要な問題なように思うのですが。。。 法律家ではありませんので、できるだけわかりやすく説明いただけると助かります。 よろしくおねがいします。
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- 最初はすごく親切でいい人は、自己愛性人格障害?
愚痴交じりです すみません。 最初はすごく親切で丁寧で、いい人のように見えても、 付き合ううちにげんなりしてしまうタイプの人がいます。 話の内容が愚痴になり、それに対して違う肯定的な意見やアドバイスをすると、不機嫌になる。 相手の期待通りの反応をしないと、文句を言う、いじける。 提案を断ると、へりくだりすぎられ、悪い事した気分になります。 自分の意見を言うことが許されず、同意しか求めていない感じに見えます。 男にも女にも出会いましたが、 気づいたのは、おごってくれたり、物を沢山くれたり、と何かプレゼントを絶対にくれます。 最初はとても褒めてくれ、気遣ってくれるので、良い人と錯覚していました。 同年代より年上に多く出会います。 メールなどでは、きちんと配慮してくれ、気配りのできる人だな、と関心するのですが、 会ってみると何か違うのです。 考えていたら、自己愛性人格障害の特徴なのかな?と思うようになりました。 (うち1人がこの病気をしていて、もう治ったといっていました。) そうだとすると、最初に嗅ぎ分けたり、出会わないようにするにはどうしたらいいんでしょうか? そして、プレゼントをくれたり、褒めてくるのはなぜなんでしょうか? 嫌になってこちらから連絡しなくても、向こうから連絡し続けてくるのも分かりません。 何でもいいので、ご意見よろしくお願いします。
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- その他(恋愛・人生相談)
- nyu00
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- 集団的自衛権もしくは国家間戦争の根拠について。
集団的自衛権の閣議決定には、法的にテクニカルな問題がありますが、 それはさておき、もっとプリミティブな部分でどなたかご意見をお持ちでしたら、教えてください。 一個だけいまだに抗えない設問が自分自身の中にあるのですが、 というより、この設問こそが推進派の人たちの推進根拠となる部分でもあると考えているのですが、 (軍事産業の後押しという面もあるでしょうが、それとて、国防という意識から出たものだと思います。) 「向こうが攻めてきたらどうしますか? そして、家族や友人や大切な人に危害を加えたら、やっぱり黙っていますか?」 というやつです。 この設問にいまだに答えられないのですが、いや、むしろ、 「そん時は流石に戦いますよ。」 みたいな回答をしてしまって、それまで「戦争反対」な立場を取っていた自分の一貫性は、無茶苦茶なことになってしまうんですが、どなたかご意見お持ちでないでしょうか? ※この設問に対する回答でなくても全くかまいません。 ※そうならないように対話していくんです、 というのは無しでお願いします。 対話が通じる場合もあることは理解していますが、通じない場合があったため、これまで仕方なしに戦争が起こってしまったはずです。 ※戦うしかない、というのもご容赦ください。回答になっていませんので。 あほな質問ですみませんが、よろしくお願い致します。 m(_ _)m