tama1206のプロフィール
- ベストアンサー数
- 0
- ベストアンサー率
- 0%
- お礼率
- 0%
- 登録日2014/01/22
- 性別男性
- 都道府県東京都
- 覚悟を持ち得るには
私はある覚悟を持てないでいます。 その覚悟とは、ある使命に命と今後の人生を賭けることです。 理由があり具体的なことはお伝えできませんが、自分以外の命を危険にさらすことなく、他者の命が不本意に不条理に消えるのを防ぐことです。その使命とは、誰かがやらなければならないことであり、しかし絶対的に不可能といえることであり、かつ行為自体は正しいと言い切れうることです。 私自身、自分の思うこの使命は正しいと信じていますし、人から間違っていると言われたことも一度もありません。(おそらく皆さんにお話しても内容を正しいと思われない方は至極少数だと確信します。ご回答頂ける際には正しいことだと判断した上でお願いします)ですが「何故私が」と、どうしても考えてしまいます。ほぼ間違いなく不可能なことなのです。「死にたくない。死にたくない。死にたくない。幸せになりたい。だけど、死なせたくない。皆が幸せであってほしい。」と心の中で二人の自分がいつも戦い続けています。必ず死ぬわけではありません。しかしリスクは桁が違います。私は死にたくありません。ですが、死なせたくもありません。 私は、過剰共感体質です。他人の心痛を他人のものとして、受け流すことができません。おそらく異常だと思います。新聞やニュース、実際に見たもの等、毎日の生活の中でたくさんの人が苦しみ、死んで、殺されたのを見ます。私はその苦しんでいる人、無くなった人、その家族等たくさんの立場に自分を置き換えて苦しみます。自覚的にではなく、気付くと胸がどうしようもなく痛くなっています。頭が痛くなります。当事者の視界で想像しています。車に爆弾を積み自爆するテロリストにも、そうされる軍人にも。一度、幻覚を見るようになったこともありました。戦争で怪我をし、栄養失調で異常に膨らんでしまった腹部と枝のような手足をした黒人の子供が、指をくわえながら、虚ろな薄くなってしまった眼で、私のほうを見続けていました。起きていても、夢の中でも、彼は私を見つめ続けていました。何も言わず見つめ続けていました。何も言う必要が無かったのでしょう。何年か経った今でもその顔は、はっきりと浮かんできます。理由はおそらく世界を少し知ってしまったからだと思っています。 私がこうしてパソコンにむかっている間にも、勝手に悩んでいる間にも、私はその自覚無しにおそらく世界のどこかで未だ見ぬ誰かの命を消す手助けをしてしまっています。私は今まで、一体何人の顔も知らない誰かを殺してきたのでしょう。いくつの家族を不幸にしたのでしょう。日本という国に生きる私は、その存在の存続そのものが「殺すこと」と同義であるのだと気付いてしまいました。 正直に言って、知りたくなかった。そんな咎に気付くことなく、ただ自分とその周りの命の幸せを願って生きていきたかった。ただ日々の平和を願い、生きていきたかった。 しかし、私は知ってしまいました。私は、それを無視するには心の器が小さすぎます。しかし、私は、私たちは、圧倒的に非力です。 ですが、やはり咎を背負ったまま、何の償いをすることもなく、何食わぬ顔をして生きていくことはできません。苦しすぎます。それは自分のことです。ですが、死にたくないのです。「何故私がしなければならないのだ」と考えてしまいます。どうしても考えてしまいます。 多くの人は自分の幸せを純粋に望んでいるように見えます。それを良とし、疑わない、世の中です。不都合なことは「存在させない」世の中です。私も突き詰めれば贖罪願望を満たすという幸せを願っていると言えるかもしれません。しかし、それは詭弁ではないでしょうか。「価値観の違い」と言う絶対の剣を、相手の喉元に突きつけながらの理論ではないでしょうか。それは卑怯ではないでしょうか。 本当はわかっています。「何故私が」ではなく、「誰かが」ではなく、「私は」だという問題であることを。他人や世の中を責める自分の醜さも、臆病さも、幼さも、本当はわかっています。こんな自分が一番恥ずかしくて、一番憎いです。本当に憎いです。 だから皆さん教えて下さい。自分で答えを見つけられない私に、どうか力をお貸し下さい。どうすれば、覚悟を持ちえられますか。 長文読んで頂きありがとうございました。