pascal-daisukiのプロフィール
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私は、政治的には国や家族を大切にする、保守の立場です。仕事は、保険代理店をやっています。また、クリスチャンでもあります。還暦です。 <パスカルの「パンセ」との個人的な出会いについて:> 私は、18年前、パンセと出会って、「人生は空しい」という、パスカルが言う「当たり前のこと」がわかったのです。そして、パスカルが語る「永遠」という価値に目をとめたとき、目の前の人生の浮き沈みに囚われなくなりました。人生の空しさを受けとめて、なおかつ厭世にならずに、生きる道が用意されていることを知り、安堵感が与えられました。 (以下は、ブレーズ・パスカルの姉ジルベルトが書いたパスカルの伝記から:) ブレーズ・パスカルは、1623年、フランス中部オーヴェルニュ州の州都クレルモンに生まれました。父はエチエンヌ・ペリエ。税務裁判所長官。3歳のとき母を失い、父一つの手によって育てられました。 父は何か教えるとき、必ず、なぜそれを学ぶかを説明してから始めました。例えば、語学の勉強にあたっては、原語とは何か、文法とは何かという、基本的観念を与えた。 <幾何学の精神> 特に、ラテン語の学習を優先させ、数学は深入りしてそればかりになる危険があるので、父親は警戒していた。そこで、父親は、ブレーズが12歳のとき、数学とは、いわば正確な図形を作り、図形と図形の関係を調べる学問だということだけを、彼に教えた。ところが、ブレーズは、線や円ということばも知らないのに、「丸」や「棒」と呼んで、図形を描き始め、図形と図形を較べる遊びに熱中し、あるとき、父親が気づいて見ると、ユークリット幾何学の第一巻の第三二命題「三角形の内角の和は二直角に等しい」の問題を解いていたという。 その天才パスカルが、実に自分は何も知らないという、「無知」の状態に置かれたさま」を見出し、その対極に神の存在を「賭け」のようにして認め、神に至るための唯一の道であるキリストを信じ、病床で命をかけて紙片に書き綴ったのが、「パンセ」(「綴り」という意味)という、「キリスト教弁証論」です。 パスカルの独特の語り口は、つい引き込まれます。なぜなら、これこれはこういうものである、というような言い方でなく、「ミトン君。自我というものは汚らわしいものだよ」という、語りかけられているような文章だからです。新教出版の「パンセ」がおすすめです。
- 登録日2011/03/01
- 性別男性
- 都道府県東京都
- 『パンセ』が読めない
こんばんは。私は大学の仏文科を卒業しました。ですが専門は言語学であり、言語学といってもかじった程度です。 突然、知的好奇心が沸いてきて、ニーチェやパスカルなどを読んでみようと思い立ったのが、1年前です。仏文科だし、パスカルを読もうと思ってパンセを読んでみました。ところが、難しくてわからないんです。何を言っているか全くといっていいほどに。何が魅力なのかもいまいちよくわかりません。パスカルについていろいろ語っている本は読めますが、『パンセ』は読めません。いくら努力しても挫折し、また読もうと思って挫折。それを繰り返しています。 私は哲学などには向いていないのでしょうか。「どんな世界が広がっているのか知りたい」と思っても、この状態ではさっぱりです。 哲学を学ぶ人は尊敬しますが、私とは住む世界が違うのでしょうか。私はおとなしく哲学の学問からは足を洗うべきですか?