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  • 登録日2011/02/20
  • εーδ論法の表記方法と意味

    数学表記とその意味についての質問です。 εーδ論法を例にとります。 ∀ε>0, ∃δ>0 s.t. ∀x∈R, 0<|x-a|<δ⇒|f(x)-b|<ε は、 「任意の正の数 ε に対し、ある適当な正の数 δ が存在して、 0 < |x - a| < δ を満たす全ての実数 xに対し、 |f(x) - b| < ε が成り立つ。」 ということであり、 「s.t. は such that の略で ∃ の条件を示し、 s.t. 以後の条件を満たすような正の数 δ が存在するということである。」 ということであり、 「任意の正の数 ε に対し、ある適当な正の数 δ が存在して、 0 < |x - a| < δ を満たす全ての実数 xに対し、 |f(x) - b| < ε が成り立つ。」 という意味であるとありました。 表記と意味についてすっきりと理解できないので、質問させてください。 (1) 変数についての定義は、xは実数(∀x∈R)とだけあるのですが、他の変数のε,a,bに対する定義はありません。なぜ、xのみを実数であると定義するのですか。定義しないと何か困るのですか。なぜ、εとa,bは定義の必要はないのでしょうか。定義しなくてもεとaは実数であると必然的になるということですか。通常は「<」は複素数では使用できないので、必然的にε,a,bは実数になるということですか。 (2) ∀ε>0, ∃δ>0は、「任意の正の数 ε に対し、ある適当な正の数 δ が存在して」と読んでますが、その中の「に対し」が表記のどこの部分から読み取ることができるのですか。∀ε>0と∃δ>0は、「,」で分けられているだけなので、「に対し」と読むことがすっきりと理解できません。単に、”全てのεが0より大きい”ことと、”0より大きいδが存在する”こと、の並列的な記述としてなら理解できます。なぜ「に対し」が必要なのか、「に対し」と読まないといけない理由も教えてください。 (3) 「∀ε>0, ∃δ>0」を「∃ε>0, ∀δ>0」と書くと間違いになるのですか。日常的な感覚からいうと、0<|x-a|<δ において、あるδを与えると、|f(x)-b|<ε を満たすεがかならず存在する、と考えるのが自然な感じがします。なので、「∃ε>0, ∀δ>0」の方が自然に理解できそうなのですが、間違いでしょうか。このような理解の方法はよくないのでしょうか。 (4)「∃ε>0, ∃δ>0」と書くと間違いになるのでしょうか。「 |f(x) - b| < ε 」はあるεでは成り立つが、成り立たないεも存在します。つまり、「∀ε>0」で定義したεの内、あるεだけが式を成り立たせるので、はじめから「∀ε>0」ではなく「∃ε>0」する方が正しいように思いますし、自然な感じがします。 私の印象ですが、数学的な表記(言語)は日常的な思考とは何かが異なる感じがします。若いときに数学を専攻していれば、“そういうもの”として受入られるのかもしれませんが、他の専門分野の人(私のように)にとっては“なぜ”と思うことが多いように思います。 文化の違いもあると思いますので、すみませんが、分かりやすく、教えて頂けないでしょうか。宜しくお願い致します。

  • εーδ論法の表記方法と意味

    数学表記とその意味についての質問です。 εーδ論法を例にとります。 ∀ε>0, ∃δ>0 s.t. ∀x∈R, 0<|x-a|<δ⇒|f(x)-b|<ε は、 「任意の正の数 ε に対し、ある適当な正の数 δ が存在して、 0 < |x - a| < δ を満たす全ての実数 xに対し、 |f(x) - b| < ε が成り立つ。」 ということであり、 「s.t. は such that の略で ∃ の条件を示し、 s.t. 以後の条件を満たすような正の数 δ が存在するということである。」 ということであり、 「任意の正の数 ε に対し、ある適当な正の数 δ が存在して、 0 < |x - a| < δ を満たす全ての実数 xに対し、 |f(x) - b| < ε が成り立つ。」 という意味であるとありました。 表記と意味についてすっきりと理解できないので、質問させてください。 (1) 変数についての定義は、xは実数(∀x∈R)とだけあるのですが、他の変数のε,a,bに対する定義はありません。なぜ、xのみを実数であると定義するのですか。定義しないと何か困るのですか。なぜ、εとa,bは定義の必要はないのでしょうか。定義しなくてもεとaは実数であると必然的になるということですか。通常は「<」は複素数では使用できないので、必然的にε,a,bは実数になるということですか。 (2) ∀ε>0, ∃δ>0は、「任意の正の数 ε に対し、ある適当な正の数 δ が存在して」と読んでますが、その中の「に対し」が表記のどこの部分から読み取ることができるのですか。∀ε>0と∃δ>0は、「,」で分けられているだけなので、「に対し」と読むことがすっきりと理解できません。単に、”全てのεが0より大きい”ことと、”0より大きいδが存在する”こと、の並列的な記述としてなら理解できます。なぜ「に対し」が必要なのか、「に対し」と読まないといけない理由も教えてください。 (3) 「∀ε>0, ∃δ>0」を「∃ε>0, ∀δ>0」と書くと間違いになるのですか。日常的な感覚からいうと、0<|x-a|<δ において、あるδを与えると、|f(x)-b|<ε を満たすεがかならず存在する、と考えるのが自然な感じがします。なので、「∃ε>0, ∀δ>0」の方が自然に理解できそうなのですが、間違いでしょうか。このような理解の方法はよくないのでしょうか。 (4)「∃ε>0, ∃δ>0」と書くと間違いになるのでしょうか。「 |f(x) - b| < ε 」はあるεでは成り立つが、成り立たないεも存在します。つまり、「∀ε>0」で定義したεの内、あるεだけが式を成り立たせるので、はじめから「∀ε>0」ではなく「∃ε>0」する方が正しいように思いますし、自然な感じがします。 私の印象ですが、数学的な表記(言語)は日常的な思考とは何かが異なる感じがします。若いときに数学を専攻していれば、“そういうもの”として受入られるのかもしれませんが、他の専門分野の人(私のように)にとっては“なぜ”と思うことが多いように思います。 文化の違いもあると思いますので、すみませんが、分かりやすく、教えて頂けないでしょうか。宜しくお願い致します。

  • 基礎力不足でしょうか?

    スタ演の問題です。 αとβは0でない複素数で、自然数nに対してf(n)=1/α^n+1/β^n+1 とする。F(n)=2f(n+3)-f(n+2)-f(n)を求めよ。ただしf(1)=1/2, f(2)=1/4,とする。 α+β=ー1、αβ=2、f(3)=13/8は求まって、α、βはx^2-x+2=0の解であることは分かったので、 1/α^n+1/β^nはα^n+β^n/(αβ)^nとかα^3=-(α+2)、α^2=α-2みたいな調子で F(n)をまとめて計算していくと、{(-2α-4)α^n+(-2β-4)β^n}/2^nとなって詰まりました。 さんざん考えても分からず、答えを見ると、 式変形は(2-α-α^3)/α^n+(2-β-β^3)/β^n+3というようにαとβをそれぞれまとめてました。 確かにこれなら2-α-α^3はきれいに0になります。 これが思い浮かばないのは基礎力不足(この問題集をやっていくべきでない)でしょうか?

  • 命題計算の或る形式的体系に関して

    こんばんは。いま私は、松本和夫著「数理論理学」(共立出版)を勉強しているのですが、その中で理解出来ない部分があったので、質問させてください。 この本の中で、以下の様な諸公理と推論規則MPを定めて、そこで証明可能な論理式が全てトートロジーとなるような無矛盾な命題計算の体系Hpを作るところがあります。 A、B、Cを論理式、⇒を含意として          公理1 A⇒(B⇒A)     公理2 (A⇒(B⇒C))⇒((A⇒B)⇒(A⇒C))                                                                            公理3 (¬B⇒¬A)⇒((¬B⇒A)⇒B)                                                                                                 推論規則MP A、A⇒B |-B これ等の公理と推論規則から導かれる形式的体系Hpでは演繹定理も成り立ちます。                                                                        さて本題の質問です。本書では、無矛盾な体系Hpに於いて証明可能な論理式の一つとして次のものが挙げられています。                                            定理 ¬A⇒(A⇒B)                                                                                             証明  (1)¬A 仮定 (2)A 仮定 (3)A⇒(¬B⇒A)公理1 (4) ¬A⇒(¬B⇒¬A)公理1   (5)¬B⇒A (2)と(3)にMP (6)¬B⇒¬A (1)と(4)にMP (7)(¬B⇒¬A)⇒((¬B⇒A)                                                  ⇒B)公理3  (8)(¬B⇒A)⇒B (6)(7)にMP (9)B (5)と(8)にMP                                                                                            故に ¬A、A|-B  これに演繹定理を2回用いて上の定理を得る。 qed                                                                     私が納得出来ないのはこの証明なのですが、最初に¬AとAが同時に成り立つと仮定していますよね。ですがHpは無矛盾なのだから、Hpにおいて¬AとAとが共に成立することなどあり得ない筈です。よってこの証明は無意味だと思うのですが、どうでしょうか?  随分ごたごたした記述で申し訳ありませんが、何卒ご回答お願いします。

  • 命題計算の或る形式的体系に関して

    こんばんは。いま私は、松本和夫著「数理論理学」(共立出版)を勉強しているのですが、その中で理解出来ない部分があったので、質問させてください。 この本の中で、以下の様な諸公理と推論規則MPを定めて、そこで証明可能な論理式が全てトートロジーとなるような無矛盾な命題計算の体系Hpを作るところがあります。 A、B、Cを論理式、⇒を含意として          公理1 A⇒(B⇒A)     公理2 (A⇒(B⇒C))⇒((A⇒B)⇒(A⇒C))                                                                            公理3 (¬B⇒¬A)⇒((¬B⇒A)⇒B)                                                                                                 推論規則MP A、A⇒B |-B これ等の公理と推論規則から導かれる形式的体系Hpでは演繹定理も成り立ちます。                                                                        さて本題の質問です。本書では、無矛盾な体系Hpに於いて証明可能な論理式の一つとして次のものが挙げられています。                                            定理 ¬A⇒(A⇒B)                                                                                             証明  (1)¬A 仮定 (2)A 仮定 (3)A⇒(¬B⇒A)公理1 (4) ¬A⇒(¬B⇒¬A)公理1   (5)¬B⇒A (2)と(3)にMP (6)¬B⇒¬A (1)と(4)にMP (7)(¬B⇒¬A)⇒((¬B⇒A)                                                  ⇒B)公理3  (8)(¬B⇒A)⇒B (6)(7)にMP (9)B (5)と(8)にMP                                                                                            故に ¬A、A|-B  これに演繹定理を2回用いて上の定理を得る。 qed                                                                     私が納得出来ないのはこの証明なのですが、最初に¬AとAが同時に成り立つと仮定していますよね。ですがHpは無矛盾なのだから、Hpにおいて¬AとAとが共に成立することなどあり得ない筈です。よってこの証明は無意味だと思うのですが、どうでしょうか?  随分ごたごたした記述で申し訳ありませんが、何卒ご回答お願いします。