fruit7669 の回答履歴

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  • 自己の回復と仏教の教え

    長い間、自分の心理について悩み、考え、苦しみ、心療内科、精神科、カウンセラーを訪ね、家では本を読み、やっと自分の問題の核心に近づいてきたように感じています。私の問題は、簡単に言うと、家族から心理的虐待を受けつづけ、他者から愛されるためには自分を消し、ひたすら他者に奉仕しなければならないのだと学んだこと、さらに、善悪の判断が逆転しているために、自分を愛そうとする人を嫌い、自分を傷つけようとする人に善意と愛情を期待して近づいていくのだが、最後は決まって見捨てられ傷つく、ということを繰り返してきたことです。自分の中にある、何か得体の知れない、巨大な「恐怖」を感じられるようになりました。人間に対する恐怖です。その恐怖を感じないように、感情を抑圧し、他者から離れ、人の言うなりになり、自分を責め、社会の道徳や決まりを必死に守ってきました。このように、必死でしがみついてきたものから、少しずつ少しずつ自分を離してゆくと、自分には全く何もないことに気がつきます。でも、何もなくても、確かに生きをして存在している魂がある、とは思えます。ここが出発点なのかと感じています。 質問は、次の通りです。 いま、感情を感じ取る訓練をし、自分を中心に置き、自分の存在を感じる、ということを課題に毎日を過ごしているのですが、同時に、心がほっとするのでよく読む仏教の教えの中に、「自分への執着を手放す」というものがあります。物事はすべて変化するのであり、永遠絶対の価値があるものはない。すべての欲しがる気持ちを捨て、すべては無常、無意味と理解する、そこに苦しみから解放された無我の境地がある。間違っているかもしれませんが、このように理解しています。 自分の気持ち、感情をしっかり感じ取る、自分を大切にする、ということと、「自分への執着を手放す」ことが少し矛盾していうようにも感じられるのです。両方可能になる考え方はどういうものなのか、これについて教えていただきたいのです。どうぞ、よろしくお願いします。