Self-Realiのプロフィール
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- 登録日2010/06/05
- 思想としてのゴロツキやチンピラがのさばるのは ふつうにまともな人たちが
思想としてのゴロツキやチンピラがのさばるのは ふつうにまともな人たちが 一般に 亜流の思想を追い求めているからではないか? ゴロツキ等は 経験合理性にもとづいてものごとの認識や判断をみちびくことをしないその状態を言います。 亜流の思想というのは そのままでもありますが 特には クリスチアニズムという宗教となった思潮 あるいは そもそもブディズムは無神論としての信仰であるはずなのにこれをああたらこうたらいじくりまわしたその結果としての思潮を言います。 前者は 非思考の場としての個人の信仰が 教義を信じるという矛盾をかかえた組織宗教となった場合であり あるいは単に道徳規範としてしまいこれを抱き続けるということに変身した場合を言います。教義は 思考するものであり 信じるものではありません。倫理規範も考えるものであり 信じるものではなく その実践ということもそれだけでは 信仰そのものとは関係ありません。(ほかの宗教でも 道徳を説きその実践を奨励します)。 後者のブディズムについては ひとつだけその亜流の特徴を挙げれば。さとりが いま・ここなるわたしを離れたところにあると思っていることです。このへだたり・この時間差が 亜流であり チンピラの振る舞いと何ら変わらないと見なされることになります。少しづつだんだんさとりに近づくというのなら ゴロツキの成仏と変わらないということになるからです。 ご見解ご批判をお寄せください。
- 芥川の蜘蛛の糸
芥川の蜘蛛の糸 自治体主催のシニア芥川研究者の先生から、無論原点があるのだという解説がありました。 私は曽っては身の程知らずに変わり者、偏屈者で生きてきました。まぁ中学初学年くらいまで。 あまりの生き難くさに、折れに折れ、いつの間にか主体性もどっかに流れた、世の中に合わせた人になってしまった。(と自分では思うときもあります) 信仰(外国のある団体によるインド哲学の勉強と精進)みたいな事もやるなんて、まったく素直ななんでもない人になったかのように思っています。 ある人のために(一面おためごかしに)このOKWaveでも助言的投稿をして、後で、あぁ私はずいぶん偽善的だなと思いました。 そして私だったら、そんな投稿の助言など無視するだろうし、蹴っ飛ばすだろうし、ぐちゃぐちゃにするでしょう。 芥川の蜘蛛の糸。釈迦が犍陀多(カンダダ)に蜘蛛の糸を垂れる話ですね。 犍陀多(カンダダ)は素直に釈迦が垂れた糸を昇り始める。 でも、釈迦のいるところが果たして犍陀多(カンダダ)にとっては居場所たりうるか。 釈迦にとってはの、場所、世界ではなかろうか? 第一そんな糸になんか依拠しないで、自分で自分の行くところに行くワイ、とでも思わなかったのであろうか? 無論、誰だって先人の教えや知識、そして経験がどんなに大事かは知っていますが。 あまつさへ、後に続く人を蹴落とすとか。そんな一般的、世界宗教や信仰ってなんなんだ。と思いました。 日本に世界宗教が云々とか。 所謂る世界宗教とかいうものがしてきたこと、その信仰内容のなんと胡散臭い事か。 それが単に民俗信仰の中に居るうちはなんとか体裁も保てていたが。世界宗教なんてされてかの諸悪と罪悪の限りなさを思います。 これに反し、日本人の心性と宗教性、言語とコミュニケーションの基盤の秀抜性くらい素晴らしいものが世界のどこにあるかと思います。 私は世界宗教の胡散臭さと仏教はともかく、蜘蛛の糸の偽善性に吐き気を催うします。 そういうことで行き着いたのが42ほどやっている、インド哲学の考え方と行精進です。 ご訪問の各位は 1. 迦の蜘蛛の糸が偽善だと(文学のことではあるが、)いう側面を否定しますか? 2. http://okwave.jp/qa/q6080113.htmlのご質問にも出てくる、世界宗教というものに対して、一般に胡散臭さというか、片腹痛さを感じませんでしょうか? つまりそんなものが世界のどこかで世界宗教とされていても、人数が多くても、少しも世界性などはないし、宗教性などは欠陥だらけだと思いませんでしょうか? 世界宗教なんて用語使用が間違っている、と思いませんでしょうか?
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- 哲学・倫理・宗教学
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖
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- 《およそ穢多の身分は平民の七分の一に相当》
《およそ穢多の身分は平民の七分の一に相当》 ◆ (高橋貞樹:被差別部落千年史) ~~~~~~ 安政六年 江戸の山谷(さんや)の真崎稲荷の初午の祭礼の日である。浅草亀岡町の穢多が一人参詣のために稲荷の鳥居をくぐった。山谷の無頼漢はこれを見つけて ――穢多が神詣りに来た 汚れる汚れる。 と連呼し若者大勢を呼び集めて喧嘩を吹き掛けた。穢多は言い放った。 ――俺だって人間だ。神詣りするに何の不思議があるかい。 ところがいいも終わらぬうちに ――畜生だ! 殺してしまえ! と叫びながら 寄ってたかって袋叩きにしてついに殺してしまった。これを聞いた部落のものは煮えかえるような痛憤を感じた。弾左衛門は下手人の処分を時に願い出た。しかし日を経ても何らの音沙汰もない。度々催促するとやっと白洲が開かれた。このとき奉行池田播磨守はいう。 ――およそ穢多の身分は平民の七分の一に相当する。穢多七人を殺すに あらざれば 町人一人の下手人を出すことはできぬ。 弾左衛門は抗弁したが駄目であった。 ―― 一人の下手人が欲しくば あと六人殺して来い。 これが最後の判決であった。 穢多七人に平民一人 一人の下手人が欲しくばあと六人殺して来い! 弾左衛門は涙で黙した。部落の民も沈黙を守った。しかも武士階級に絶対服従した当時の江戸の民は これを《名裁判》として賞め讃えた。まことに人間のあさましさを語るものである。 (沖浦和光校注 1992 pp.141-142) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《非人》という言い方もありますが 穢多はそれでも存在の《七分の一》は 《人間》であったか。という感慨を持ちます。いまそれは措いて そして時代の違いを見なければなりませんが この事件やそれを招きかねない社会の情況について 何がわるいのでしょう? 1. 《人間のあさましさ》 2. ひとえに封建身分制。民主制以前。 3. 《あさましさ》と言うよりも 付和雷同性もしくは思考停止という状態。 4. 革命を起こすという気概の無さ。 5. そのほか。 5. 何もわるくない。
- 《およそ穢多の身分は平民の七分の一に相当》
《およそ穢多の身分は平民の七分の一に相当》 ◆ (高橋貞樹:被差別部落千年史) ~~~~~~ 安政六年 江戸の山谷(さんや)の真崎稲荷の初午の祭礼の日である。浅草亀岡町の穢多が一人参詣のために稲荷の鳥居をくぐった。山谷の無頼漢はこれを見つけて ――穢多が神詣りに来た 汚れる汚れる。 と連呼し若者大勢を呼び集めて喧嘩を吹き掛けた。穢多は言い放った。 ――俺だって人間だ。神詣りするに何の不思議があるかい。 ところがいいも終わらぬうちに ――畜生だ! 殺してしまえ! と叫びながら 寄ってたかって袋叩きにしてついに殺してしまった。これを聞いた部落のものは煮えかえるような痛憤を感じた。弾左衛門は下手人の処分を時に願い出た。しかし日を経ても何らの音沙汰もない。度々催促するとやっと白洲が開かれた。このとき奉行池田播磨守はいう。 ――およそ穢多の身分は平民の七分の一に相当する。穢多七人を殺すに あらざれば 町人一人の下手人を出すことはできぬ。 弾左衛門は抗弁したが駄目であった。 ―― 一人の下手人が欲しくば あと六人殺して来い。 これが最後の判決であった。 穢多七人に平民一人 一人の下手人が欲しくばあと六人殺して来い! 弾左衛門は涙で黙した。部落の民も沈黙を守った。しかも武士階級に絶対服従した当時の江戸の民は これを《名裁判》として賞め讃えた。まことに人間のあさましさを語るものである。 (沖浦和光校注 1992 pp.141-142) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《非人》という言い方もありますが 穢多はそれでも存在の《七分の一》は 《人間》であったか。という感慨を持ちます。いまそれは措いて そして時代の違いを見なければなりませんが この事件やそれを招きかねない社会の情況について 何がわるいのでしょう? 1. 《人間のあさましさ》 2. ひとえに封建身分制。民主制以前。 3. 《あさましさ》と言うよりも 付和雷同性もしくは思考停止という状態。 4. 革命を起こすという気概の無さ。 5. そのほか。 5. 何もわるくない。
- 選挙違反ではないですか?
選挙違反ではないですか? 投票日当日の今朝、某政党の後援会と名乗る人から電話があり、棄権しないで選挙に行ってくださいとの旨のことを言っていました。 そこまでなら、まぁ問題にする気もないのですが、~党はXXXXのために○○○しますみたいなスローガンみたいなものを言ったので、それはどうかなと思う次第です。 党自体ではなく後援会の人が言ったことであれ、これは公職選挙法違反にならないのでしょうか? 識者の方、よろしくお願いいたします。