luukmeewのプロフィール
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- 裁判員である女性が『人殺しー!!』と叫ぶ裁判の質は
ご高覧ありがとうございます。 石巻殺傷事件では、被害者女性と同性である裁判員制度で抽出された 裁判員が裁定中に『人殺しー!!』と泣き叫んで裁判長指示で刑務官に退場させられる場面がありました。 (因みに彼女は被害者とは何の関係もありません。確かに彼は人殺しの容疑で 裁判しているのは紛れもない事実ですが) でも、一裁判官としての立場、責務もある筈です) 裁判員が、このように最初から被害者サイドに立っていること自体おかしなことだし 増して感情的であるというのは公正さという観点からも論外のような気もします。 更に、、加えて言えば感情的になりやすい女性を裁判員として採択する現在の 司法制度にも現実的に少し無理があるのではないでしょうか? 素人の女性に凶悪犯罪の裁判は、精神的な負担が余りにも大き過ぎます。 これでは公正な裁判が行われてないような気がします。 可哀相か可哀相じゃないか、憎いか憎くないかだけで裁判員として重要な裁定をしたら まずいのではないかと思います。 何の為の裁判員制度かも分からなくなります。 皆さんは、この裁判中の言動どのように思いましたか? 私は、正直かなり疑問に感じました。 ご意見等、お伺いさせて頂ければ幸いです。
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- 最近は、なぜ若い女性の方が好奇心旺盛でアクティブなのですか?
最近は、なぜ若い女性の方が好奇心旺盛でアクティブなのですか? それに、最近は若い男性よりも若い女性の方が好奇心旺盛で元気で アクティブだとよく聞きます。なぜでしょうか? 何か最近街を歩いていても若い女性の姿ばかり目立ちます。 最近どこもかしこも若い女性ばかりです 昔に比べて、男性向けの店(ファッションショップなど)や男性が楽しめる娯楽施設は増えたと思います。 なのに、若い女性の姿の方が多いです これを言うと、女性の方が群れるのが好きだからという答えが予想されます。 しかし、1人でいるのも女性の方が多い気がします。 群れるといっても2,3人程度が多いです。 それに男性は1人で行動する人が多いなら、1人で行動する男性ばかりがたくさん集まると言う風に なると思うのですが。 私は、乗り物や現代史に関心があり関連の場所(博物館、産業遺産、モニュメントなど)によく出かけます。大学生くらいの若い男性は少ないです。多いのは、親子連れか中高年おじさんです。若くて30代半ば以上の人ですね。 それに、交通機関を利用していても駅で見かける若い人は女性のほうが圧倒的に多いです。 最近、山ガールという山登りに、はまる若い女性が増えたらしいです。 それに、若い女性の間でパワースポットがブームらしいです。 さらに戦国関連のスポットも若い女性人気です。 何か若い女性の行動エリアはどんどん拡大している気がします。 なのに、若い男性の行動エリアはあまり拡大しているように見えません。 なぜですか? 男性が楽しめる(もしくは男性の方が楽しめる)スポットはたくさんあります。 大学生の男性なら時間も十分にあるのに。 なのにいろんなものを見たいとか触れたいとか思わないのでしょうか? 私みたいにいろんな所へ出かけたいと思う若い男性は今や少ないのでしょうか? 写真は、今年所沢に行った時のものです。 航空公園にある航空自衛隊の輸送機C-46です
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- 「trillion」の数値が英米で違う?
「trillion」の数値が英米で違う? 「trillion」を辞書で調べていたのですが 1 1兆 2 〈米〉10の12乗 3 〈英・独〉10の18乗 などと書いています。と言う事は英米で使い分けて使用しなければいけないと言う事でしょうか? それとも正確に伝える為には違う表示方法があって其方の方が常識とかそういった事は無いのでしょうか。 なんかしっくりこないので質問させて下さい。 どなたかよろしくお願いします!
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- ディベートの必修化?
ディベートの必修化? ある雑誌で、 数年前、全国高校ディベート大会(正式名称は忘れました)で 優勝したという大学生が、 「ディベートを義務教育で必修にすべき」と訴えていました。 ・小論文や弁論は、主張が一方通行だからダメ ・それに比べてディベートは、相手と向き合いながら生で主張するから良い。 ・更にディベートは、相手の立場に立ってものを考える習慣が身に付くから良い。 私は、特に3番目の主張が納得できません。 相手の立場になってものを考える事自体は、とても重要だと思います。 しかし、ディベートで培われる「相手の立場に立ってものを考える習慣」は、 例えば、将棋などでいう相手の次手を読む習慣、 どちらかと言うと、相手に対し先手を打って、勝つ為の習慣です。 私が義務教育(つまり子供のうちに)で培うべき 「相手の立場に立ってものを考える習慣」は、 相手と歓びや悲しみを共有する、思いやりのようなものだと思うのです。 ディベートで培われる「相手の立場に立ってものを考える習慣」は、 それとはやや異質なものなので、少し違和感を感じる次第です。 勿論ディベート自体は、やりたい人は大いにやって良いと思うのですが、 この学生が言うような理由で、義務教育で必修にすべきだというのは、 皆さんはどう思われますか? 因みに哲学者で大阪大学総長の鷲田清一氏は、 「多文化共生」に不可欠なのは「対話」であり、 「ディベートではなく、ダイアローグとしての対話が必要だ。」 と主張されています。
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- noname#120141
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