kazu-chi の回答履歴
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- 国語の音読
小学校2年の音読の宿題に谷川俊太郎の「いるか」という詩が課題としてでました。 親がこどもの音読を聞いて採点をするのですが、 その採点基準もわからないし、 どういうふうに音読させるべきか、というのもとても難しいと思います。 悲しい文章なら、その主人公の気持ちになって読めとか、 自然を表現している文章なら、その場所にいる感じで読めとか言えるのですが、 「いるかいないかいないかいるか」と言う時に、いるかを探している気持ちになれ というのは違うような気がします…。 また、 この詩がいわゆる言葉遊びだということは理解していますが、小学校低学年という時期に、言葉を愛でるのではなく、遊戯にしている歌を教えるのはどうかと頭をかしげてしまいます。 国語はまず、花鳥風月や、人間の感情を扱った作品を専らにすべきであって、 言葉遊びのような、言語に対する不信が表面化した記号論が一世を風靡した時代の思潮を受けた作品をこどもたちに紹介するというのは、どういう意図なのでしょうか。 親としては、教師がその作品に惚れこんでいるのならば、そういう教育もありだとは思うのですが、担当教師も、谷川俊太郎は有名な詩人であり、すばらしい作品だと言われているということしか、説明できませんでした。 「ずいずいずっころばしごまみそずい」と 「いるかいないかいないかいるか」は 語呂的にはとても似ているが、思想的には決定的に違うと思うのです。 こうした国語教育をしている背景を知っている方、もしくは合理的説明ができるかたはお教えいただきたく…。