dorirutink の回答履歴
- 哲学と言葉
哲学というのは言葉で表現するので哲学と言語は切っても切れないような存在ですよね? 頭で思考している間も言葉で思考していることがほとんどだと思います。 けれど言葉になかなか表現できないような、現在の言葉では補いきれない思考などが浮かぶこともあります。 私は哲学に関して専門的な勉強はしていないので是非哲学を専門に学んでいる方達に教えてもらいたいです。 歴代の哲学者達の本など(入門書に近いものですが)読んでみると、“言葉を数式のように扱い、答えを説いていく”と感じるような文章が予想以上に多くて、数学者に似たようなものを感じました。 数学者の方達も数式を解く時、提唱する時、数式はイメージ、ヴィジュアル、直感で浮かび、またそれを直感で解けるもの、解けないもの(存在し得ないもの)との区別感じとり、解けると感じたものを信じてその数式に挑んでいくと聞きます。でもなんとなく理解できますよね? 漠然としていて文章もめちゃくちゃなんですが哲学者と数学者は結局同じことをしているように感じます。 はっきりとした違い、境界は何かを教えて欲しいです。 どんなめんからでもいいので根本的な違いを教えてください。 酷い質問の仕方でスミマセン。よろしくお願い致します。
- 「人生で一番大事なのは金である」を論破していただけないでしょうか?(するにはどうしたらよいでしょう?)
こんにちは。 「人性で最も尊ぶべきものは?」という議題において、持論の確立の為に金だという答えを論破したいのですが、どうもうまいことまとめられません。どうしたらよいか、皆様ならどうするか、お聞かせいただけないでしょうか? ただし、「金が一番大切ならば金は使えない」というのは無しでお願いします。 なぜなら、金の価値というのはそれがあれば多くのモノを手に入れることができる普遍性にあると考えるからで、つまり金とはなんらかのモノに使う前提があっての存在だと思うのです。 では、お願いします…
- 人生とは
以下の文章、表現の誤謬があったり、言葉足らずな部分があるかもしれませんが、ご了承ください。 自分は今年大学受験を控えている高校生ですが、人生について皆さんからの意見を頂きたく思い質問している次第です。 そもそも自分がこの様なことを考えるきっかけとなったのは倫理を独学で学ぶ中で、人生について興味を持つようになったからです。もちろん、倫理を学ぶと言っても所詮は受験レベルですし、私自身はまだまだ人生経験は浅く、見識も狭いですが、自分の人生に対する考えの結論は厭世主義的な結論に辿り着きました 独自の考えですが、誰しもが自らの生きる意味は無いとわかっているのではないでしょうか?所詮、生まれてきて、死ぬのも嫌だから皆生きているだけではないでしょうか?ただ「自己の生きる意味」の否定は自己の存在の否定になるため、皆、楽観的に人生を捕らえ、勉強・勤労などをして、「自己の生きる意味」の否定を避けながら過ごしているのではないでしょうか? 私自身も悲しいことに人間として生まれている以上、煩悩に束縛され、さまざまな欲望はありますが、それらも少し離れたところから見ると、とてつもなく空しくなり、人間として生まれたことを厭うばかりです(もちろん人間以外が良いとも思いません) 今のこの理不尽で空虚な世界を生きる意味とは何なんでしょうか?何のために人は生きなければならないのでしょうか? 烏滸がましくもこの様な雑で傲慢な文章を書いた私に少しでも皆さんの意見を与えていただけると幸いです。