terica の回答履歴

全1件中1~1件表示
  • 本文のどこが正解になっている??

    問・次の文の趣旨として妥当なものはどれか。 政治学をどのようなものとしてとらえるかについては、古来、多くの議論の積み重ねがある。確かなことは、一つの出来合いの製品があり、それを覚えればよいといった事情にはないことである。さしあたり言えることは、政治学政治における「合理的なもの」への関心と究極的に結びついていることである。そして、この究極的な関心に対する回答は、政治学の長い伝統が示しているように、地域によっても時代によっても、実に多様な姿勢をとって現れた。同じ地域の同じ時代をとってみても、厳密な意味でのコンセンサスを見つけ出すことはできない。  その上、政治について「合理的なるもの」を問うことは、極めて逆説的な意味をもたざるを得ない。つまり、政治は誰でもわかるように、人間にとって目に見える、一定の具体的状況の下での、他者を前提にした行為であり、およそ、観念的な意味での合理性とは両立しない性格を備えている。古来、合理性の追求は絶対性、普遍性、超越性を追及することと結び付いていたわけであるが、政治はこれと端的に異質な現象性、偶然性、有限性と不可分な行為にかかわっているからである。ここに政治において「合理的なるもの」を求めることの問題性が示唆されている。それゆえ、政治学の歴史においてはこうした政治的実践の限界を突破し、その間尺を超えた合理性の追求が行われたのであった。絶対性、普遍性、超越性を備えた政治秩序の追及は、政治における「合理主義」の問題を生み出した。1989年の革命によって崩壊したマルクス・レーニン主義はこうした合理主義の末裔である。  こうした絶対性を模索する政治的合理主義は、人間の政治活動にかかわる偶然性、不安定性、有限性を克服しようという根深い願望から出てきたものであった。西欧政治哲学にはそういた伝統がプラトン以来、連綿として続いているという指摘もある。実際、人間生活の「うつろい易さ」「はかなさ」にいかに対処すべきかは政治にとまらない問題であったが、それへの社会的・政治的応答が繰り返し発生するのも避けられなかった。地上に永遠の価値を持つ、永続的な秩序を樹立しようとすることがいかに大きなエネルギーを引き出してきたか、忘れるわけにはいかない。 僕のまとめ ☆政治というもの=現象性、偶然性、有限性と不可分であり、合理性とは両立しないもの ☆ところが人間は、それを克服しようという願望から、合理性を追求するようになった 選択肢&僕の考え 1.(×)政治は、個別の偶然性を有する問題に対して合理的な回答 を提示するという二律背反を内包しているため、いかに努力してもその実現は不可能に近い。←政治は合理性を持つものではないから違う。 2.(×)個々の具体状況の中から現象性、偶然性、有限性といったものを排除することで「合理的なもの」の確率をはかるのが政治の本質であるが、それに普遍性を与えることには非常な困難をともなう。 ←政治の本質は現象性、偶然性、有限性であり、合理性は、単に人間が勝手に求めだしたものだから本質ではない。 3.(×)政治とは、現象性、偶然性、有限性と絶対性、普遍性、超越性の調和をはかり、永続的な秩序の形成をめざすものであるが、そのためには膨大なエネルギーを要する。←有限性と絶対性、普遍性=合理性は、人間が勝手に求めだしたものだから違う。 4.(×)現実における個別的状況の現象性といったものにとらわれることなく、普遍的な合理性の追求をしなければならないというところに、根源的な政治の課題がある。←2段落で「ここに政治において「合理的なるもの」を求めることの問題性が…」とあるので、これが正解だろう。 5.(○)政治は、本源的に未確定な要素を持つ人間活動に対して普遍性を有する合理的回答を与えるという大いなる矛盾を抱えているが、一方で、その実現に向けた努力が社会を突き動かしてきたという一面もある。←政治は合理的なものでないのだから、「合理的回答を与える」というのは間違っている。 僕の考えの何が間違っているのかわかりません。本文には書いていないことが選択肢になっているので、問題が解けません。

    • noname#92953
    • 回答数2