• 締切済み

なぜ生きるだけでお金がかかるのか

人はなぜ生きているだけでこんなにもお金がかるのでしょうか。 20代です。働く理由はお金のためです。 欲しいものを買い、自分を幸せにしたい。 そのためにお金が必要だから働きたくないけど毎日働く。 なのに屋根のある家で眠りたいから家を借りて毎月固定で収入の3分の1が消え、住み続けたいから更新料を更に上乗せで払う。 生きるために料理をして、衛生のためにお風呂に入り光熱費が消え、 これがなくては将来子どもを産めないからと毎月の生理のためにナプキンや薬を買い数千円が消える。 その上住民税や保険料などで少ない給料から否応なしに更に数万円が引かれている。 これが払えないと犯罪者になる。払えなければブラックリストに入り選択権がなくなる。 生きていくのがやっとで貯金もできません。 いま結婚しても結婚式を挙げるお金もないし子どもも満足に育ててあげられない。 なんのために働いているんだっけと時々立ち止まってしまいます。 ふと、働いて稼いだお金を自分のため以外に使っていることが多い気がしてきました。 これはどう自分に返ってくるものなのでしょうか。 いつ返ってくるのでしょうか。

みんなの回答

回答No.8

人は幸せになろうとするのではなく、幸せだと人に思わせるために苦労しているからだ

回答No.7

友達に完全に自給自足で生きている人もいるので 、貨幣経済の中に身を置かなくても生きてはいけ ます。 欲しいもの、幸せ....これは価値観なんですよ。 貨幣経済の中で金の奴隷にならざるを得ない生き方 を選んでいるので、単に金が掛かっているだけなの です。 お金が殆どいらない生活をすれば良いだけで、そこ に便利さや快適性を求めてしまうと、金などいくら あっても足りません。 山の中に住んでいて、間伐材を無料でもらってきて、 自分で乾燥させて薪にして、それをジモティーで売っ て稼いでいる人もいます。 欲しいものを制限すれば金は溜まります。 ナプキンも別に使わずに、月経コントロールと言って、 経血を外に出さないように骨盤底筋を鍛えて膣内に溜 めトイレで排尿時に一気に出す方法もあります。 ナプキンを交換せずに、一日1枚で過ごす人もいます。 月経カップもあるし、やたらナプキン、ナプキンとテレ ビなども騒ぎますが、ナプキンしかない訳じゃないんで すよね。 お金を浮かせたければ常に努力や工夫が必要です。 そういう努力をしないで安易に物事を進めようとする からお金が必要なのは当然です。 山奥の限界集落みたいなところに行って、空き家を借り 味噌も醤油もすべて自家製で畑や狩猟で生活する方法だ ってあるのに、あなたは文明の中でお金の掛かる生き方 を選んでいるだけです。 スマホとか無くても生きていけますよ。 でも、そういう生き方はしたくないんでしょ? だったら、今の生活に甘んじるしかないですよ。

  • dolce0000
  • ベストアンサー率22% (217/951)
回答No.6

>毎月の生理のためにナプキンや薬を買い数千円が消える なぜ使い捨てナプキンが当たり前のように書くんでしょう? 私は数十年前から布ナプキンを使ってますし、それすら高いと思う人は自作しています。 中に吸収体の入ってるものは、出血多量で普通の紙ナプキンが使えない人にも好評です。 買い揃えるには数千円かかりますが、「毎月」数千円かかるのに比べたら桁が違うでしょ? 質問者さんて、お金がないアピールする割に、お金がかからない方法をたいして調べもせず、自分の無知や努力不足まで世の中のせいに転嫁してるようにも見えます。 辛口言いますと、今の若者の不平不満のよくあるパターンです。 >結婚式を挙げるお金もないし これも昔はみんな手弁当でやってましたし、最近も自宅の和室で、手作りの飾りつけ、食事は近所の普通のお弁当屋さんの安いお弁当を買ってくる、普段着の披露宴の写真が話題になりました。 たぶん1万円もかかっていないでしょう。 質問者さんは、商業主義を批判しながら、自分自身が商業主義的な利便性やイメージの良さにどっぷりつかってて、その恩恵は手放したくないのに自分は対価を払う気がないご都合主義のように見えます。 本気でコストをかけたくないなら、それの代わりに自分で時間をかける、人脈やしがらみという別の対価を払えばいいのに、それはしたくないという・・・・単にワガママの側面もあるのでは? 引っ越しや冠婚葬祭が昔は手弁当だったと書きましたが、だから昔はオンオフの切り替えがなかったです。 仕事が終わってからも、誰それさんの引っ越し~とか、結婚式~とか、そういった名もなき雑用?が沢山あるのが普通でした。 これを今持ち込んだら、ブラック組織になっちゃいますよね?仕事が終わってからも無給で束縛されると言って。 そして出前だとか外食の店も今ほど競争がないので、極端に高くマズイということも、田舎ですと頼んでも数時間かかることもザラだったから、せっかく手伝いに来ていただいてそんなことはできないと、家の奥さんや娘さんが昼食、間食、夕食を提供することも当たり前でした。 今ならど田舎にしか残っていない、ディープで面倒な日常が、昔の日本のどこでもよくある風景でした。 >なんのために働いているんだっけと時々立ち止まってしまいます。 お金を払いたくないなら、今の分業制や商業主義で受けている恩恵を手放せばいいだけです。 手作り結婚式では近所の人が「結婚おめでとう」と毛筆で書いた紙や、折り紙で作った輪っかで飾り付けしてました。 そんなのダサいとか、そんなディープな人間関係や日常は面倒くさいと思う人が今は大半だと思いますが、その部分が貨幣経済、商業サービスに代替され、その分のコストが上乗せされているだけなんですよ。 むしろ今は、商業主義の利便性も、商業主義と距離を置く選択肢もある分、恵まれていると思います。

  • iwashi01
  • ベストアンサー率17% (187/1051)
回答No.5

まあ、誰かを養っているわけでもなければ、 自分のためにお金を使っているだけですよね。 稼げていないから、足りないだけで。 多く稼げるようになるしか、ないですね。

  • dolce0000
  • ベストアンサー率22% (217/951)
回答No.4

マルクスの言う、労働の再生産コストのこともあるかと思います。 またNO.2さんの書かれていることもマルクスは言ってます。 分業制が進むと社会は自由にもなるけれど、進みすぎると今度は労働者が生産手段を奪われ、どっちも一長一短です。 今の世の中は貨幣が支配する空間が大きくなっていて、たとえば引っ越し、冠婚葬祭なんか最たるものです。 今どき上司から、葬式や引っ越しに駆り出されたらびっくりするでしょうけど、昔はほとんど友人、職場、親戚間でやってたんですよ。 だからお金はかかりませんでしたがその代わり、人間関係に非常に縛られ、私なんかはすごく窮屈で理不尽に感じたので、まだ今のほうがマシだと感じます。 つまり今なら職場は職場、親は親と割りきれるけど、親戚ガチャ、職場ガチャ、地域ガチャに失敗したら、今みたいに他人と自分を比較する情報もなかったし、一生そこから抜けられない可能性が高かったんです。 だからお金のことで消耗するか、人間関係のしがらみで消耗するかの違いですね。 お金が稼げない人は昔のほうが良かったと言いがちだし、環境が不利だった人は今の方がマシと言いがちです。

noname#261481
noname#261481
回答No.3

自給自足みたいな生活が出来ない以上現金収入が必要です。 自給自足であれば衣食住全てを自分で調達する必要があります。 それが出来ないならこそお金を払ってやってもらったり既製品を買ったりするわけです。 実際ほとんど現金収入がないような自給自足生活を送ってる人も僅かですが日本でも存在します。 畑を耕し、家畜を育て、家を建て…全てを自らの手で行うのです。 彼らはお金も無いけど不幸だとは言えないのではないですかね? 少なくとも我々より精神的にが豊かだと感じます。

  • DESTROY11
  • ベストアンサー率23% (804/3490)
回答No.2

自分でやることを他人にやってもらっているからです。 他人の所有する土地に住まわせてもらうから対価が必要。 屋根のある家を作り、整備を他人にやってもらうから対価が必要。 ガス水道電気の安定した供給を他人にやってもらうから対価が必要。 食糧調達を他人にやってもらうから対価が必要。 医薬品の開発や製造を他人にやってもらうから対価が必要。 ゴミの処分を他人にやってもらうから対価が必要。 遠方で生産された物資を近所に運ぶのを他人にやってもらうから対価が必要。 外部の脅威から守るのを他人にやってもらうから対価が必要。 街に住み、安全で便利な生活を送る時点で自分に返ってきています。 他人の手助けを得ず、完全自給自足で生きていくならオカネは必要ありません。

回答No.1

政府の効率がとても小さく、さらに無駄遣いをしているから。法律も間違ってるし。

関連するQ&A