• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:英文を御訳し下さい。)

The Authority of Science in Political Discourse: Truth Claims vs Convention

このQ&Aのポイント
  • The authority of science in political discourse is not merely a matter of convention but also involves truth claims.
  • A strong tradition in science, dating back to Descartes, acknowledges the importance of adopting a correct method of inquiry to find truth.
  • Some argue that methodologies of science are structured to turn culture into nature, which involves lying about their own powers and capabilities.

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10004/12512)
回答No.2

●「質問者からのお礼」を拝見しました。 >冒頭の部分ですが,「科学の権威が単に慣行の問題で,真理主張の問題でないというのは,明らかに行き過ぎである」の方が正しいように思われますが,如何でしょうか? ⇒あ、おっしゃるとおりです。失礼しました。 「政治的な言説において、科学の権威は真実の主張ではなく単に慣習の問題であると言えば、それは明らかに行き過ぎである。」 以上のように訂正してお詫び申しあげます。

jubu
質問者

お礼

ご返信有難うございます。 安心致しました。 感謝申し上げます。

その他の回答 (1)

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10004/12512)
回答No.1

>To say that the authority of science in political discourse is merely a matter of convention, and not of truth claims, obviously goes too far. A strong tradition in science going back to Descartes and even further identifies the capacity to find truth with the adoption of a correct method of inquiry. John Schuster emphasizes this aspect when he characterizes methodologies of science as "discourses so structured that they necessarily lie about their own powers ahd (→and) capabilities in the interest of turning culture into nature. " 上記英文を御訳し願います。 ⇒一部前便の回答とダブるようですが、それも含めて、以下のとおりお答えします。 (訳文) 《政治的な言説における科学の権威と言えば、それは真実の主張ではなく、単に慣習の問題であり、明らかに行き過ぎである。科学における強い伝統はデカルトにまで遡り、さらに正しい調査方法の採用(こそ)が真理を見出す能力である、と認定する。ジョン・シャスターは、科学の方法論をして「文化を自然に変えるようにしたいため、自らの力と能力について必然的に嘘をつくように構成された言説」であると特徴づけ、この局面を強調する。》

jubu
質問者

お礼

いつも有難うございます。 さて,冒頭の部分ですが,「科学の権威が単に慣行の問題で,真理主張の問題でないというのは,明らかに行き過ぎである」の方が正しいように思われますが,如何でしょうか? 尚御教示下さいますようお願いします。

関連するQ&A