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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:善悪と正義感を俯瞰的に見たい)
善悪と正義感を俯瞰的に見たい
このQ&Aのポイント
- 清掃の仕事があるからといって、道にゴミのポイ捨ての習慣がある国に対して、今の日本と比較してポイ捨てに関して善悪で捉えるのは野暮ですか?
- 全ての選択には必ず負の側面と正の側面があると言いますよね。例えば生活がより快適になる一方でそれにより失われる仕事があるのは避けられません。とはいえ仕事を失った人も私生活では快適さという恩恵を受けられるわけで、新たなニーズなり才能を探す選択肢も無いことはないですが。
- ポイ捨てが問題にならないシステムが整っている国に対して、宗教や文化などと勝手に照らし合わせて善悪で考えないにはどうしたらいいでしょうか?もっと更に俯瞰した視点を取り入れたいです。勝手に日本は清掃に関してはかなり進んでいると思ってます。ゴミのポイ捨てによって自分の事故に繋がる恐れや、ゴミの持ち帰りやゴミ拾いによって景観を保ちたいという考えは偏った正義感の違いなのでしょうか?仮に自分のゴミは持ち帰る法律が出来ようと、植物がある限り花びらや枯葉など清掃場所は減らないので仕事はなくならないと思います。
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質問者が選んだベストアンサー
「俯瞰」ですか…、 「義」という漢字一文字の意味で考えてみては如何でしょうか? 「正義」「義理」「義務」「礼儀」など、それぞれの捉え方で観点も変わるかと思います。 宗教、法律、人との関わりなど、 時と場合でも変化します。 例えば「清掃の仕事」でも、仕事以外なら当事者はどうするのか?…とか。 「俯瞰」とは、 離れた位置から「部分部分の違いと関連性」を把握する事で「全体的な一致性」を見出だす事にあるので、 その辺りの観点から考えてみるのが良いかと思います。 以上、回答というより、 一つの捉え方、考え方の参考意見という事で。
補足
ご回答いただきありがとうございます。 >例えば「清掃の仕事」でも、仕事以外なら当事者はどうするのか?…とか。 仮に清掃業の方も「プライベートではポイ捨てします。」と答えていたら、それは文化なのだと思います。 回答いただいて少し自分の気持ちがわかった気がします。きっと清掃業の方に感謝できる自分はすごいと思いたいのだと思います。 または、清掃業の方に同情?する自分はきっと心が優しいというアピールかもしれません。 もしも私がポイ捨ての習慣がある国の清掃業者なら、多分一般市民に景観のためにゴミを持ち帰って欲しいと思わないかもしれません。 その上自分の子どもにも清掃業者さんや景観の為にゴミをポイ捨てしないように教育しないかもしれません。