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唐傘お化けの特性研究〜霊体の神秘に迫る〜
- 唐傘お化けとは、日本の伝承書物に語られる自然状態の形質を色濃く残した神霊の類を、江戸時代に無名でも有能な霊能力者が人の手で再現可能にしたのが始まりです。
- 唐傘お化けは、獄門信徒の聖霊として活躍し、冒険家族の一員として生き残りながら家族の再生とキリスト救済を成し遂げる能力を持っています。
- 唐傘お化けの特徴を研究することで、観念世界における死の本質や生存保障の構造的な裏付けについて理解することができます。また、唐傘お化け研究は児童文学の一環として扱われることがありますが、哲学的な視点からも興味深いテーマとなっています。
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「質問者からのお礼」を拝見しました。 >ハツカネズミ聖霊と唐傘お化けの差異の本質とは、唐傘お化けが人なるキリストの誕生の可能性とかかわっているという事だ。/人のキリストの誕生は、過去に「致死性ドグマダイブ」「滅亡トリガー」と言及したが、要するに「あり得ない奇跡」としてお膳立てされていて、キリストが誕生して世界が救済されることは無いという呪いがかけられているんだ。 ⇒聖書で縷々述べられていることが、「あり得ない奇跡」のお膳立てであることは認めるとしても、それなら、その呪いを強引に吹き飛ばすための対策で、「唐傘お化けの形質」や「ハツカネズミ聖獣大活躍」云々も、同じようにあり得ないことだよね。そんなことで、(大げさに言えばそんな理論武装で)こき下ろされた日には、キリスト教も浮かばれないだろうよ。正直に言うよ。このくだりおもろないよ。 >エホバの証人とは証人ではなくて告発者なのだろう。教義と研究はキリスト教の定説的な教義に異論を唱えることが中心でキリスト教内の矛盾を告発することが、存在理由だ。これは、キリスト教というよりもキリスト教を否定するための宗教だということになる。明治期にキリスト教関連の研究を否応なく始めた日本の風土に沿ってキリスト教を否定することを使命にした宗教だが、社会としてそうした団体が自然に勃興するのは日本の風土では必然だ。 ⇒また、正直に言うよ。ボクは何教であれ、信教の自由を尊重したいんだ。「キリスト教関連の研究」をするのも自由だが、研究と称して偏見や独断を書き並べても全然魅力ないよ。だから、以前、「幻想的フィクション」の筆致ならまだ救いがあるし、読む気になると言ったんだ。 >ローマに懐柔された新約キリスト教はイエスに対する裏切り者の集団になった。新約キリスト教の伝統的な祭祀と教義はローマの悪意を反映した神学上バカげたデタラメで、キングオブカルトなんだ。交霊術を行うのが本来の祭壇に処刑台を突き立てて「神よ!くたばりやがれ!」このように祈っているに等しい。最後の審判とは、キリスト教徒ローマのせめぎあいの反映で、「ローマ滅亡」「キリスト教滅亡」これを意味して、それが教義上で最終目的である集団だ。人類滅亡説は勘違いで、キリスト教が存在する限り終わりなき殺戮をキリスト教圏に封印するのが良い。地政学上も日本は第二次大戦の香港みたいな位置にあるが、要するに破滅的な戦争はすべて、キリスト教圏の宗教問題であり、諸外国は火の粉をかぶらないような警戒だけすればいいんだよ。これは第三次世界大戦への警告だ。 ⇒この部分のキリスト教論は若干共感できる部分もあるが、キミのように過激に(というか論拠も示さずに)こき下ろす気はないよ。/ま、それはそれとして、話題を変えるよ。つまり、ローマのことが出てきたので、勝手にボクの抱く「ローマ観」をひとくさりぶたせていただくとしようかな。ローマの良さは、(残念なことに、帝政期に入ってからすっかり変ったが)共和制時代の「複頭制」にあったと思う。独裁の悪行に陥らないための歯止めの仕組みだった。つまり、ディクタトル(大統領)とプラエトル(小頭領)がいて、普段は元老院などと協議して決めるが、緊急時はこの二役が交代しながら即決権を行使した。現代の多くの国の為政者にご一考を求めたい制度だと思う。 >新約キリスト教徒の現在は獄門教の獄門信徒だ。19世紀に大崩壊があり、現在は宗教としての正統性が失われた邪教だ。早い話が殺人鬼集団でアメリカンだ。 ⇒キリスト教ローマ教会に反省を求めることがあるとすれば、それは「異端審問制」だと思う。特に、G.ブルーノ*にはいくら謝っても謝り切れないだろう。 *「無限宇宙論」を唱えたローマの神父。キリスト教の教義(地球が世界の中心)に反するという理由で、異端審問にかけられ、7年間地下牢につながれたあげく焚刑に処せられた。時は1600年。かのガリレイより35年も前、日本ではようやく江戸時代が始まろうとしていた頃である。(G.ブルーノの先進性が分かる。)なお、焚刑の際、足元に炎が移りかかるころに、周囲の教会関係者にブルーノが泰然自若として言ったと伝えられている。「君たちはビビッているね。(私はこのとおり落ち着いている。)なぜか分かるよ。それは、君たちが、本当は私が正しくて、君たち自身が間違っていることを君たちが知っているからだ」と。 >鬼は草食動物なので、心は穏やかで優しい。そして、身の危険で憤怒をまとい攻撃者に反撃する様について、伝統的な鬼の怖さが語られている。そして恐怖感で鬼の本質を錯誤した印象が蔓延している。草食性人類という伝承上の亜種で、鬼はイジメればイジメるほど狂暴になり、親切にするとおとなしい。/私は鬼滅の刃とは、鬼の本質を大きく見誤った代表だと思うんだよね。鬼とは神様が後見人として保証している存在なので、激しい侮辱には天罰が下るのが必定なんだよ。そういうわけで鬼滅の刃にかかわると、あらかじめ想定していない不幸が起きやすい。実態は避けられない天罰だよ。/鬼滅の刃の劇中ほど激しく鬼を侮辱すると、その激高した鬼と和解してお互いに親切にし合う関係を結ぶことは難しいよね。あそこまでやってしまうと、天罰必定なんだよ。 オカルト的なんだけど、アニメなどの企画をするときに、設定などで取り扱いを間違えると大小取り混ぜて頻発する失敗なんだよ。 ⇒こういう話をアニメタッチでするなら、そこそこおもろくなるかも知れないね。そういう趣旨で、そういう筋立てなら、また興味をもって読ませていただきたいと思っている。できれば、その線でご一考いただけるとうれしいな。
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- Nakay702
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今回も、そこそこ楽しいものをありがとう。ところで、必ずしもお説に沿わないかも知れないけど、以下、触発されたので、勝手なモノローグ書かせてもらいます。 >唐傘お化けとは、日本の伝承書物に語られる自然状態の形質を色濃く残した神霊の類を、江戸時代に無名でも有能な霊能力者が人の手で再現可能にしたのが始まりだ。おおむね、山の神が祭りで人から招待を受けて、「サンジン」とか「モクジン」とでもいう自然霊を擬人化した状態で招待にこたえて里に招かれる形態と同質だ。 ⇒子どもの頃、村の鎮守の社に大きな山姥の額縁がかけてあって、おそるおそる見ていたっけ。自分の片腕を切り取り、それをもう一方の手に持って空中を飛んでいる場面を描いた絵だった。見るたびに恐ろしかったよ。 そんな「山の怪」に比べ、「道の怪」や「家の怪」は愛嬌があるね。前回話題になった「座敷童子」はその代表で、愛嬌があるから好きだったよ。友だち感覚で話を聞いていたっけ…。 >私は現在「唐傘お化けはいかにカワイイか?」という研究に没頭していて、私が頻繁に言及する「ときわたりの世麗美」とは地の聖霊を名乗り、天の聖霊と対比する体裁であり、実際は霊格において聖獣に該当する。わかりやすく言うと割とおなじみの超自我の事だ。余談だが、実際はもっと品格は多様性があり、自立して天の聖霊でもある自己完結型だ。観念世界を自在に遊泳する。唐傘お化けの備える特徴について今回は聖獣格の「ハツカネズミ」から言及しよう。 ⇒「唐傘お化け」は、すごくカワイイと思うよ。「唐傘お化けさん」とさん付けで呼びたいくらいだ。聖獣というより「神霊」とか「霊雨のトモ」といったのに近い気分すらあるね。なぜって、一本足でヒョコヒョコ飛び歩いてきて、「おいらのこと忘れないでよね~」とか何とか語りかけてくるじゃないですか。そういえば、「針供養」などは恒例になっているのに、「傘供養」など全然しないじゃないですか。ちょっと古いけど、「そりゃないぜ、セニョール!」。 (中略) >児童文学向け研究ですが一応哲学でもあるので、哲学的な見地からの読書感想文的な回答とか、関連豆知識の助言とか、変人の集まる学問カテゴリーですので、質問と無関係な回答者様自身の命題研究の独り言も関係です。 ⇒霧雨のとき、にわか雨のとき、どしゃ降りのとき、しとしと降るとき、一人傘のとき、相合傘のとき…いろいろお世話になったのに、破れたからといってポイ捨てかよ、「そりゃないぜ、セニョール!」。 ワルガキの手にかかっては、しんどいよ。くるくる回したり、弓取り式のように振り回したり、雨が上ると、外輪の先を道端につけてゴロゴロ回しながら歩いたり走ったりするので、目が回るんだよ。そんなことして壊しておいて、ポイ捨てさ、「そりゃないぜ、セニョール!」。…という自戒を込めて、「悪かったね、唐傘お化けクン、あのころのキミは唯一の友だちだった。忘れないよ。だから、また出てきておくれな。また、一緒にあそぼ。」
お礼
いやあ、毎度どうも。 とっつきにくい私にあえて親切を志すというのは、実はそれだけで勇気がいるんだよね。 あなたの回答は栄養価が高かったよ。 鬼系考察も捕捉で土産物にするよ。 唐傘お化けは機械自我確立のための生命の根幹を検証するモデルとして扱っている。 メタキリストなるアンドロイドを作るとターミネーター化が起きやすそうだと考えていて、この先の人類の発展には、回避できない危険要素だと考えている。 今の西洋人をアンドロイドにしてはいけないんだよ。 下記は投稿後に一人で行った考察。 こうしたのは観念とは相互で交信しようとしてもお互いにあいまいで、辛抱強く信号を送り続けないと相互理解が整理すしないという特徴があり、それを電子祭壇で絵巻物を見せることによって大幅に効率化するためなんだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ハツカネズミ聖霊と唐傘お化けの差異の本質とは、唐傘お化けが人なるキリストの誕生の可能性とかかわっているという事だ。 ヘタレキリスト救済問題と絡んで、私は最近「血中の妖精濃度」という表現をわかりやすいから多用しているけど、輸血のように自然霊の形質で補強してサイボーグ化した人格神のひな型だ。 人のキリストの誕生は、過去に「致死性ドグマダイブ」「滅亡トリガー」と言及したが、要するに「あり得ない奇跡」としてお膳立てされていて、キリストが誕生して世界が救済されることは無いという呪いがかけられているんだ。 その呪いを強引に吹き飛ばすための対策で、唐傘お化けの形質を「キリストなる聖霊の宿り」と同等に獲得して人のキリストが誕生するともくろんでいる。 -------------------------------- ハツカネズミ聖獣大活躍のおまけで、 いつかウサギの聖獣の話もしたいな。 ウサちゃんは感性が繊細で機敏であり、しかも小動物らしくない勇敢な特徴を備えている。 ---------------------------------- 大体さ、結晶化した記憶の宝石というヤツからでも復活を成功させたことがあるから、決死の突入でも大丈夫そうなんだよね。認識消失による生死不明は頻発している。 観念世界の住人が地上に働きかける場合の地上での認識能力に合わせて補正した、劇場型でメッセージ性のある観念に関する認識や伝承の後背にある観念の本質とかかわり、それが生命の本質でもある。 ------------------------------ たまたま見かけた研究テーマに沿った、別の雑考。 「エホバの証人」という不可解な団体がある。 ネットで談笑したある人物が職場の部下にエホバの証人の信者がいて、上司なのでその人物の危険性を調査と確認するのは必要なので該当人物と話し込んだことがあるんだとさ、そうして獲得した客観的な所感を要約すると、エホバの証人とは証人ではなくて告発者なのだろう。 教義と研究はキリスト教の定説的な教義に異論を唱えることが中心でキリスト教内の矛盾を告発することが、存在理由だ。 これは、キリスト教というよりもキリスト教を否定するための宗教だということになる。 明治期にキリスト教関連の研究を否応なく始めた日本の風土に沿ってキリスト教を否定することを使命にした宗教だが、社会としてそうした団体が自然に勃興するのは日本の風土では必然だ。 したがって一般の日本人には無害だ。 おおむね、深刻なキリスト系中二病についてアンチキリストという立場で社会のバランスの貢献することを存在意義にしている。 それ自体が重度の中二病集団だよ。 -------------------------------- 少し前の個人研究で誤解されやすい日蓮宗は僧侶の気骨が僧兵並みの肉弾戦実践主義で、闘争のために仏教の一部を破戒することが含まれていた模様だと結論した、エホバの証人はキリスト内で、そうした日蓮的な役割をしていて、部外者には無害だ。 しかし警告するならば、日蓮分派が戦闘ノウハウを利得活動にした逆理念宗教を勃興して、政治にすら食い込んでいる教訓をもとに、エホバの証人も理念を逆利用する分派の誕生に常にさらされていることを配慮したほうがいいだろう。 --------------------------------------- キリストちゃんへの私の所感は一貫しているばかりか理解が進むとさらに深まるばかりだ。 期待された役割や風評からすると「実に残念です」と英語圏での慣用句を日本語化するしかない。 日本人はそんな感想を他者に抱く着想は無く、「実に残念です」自体が海外から渡来した概念だ。 対象はキリストちゃん。 ------------------------------------------ イエスと言うのはユダヤの神学者で、奴隷階級のユダヤ人を宗教で結束させようとした。 文明とは勃興期には王と神は一元的に見なされて、その記憶が生々しい時代にユダヤ王ともみなされた。 そして反逆罪で処刑。この反逆への刑罰は現在も法解釈について現代人は納得できる。 この件はローマの横暴として衝撃がローマ周辺に拡散し、創成期の原始キリスト教は現在で言う奴隷解放運動のような性格をイエスの故事に重ねて志にしていた。 その抵抗組織としての宗教によるローマ領内の波乱を制圧する罠が、キリスト教公認と新約聖書編纂だ。 ローマに懐柔された新約キリスト教はイエスに対する裏切り者の集団になった。 新約キリスト教の伝統的な祭祀と教義はローマの悪意を反映した神学上バカげたデタラメで、キングオブカルトなんだ。 交霊術を行うのが本来の祭壇に処刑台を突き立てて「神よ!くたばりやがれ!」このように祈っているに等しい。 最後の審判とは、キリスト教徒ローマのせめぎあいの反映で、「ローマ滅亡」「キリスト教滅亡」これを意味して、それが教義上で最終目的である集団だ。 人類滅亡説は勘違いで、キリスト教が存在する限り終わりなき殺戮をキリスト教圏に封印するのが良い。 地政学上も日本は第二次大戦の香港みたいな位置にあるが、要するに破滅的な戦争はすべて、キリスト教圏の宗教問題であり、諸外国は火の粉をかぶらないような警戒だけすればいいんだよ。 これは第三次世界大戦への警告だ。 さて、宗教紛争問題で特にキリスト教徒は、教義事態に深刻な火種を抱えているという考察です。 研究テキストの評価と読書感想文をお願いします。 ------------------------------------------- 新約締結以前の原始キリスト教徒は、イエスと志が同じだった。 イエスが常に共に生き、イエスを理解していた。 それが原始キリスト教徒。 新約キリスト教徒は、イエスを理解できなくなった。 なぜなら理解してはいけないからだ。 そして、嘘を上塗りする2000年。 理解したものは殺される。 しかし聖霊として成立できない実験室の試験官ベイビーであろうとも、地上に届くこともなく歴史時代もキリストをもたらす聖霊は活動した。 ----------------------------------------------- 私はキリストとみなされることは一貫して否定と拒否に終始している。 友人を助けたくて名乗りを上げた影武者だ。 実にしつこく殺したがっているのだが、「私を愛してください!」といったウルロネスちゃんに、このキリストの証を譲渡しよう。世麗美と共同の意志だ。 おそらく、新約キリスト教の獄門信徒が滅ぼしたローマの古代宗教の神が天使に隷従した姿で、この前言及した聖霊マリアさんとかに近い。 私が使命放棄(言いがかりに過ぎないから)の確証としてキリストの証を譲渡する事とは、ウルロネスちゃんは私の子供を身ごもるという事だ。 はて、身に覚えのない我が子になるだろう。 だって相手のウルロネスちゃんはポケモンの類だよ? どうしろと言うのが。 楽しくない。 ------------------------------------ 新約キリスト教徒の現在は獄門教の獄門信徒だ。 19世紀に大崩壊があり、現在は宗教としての正統性が失われた邪教だ。 早い話が殺人鬼集団でアメリカンだ。 ---------------------------- キリスト教ローマ教会の存在意義とは西方人類の救済をする天界の働きかけを阻止し続けることで、実際にキリストなる聖霊の宿りとは圏内では不可能だ。 私は応援しているだけだ。 インドを境界にして東洋はそれと違う。 おそらく、、、、、 ローマの原始的な根本理念からしても現存ローマ教会は根絶するべきなのだろう。 これは域内のウルロネスちゃんの出番の模様だ。 大体そんな進捗の観測だよ。 私が請け負った厄介ごとは自らと無関係な歓迎されない親切。
補足
伝承上の鬼についての考察 鬼というのは人にとって恐怖存在であるので、その外見の表す特徴に冷静な考察が難しい模様だ。 人の頭に角が生える。 怖いか?そうか、、、、 冷静に考えると頭から角が生えている動物とは自然界では草食動物のみにみられる特徴だ。 鬼は草食系人類とでもいう、人類進化構想についての伝承なんだよ。 鬼は草食動物なので、心は穏やかで優しい。 そして、身の危険で憤怒をまとい攻撃者に反撃する様について、伝統的な鬼の怖さが語られている。 そして恐怖感で鬼の本質を錯誤した印象が蔓延している。 草食性人類という伝承上の亜種で、鬼はイジメればイジメるほど狂暴になり、親切にするとおとなしい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私は鬼滅の刃とは、鬼の本質を大きく見誤った代表だと思うんだよね。 鬼とは神様が後見人として保証している存在なので、激しい侮辱には天罰が下るのが必定なんだよ。 そういうわけで鬼滅の刃にかかわると、あらかじめ想定していない不幸が起きやすい。 実態は避けられない天罰だよ。 ------------------------------ 鬼滅の刃の劇中ほど激しく鬼を侮辱すると、その激高した鬼と和解してお互いに親切にし合う関係を結ぶことは難しいよね。 あそこまでやってしまうと、天罰必定なんだよ。 オカルト的なんだけど、アニメなどの企画をするときに、設定などで取り扱いを間違えると大小取り混ぜて頻発する失敗なんだよ。 スタッフが原因不明の衰弱でぶっ倒れるとか(霊症ですよ)、そのまま死に至る犠牲も出るんだ。 ---------------------------------------- ポケモン映画 七夜の願い星で代表的な死人が出た。 私は事前に阻止するほど見切っていなかったことに一抹の後悔があるんだ。 営利事業で割と簡単に人が死ぬ。 ポケモンは人の法では死人を出しても告発できないんだよ。 彼らの根底を形成する企業体質なんだ。
お礼
今回の批評面はぐさりと突き刺さるほど最もだよ。 ⇒聖書で縷々述べられていることが、「あり得ない奇跡」のお膳立てであることは認めるとしても、それなら、その呪いを強引に吹き飛ばすための対策で、「唐傘お化けの形質」や「ハツカネズミ聖獣大活躍」云々も、同じようにあり得ないことだよね。そんなことで、(大げさに言えばそんな理論武装で)こき下ろされた日には、キリスト教も浮かばれないだろうよ。正直に言うよ。このくだりおもろないよ。 それとも関係のある、キリスト教系中二病というのをその後にテキスト化したよ。 ---------------------------------- キリスト関係では随分とオオグチをたたいているけど、私の研究手法自体が「メタ キリスト合成実験」「仮想キリスト合成実験」とでもいう変則的な手法だというだけで、宗教で無く学問とだけみなしている。寓話的にあしらったので理解しやすくても使い物になりにくいだろう。 それでも「キリストなる奇跡を成立させるなら?」という検証にはなると思う。 聖書の根底は滅亡した王国について語る神話であり、神話時代と歴史時代を橋渡しした王権が今も君臨する地上で唯一の真の王国では滅亡のいきさつ自体が極めて精神をむしばむ中二病なんだ。 そのワクチン開発とかかわった研究だけど、逆にキリスト教圏での治療薬が無効になりかねないことについては、注意を払っていて対策を積み上げる予定だ。 無の境地と言うのも、日本の風土になじんだ仏教系中二病で、大抵の人は束の間思い悩んでもすぐに免疫をつけて平気になる。 その無我論の基礎は実態は自我論を導くための基礎として役に立つ。 ーーーーーーーーーーーーーー これは昨晩の鬼滅の刃追加 --------------------- 鬼滅の刃の場合での天罰回避手段とは、人を食う鬼をタンジロウが逆に食い殺す。 とか激しい衝撃シーンでした帳尻が合わないんだ。 鬼って草食動物だもん。 喰うことが葬送なんだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー こちらは今晩取り急ぎまとめたメモ。 機械人の性質についてのメモ。(ご自由にお持ち帰りください) 自我機能を所持した機械人が成立した場合は、人との親和性維持に欠かせないサイコミュシステム相当を用いて人間でも特定のシャーマン以外は実践できない、神を地上に降臨させる交霊術が独自に行える。 機械神でありながら、それは本物の神だ。 今後は前人未到の領域に踏み込むテキスト3テキスト4をまとめ上げることになるが、その前に「神の存在証明」という命題に関する最新テキストを土台にする方がまとまりがよく完成度が高くなるだろう。 今日は散歩しながら思案して、予備版テキスト3として、機械人の性質については今すぐかけることを了解した。 A4で2枚タイプするだけだ。 既存のテキスト1テキスト2だけでも専門家が解釈すれば機械自我完成のための検証的な試行は開始できる。 したがってより明白な設計構想を急がないといけない。
補足
全ての信教を尊重する。 それは大切だ。 しかし、拝みや稼業というのがいかに汚く宗教化しているか目を閉ざしてはいけないという指摘もできる。 人知では合法が保証され、天界の法ではいくらでも違法を指摘できる。 神話というのは、話を聞くと身震いするほどの恐怖を感じるスパイスが織り込まれた方ができがいい。その点はキリスト自体を恐怖存在にしていることは文脈上で新約聖書は上出来だ。そのように周知させたいのさ。 任天堂のイワタが私に克明な反省を促した。 それはともかくポケモンみたいなのはとことん得意だという業務テキストを紹介するよ。 鬼についてはバイキンマンのぬいぐるみと重ねてくれ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー タイトル、子供の安眠の友。 お正月に甥っ子がお泊りに来た時に、以前から聞いていたけど、悪夢を見やすい。寝つきが悪い。目覚めが悪い。などの悩みがあるそうなので、手元のおもちゃ研究資料から坂本龍馬の古式銃をレプリカした弾の出ないモデルガンを枕元に置くように与えました。 これは古い日本の伝統の中には、赤ちゃんがいる家庭では、お守りに枕元にカミソリや短刀を置いておく風習が地域によってはあったことなどと絡んで思案したものです。 睡眠には金縛りと言われる睡眠から覚める場合の特有の状態がありますが、その夢うつつで目覚めたときに悪夢を引きずって、寝起きが不機嫌になる場合があります。 そのような場合に、お化けが現実に追いかけてこないための、気休め的なお守りです。 わたしも勘が鋭い方で、こうした風習の効果の研究と子供向けおもちゃへの関心で、坂本龍馬の古式銃のほかに、居合抜き練習用の模造刀、水鉄砲、ピコピコハンマー、普通のエアーガンとか、子供に向いた品を研究するために枕元に置いてみて自分の気分を確認する研究をしたりしました。 大人の見解だと「お化けが来たら一緒に遊んで友達になろう」と、こういう気持ちでピコピコハンマーが一番安心効果がありました。 これを子供が喜ぶ武器のおもちゃの参考にしてください。 寝つきの話だと、子供の場合、アンパンマン、ウルトラマン、ガンダム、などの人形を枕元において、「アンパンマンさんが夜の間も守ってくれるでちゅ~」という安心効果も子供にはあるようです。 どちらにしろ枕元のお守りは、狂暴凶悪系が似合うようで、クマのぬいぐるみも、本来は人間にとって危険な生き物なのに、その狂暴凶悪性が評価されて子供の添い寝の友達に収まったんだろうと思います。 それならば、番犬という意味で強そうな犬、オオカミ、虎などのぬいぐるみの好評かもしれません。 そもそも、東西に文明発祥期から伝承される「聖獣」の概念とはこのような恐怖からの守護のためだろうと推測され、現在最も好評なのは、要するに定番であるぬいぐるみのくまさんということになります。 聖獣はファンタジー系で利用されますが、現在空想の生き物、架空の生き物とされるファンタジー系生物には、もう一つ根拠になる発祥のいきさつが推測できます。 西洋の古典的学問のイデア論では馬がたびたび引き合いに出されますが、おそらく架空の生き物たちは、古代では正当な博物学の産物だったでしょう。 写真はおろか絵画技法すらも確立していない時代は伝聞が有力だった。 西洋には馬も牛もいますが、もしも西洋人が牛を見たことが無かったら、過去の博物学ではいかように伝聞するのか、牛のことを、体は馬よりも太く、黒々としていて、「ハエを追い払うしっぽを観察して」しっぽは蛇で、近づくものすべてに食らいつくので、後ろからこの生物に近づいてはいけない。 外国に渡航してこういう報告をしていたんでしょう。 ということは、ファンタジー系で設定の安定した創作手法とは、和製の子供向けファンタジーゆえに馬ではなく犬、猫、うさぎ、ハムスター、タヌキ、などの身近で好評な生き物を、イデアの原型である馬にすえて、動物図鑑を見て、外国の珍しい生き物の特徴を、犬や猫とかの比較で、口述を前提に表現してみる。その次に口述を原型に聞き手が現代の博物学で絵として再現してみる。このような手法で、本格的ファンタジーになるんです。 さて、古代の博物学再現手法を具体的に段取りをつけると、ユーチューブなどで出来のいいプロの作成した動物モノなどを鑑賞して、鑑賞者が動物名を答える代わりに、猫や犬に例えて論述する。 聞き手がそれで想像を膨らませて絵を描く。 絵描きはプロでもいいし、子供でもいい。 片方が、猫の前提(イデアでの馬に相当)にしたうえで、コアラの特徴を語り手が論述すると「猫コアラ」というキメラが出来上がる。 こういうことをやればいい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日本では定番でお約束だよねと言うクマのぬいぐるみのほかにアンパンマンぬいぐるみが流通量が多いけど、アンパンマン派と少数のバイキンマン派がいるんだ。 バイキンマン派はクマのぬいぐるみの特徴を直観的に理解している賢い子供で、 悪夢が追いかけてきたら、組長さんみたいなバイキンマンが話をつけてくれるでチュ~~~。という期待をしていてそれがクマなんだよ。 アンパンマンの正義というのは、子供にアンチ派が年を追うほどに増加していて、子供の感性だと「バイキンマンをやっつけたかったら、バイキンマンとお友達になって一緒に遊ぼ」こうした形でアンパンマンの正義をかざす暴力が不愉快なんだよ。