• 締切済み

キリスト教の本質

例えば仏教なら「悟り」を求めて修行します。 キリスト教は何を求めて祈るのでしょうか?

みんなの回答

回答No.6

イエスの本来の素性はユダヤの聖職者です。 奴隷階級のユダヤ人のためにイエスは生きました。 奴隷は家畜です。 しかしその奴隷が信仰を獲得すると、信仰心ある人が尊敬と敬意でみられる現代と同じで、人間として扱わなければなりません。 それは、奴隷の所有者には不利益です。 したがって処刑されました。 原始キリスト教はこのようないきさつの元にローマの横暴に対する民権運動のような事柄として、ユダヤ人以外にも波及していきました。 この当時、キリスト教徒はイエスを理解してイエスと共に生きていた。 打倒ローマです。 そして、新約聖書がすべて覆した。 ローマの懐柔工作により、新約聖書が編纂されイエスの意志は掻き消えた。 新約キリスト教徒にはイエスは理解できません。 そして、明確な信仰心がないのです。 新約以降のキリスト教徒の改変された予言の最終目的は、最後の審判です。 その内訳は、原始キリスト教時代の志である、「ローマ滅亡」そして新約キリスト教がローマとの取引で獲得した「キリスト教自らの根絶」この二つのせめぎあいで双方を実現するのが予言の完成です。 したがって、キリスト教徒の祈りの内容は「神よくたばりやがれ」です。

noname#247876
質問者

お礼

興味深いお話ありがとうございました

  • Td9wjd
  • ベストアンサー率38% (17/44)
回答No.5

イエス・キリストの示した最終的な目的は 父なる神の国ー創造の神ヤハウェの世界へ生まれ変わり、永遠とも感じる長い幸福な生を得る事と聴いてます。  イエス・キリスト自体は 父なる神ー創造の神ヤハウェのもとから生まれ変わり人々を導きヤハウェの天界に返る事が目的だったそうです。 釈迦の語った最終的な目的は、インドのサンスクリット語で【तथागत・タターガタ】になる事だと聴いています。 中国の漢語【如来】、日本語訳【勝利を得て真理に到達した者】、英訳は【he who has through to the truth】 釈迦やイエス・キリストの様な師である導く聖者と導かれる弟子や信徒とでは目的とは違ってきます。 そして聖者方は偉大な神の力、神通力を持ち、智恵を得て、他を救済し、最終的な目的を目指すと聴いています。 先に挙げたように、イエス・キリスト自体は他を救済する事を目的とし、弟子や信徒は天界への生まれる事です。 例えば、釈迦の在家の信徒は戯忘天界への転生、出家の弟子は天界を越え全ての苦しみの滅尽を目的とします。 そして聖者方は偉大な神の力、神通力を持ち、智恵を得て、他を救済し、最終的な目的を目指すと聴いています。 答えやすい調度良い質問に感謝致します。 貴方がイエス・キリストや釈迦の語る目的を探り求める要素を素晴らしいと思います。 それらを必ず成就せる者である事を望みます。

noname#247876
質問者

お礼

興味深いお話ありがとうございました

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2300/5115)
回答No.4

>例えば仏教なら「悟り」を求めて修行します。 仏教でも、宗派によっては修行はしません。 もちろん、曹洞宗の修行は厳しいですがね。 >キリスト教は何を求めて祈るのでしょうか? 神との対話ですかね。 キリストは、「神でなく、神の子」なのです。 神とは直接会話が出来ないので、キリストを経由して神と対話を行います。 まぁ、真言宗に似ていますね。 真言宗の仏は、大日如来ですよね。 が、多くの人は「南無大師遍照金剛」と弘法大師に帰依しています。

noname#247876
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

  • tetsumyi
  • ベストアンサー率25% (1946/7534)
回答No.3

罪の許しを請うための祈りが主です。 人は自分が気付かないで数限りなく罪を犯していますし、親から受け継いだ罪が人の死の元となってるためにこの罪からの許しも願います。

noname#247876
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1689/4748)
回答No.2

ざっくり言うと、魂の救済(救済宗教) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%91%E6%B8%88

noname#247876
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

  • aokii
  • ベストアンサー率23% (5210/22062)
回答No.1

キリスト教の祈りの本質は神との対話、神の声を聞くために祈る。

noname#247876
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました