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西郷隆盛と桂小五郎の最初からの討幕の意志の強さ比較
西郷隆盛と桂小五郎(木戸孝允)とでは、どちらの方が、最初から、より討幕の意思が強かったのでしょうか? 西郷隆盛と桂小五郎(木戸孝允)を比較したら、最初から、より討幕の意志が強かったのは、どちらなのかを教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
比べるまでも無い事でしょう。 下級武士出身の西郷隆盛は殿様からの御用をこなすだけで精一杯だった でしょう、気が付いたら、そういう立場に、居たって事でしょう。 長州藩は大阪夏の陣の積年の恨みが徳川家に有るので、恨みを晴らす事が 毛利家代々の家訓の如くになってますから・・・
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- gunsin
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回答No.3
#1です、間違えちゃいました。 ご指摘の通り、関ケ原の合戦です。
質問者
お礼
ご回答ありがとうございました。 やはりそうだったのですね。
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
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回答No.2
薩摩藩は当初は幕府側でした。 西郷隆盛は従姉妹の篤姫を養女として江戸幕府13代目将軍徳川家定に嫁がせた島津斉彬に抜擢され斉彬の元にあり強い影響を受けたそうです。 藩の意思に従うだけでしたので、まさか尊皇攘夷の倒幕につくなんて思いもしなかったでしょう。 一方桂小五郎は倒幕論者の吉田松陰の元で学びました。 禁門の変で西郷隆盛は幕府側、桂小五郎は倒幕側の長州藩側として戦い、長州藩は薩摩藩にかなりの大ダメージを受けました。 ですが、禁門の変後、薩摩藩が発した幕政改革の意見が幕府に上手く受け入られないため、だんだんと反幕府に傾いて行ったのです。
質問者
お礼
ご回答ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございました。 よくわかりました。 ありがとうございました。
補足
ご回答ありがとうございます。 >長州藩は大阪夏の陣の積年の恨みが 『大阪夏の陣』ではなくて、『関ヶ原』ではないのでしょうか? 教えてください。