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躾と虐待の境界線あるいは違いについて
- 躾と虐待にはどのような違いがあるのか、また境界線はどこにあるのかについて議論されています。
- 一部の人々は、言葉だけで子どもを成長させる方法を支持し、他の人々は悪い行為に対して体罰を行う方が効果的だと主張しています。
- 虐待と躾の違いを考える際には、体罰の限度や子どもの成長に与える影響などを考慮する必要があります。
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私は自分の子供を体罰や言葉の暴力を与えることなく育てました。勉強する環境が普通になり、いわゆる暴力的な反抗期はありませんでした。意見は歓迎しました。なぜなら人それぞれ、子供にも子供の考えがあって良いからです。そして子供がそうであるように、親も完全ではありません。もしかしたらアンガーマネージメントが必要なレベルかもしれない。悪いことをそもそもしない、幼少から、ありがとう、そしてごめんなさい、を発する場面を根気よくその場で教えると良いです。子供は親が思う以上に理解力があると思っています。そして親が好きなのです。 繰り返し教える、なぜいけないか理由を言う、具体例を出す、次にしないように励ます、その根気が無ければ殴る方が早いですね。しかし私からするとそれは親の怠慢、二グレクトの言い訳、身勝手です。なぜ親が正しいと言い切れるのでしょう。学校も虐めや体罰を否定する学校を選びました。体罰肯定教師にはお金を払う価値が感じられません。私は行き過ぎた躾は体罰、虐待、それは逆に親のアンガーマネージメントが必要に思います。
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- Dr_Hyper
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親が怒って間違ったことを教えているところで、それを虐待というのは間違っていると思いますよ。 手をあげる、あげないの是非とは次元が違うのでね。まあ境界線のようなケースもあるのはわかりますが。虐待はちがいますよね。 虐待に見える暴力と躾ですが、 人間は話せば分かる。動物ではないのだから。 確かに犬だって叩かなくても叱ればそれを理解してちゃんと次からはしない犬はいます。それなみの知性があれば大丈夫という人もいるでしょう。 ただ、怖いのはここに回答されている私を含めた親たちが本当に躾をできているのか、成人したからと言って保証されたわけではない、証明されたわけでもないですよね。養護施設で殺戮を繰り広げた男性がいました。あの人はどんな育てられ方をしたのかしりませんが、人を殺すのを怖い。絶対に駄目。とまず思っていないところが一番怖い。多分この質問をされたかたは、悪いことの目の前にどうしてだめかではなくて、絶対に駄目。と思い浮かぶはずです。この社会性の植え付けがうまくいくかどうかが大事であり、私はそれは方法ではないと思います。叩かれて痛いから嫌だなと思うことも、その親子の間で成り立つならそれはその方法で構わない。 いくら人を殺してはだめなの。と教え込んでも、口では、はーい知ってます。と答えても、そこに躾という歯止めがなければ教育は失敗したのだと言わざるを得ません。人間の脳の奥底の本能に以下に社会のルールを伝え学習させるか。 その方法は親子でしか作れないものであり、偉そうに他人が話せばわかる。叩いても良い。ということではないと私は考えています。
- iwashi01
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殴るという方法の是非を議論するより、 躾として殴りたがる問題人間をどうするか、を議論した方がいいと思う。
補足
残念ながら私自身躾として叩く程度であれば容認している人です。
殴る回数が少ないなら躾です。一回だけ殴られたなら子供は駄目なんだと思いますが、何回も殴られると何が悪かったのかわからないまま、ただ子供が痛がるだけになります。それでも暴力は暴力ですが……
補足
そうですね、やり過ぎはダメです。 しかし何回もの境界線が曖昧なのだと感じています。 1回・2回はやり過ぎなのか。 それとも10回を超えるとやり過ぎなのか。 だけど、そもそも1年に3.4回しか叩かない。 これはどうなのかと。 疑問は尽きない問題です。
- HAL2(@HALTWO)
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A No.4 HALTWO です。 <(1) (2) (3) (4)……何が間違っているか……判りますよね(^_^;)。 >分からないから聞いているのですが.... (1)~(4) の間違いを一言の大人用語で言うと「ジャイアン思考」と言います(^_^;)。 ジャイアンとは藤子・F・不二雄原作の漫画作品『ドラえもん』に登場する剛田武の事で、兎に角「自分よがり、我が儘、暴力的、いじめっ子、非常識……」を絵に描いたような (……って漫画ですからそのまんまですね) 子です。 小学校高学年の筈ですが「磁石の原理を知らない (小学校で習う筈)」とか「領収書を良集書と書いたり Recycle (リサイクル) を Recital (リサイタル) と間違える」など、知力に劣る分を暴力で補うという性格ですね。 こういう性格の子って回りの子供達からも「変な奴!、間違ってるだろ?」と思われるのが普通ですし、これが大人であったら周囲からは間違いなく「ダメな奴!、育ち方を間違えただろ?」と思われます。 大人には「説明責任」だとか「Communication (コミュニケーション:伝達) 能力」とか「Literacy (リテラシー:読解記述力)」など、相手に対して理解させるための説明能力が求められます。 そのような能力が不足している人は周囲との関係がギクシャクして社会生活を上手く熟していく事ができなくなりますし、子供社会では引き籠もりや登校拒否など、将来に重い障害を抱え込む事にもなりかねない事態に陥ります。 大人社会では「説明能力の無い人には仕事を任せられない」として仕事を辞めさせられたりもします……つい最近もきちんと説明ができなかった大臣がやり玉に挙げられましたが(笑)、説明能力に乏しい政治家なんて叩かれるのも当たり前です(^_^;)。 子供の躾も「体罰」は親の説明能力不足によるものです。 どの親でも子供に対して充分に理解可能な説明を行えるというわけではないのですが、説明する努力を放棄して体罰で誤魔化すのは「躾」とは言いません。 既に説明して納得させた事なので何度も同じ説明を蒸し返したりはしない、既に規律として明記されているので説明不要……などというものであれば説明なしにいきなり体罰という躾もありですが「説明できないので叩くっ!」なんてのは教育者がして良い行為ではありません。 教育者とは親や先生のみならず、年長者であるお兄ちゃんやお姉ちゃんも含まれます。 説明できないという事は自分にその能力がないという事であり、その事を肯定して暴力を振るう事は恥じるべき行為です。 暴力を振るう事の無いよう、簡潔且つ明快に理解可能な説明をする能力を磨く事こそ躾を行う者の務めです。
補足
なるほど、確かに親は子どもにちゃんと説明をして何もせずに叩くべきではありません。 それも何て言って良いのか分からなくなり、それで叩くなとは言語道断です。 しかし子どもに対し何回も同じことを言ったのに言うことを聞かず、例えば道路に急に飛び出してはダメだと、教えて居たのにも関わらず急に飛び出し、大怪我や相手方に迷惑をかけるのであればそれは叩いて教えるべきだと思います。 そして叩いた後に本当に危ないから!ちゃんと気をつけて!と理由も話すことが重要だと思っています。
- sutorama
- ベストアンサー率35% (1689/4748)
>Wikipedia参照 ※こんなもの今からでも私にでだって書き換えられますよ(論外) いえ、躾とはそのような意味ではありません 例えば、『お礼』 社会規範たる「お礼」もできないような「大人」にならないように「躾」が存在します いわゆるこの回答も「躾」です 親だけに限定されたものが「躾」ではないので、それを虐待と同じ土俵で語るのは論外です
補足
なるほど、躾と虐待を一緒にするべきでは無いと言うことですね。 確かに躾と虐待は一緒ではありません。 虐待とは快楽・娯楽目的でやる事だと個人的には思っています。 ですが、躾とは命の危険やダメなことを教えるためにある必要最低限の行為だと認識しています。
- zabusakura
- ベストアンサー率14% (2381/15943)
まだ喋れない子でも小さい時から理論的に育てたら例えば「これは触ると熱いから 触っちゃ駄目。」と少し近付けて「熱い」を教える。なぜダメかを教える。 叩いたりしなくても、ちゃんと伝わります。 発達障害とかがあれば、また違った方法を検討しないといけないかもしれませんが うちは、まだ伝い歩きのうちから、そうやって育てました。 危ないことは全くしなかったですし、子供自身も自分で、これをしたら どういう事が起きるかを想像して行動するようになります。 なので、よちよち歩きのうちから、公共の場で泣いたり、暴れたりもなく 大人と同じように出来ました。 よく見ず知らずの方に「小さいのに何て、お行儀が良いんでしょう」と 褒めて頂くことが多かったです。 病院とかでも、ちゃんと子供用のスリッパを履いて長時間でも座って 絵本を見てました。勿論、絵本は1冊ずつ、有った所に返す。 一度、教えたら、ちゃんと出来てました。 よく走り回ったり手にスリッパを履いたり、騒いだり、泣いたり (勿論、泣く理由にもよるとは思いますが)走り回ったりする子を見て 何で、あんなことになるんだろうと不思議に思いました。 実際、普段、親の言うことを聞かず走りまわってる子の子守りを頼まれた時に その子、ちゃんと座って絵本、見てました。 親御さんは驚かれてましたけど(普段、座って絵本なんて、おとなしく見ないと) なので手をあげなくても躾は出来ると思います。
補足
回答者様は実に良い教育的な育て方をしていますね。 素晴らしいです。 はい、確かに小さい頃から何がダメ!とか教えていれば子どもは認識するかもしれません。 ですが、それにも個人差があり、全ての子どもがそうでは無いと思っています。 道路に飛び出したらダメ・人を殴ったらダメ・悪口を言ったらダメ・嘘をついたらダメなど、子どもがなんで?なんで?と思うこともあるかもしれません。 「なんで人を殴ったらダメなの?」 と聞かれた場合、痛いからよ。と答えるのが普通です。 しかしそこで、痛いとは?となるのが子どもだと思っています。
- tomy-eye
- ベストアンサー率36% (169/468)
お尻ぺんぺんもびんたもご飯抜きもバケツを持って廊下に立たせるのも、子の成長を阻害する意図がないなら仕方がない場合があります。 15歳未満の子は犬と同じで、言葉で諭しても通じないことがしばしばです。 言葉だけで通じない子に、子の人格を否定する言葉を浴びせて罵るのは許せても、お尻ぺんぺんは×で虐待でしょうかね。 怒りや恨み憎さを含まない諭のぺんぺんの痣は1日で消えますが、「あんたみたいなバカは死んでしまいなさい」と言った言葉は癒えない傷を与えることが殆どです。 子への虐待を禁じる前に、子を諭す言葉を親に知らしめる必要ってないですか? 慎むべくは虐待行為でなく、相手の優しさ可愛さを無慈悲に殺す心無い言葉であると思うのですがねぇ。
補足
確かに言葉が通じない子にならちょっと罵る言葉はよって良いかもですが、僕自身おしりペンペンで悪いことを学んできましたので。 少し抵抗感がありますね。
- HAL2(@HALTWO)
- ベストアンサー率53% (2339/4386)
(1) >まず、人を殴ったりした時に殴られたらどれだけ痛いのかと学ばせることが出来ると思います。 「うん、判った!。誰だって痛いのは嫌だから空手でもやって喧嘩に強くなれば誰にでも言う事を聞かせられるようになるんだっ!」 (2) >2つ目、悪いことをした時に殴ったらこれをやったらダメだと子どもは言葉よりも理解すると思います。 「うん、判った! 説明するのが面倒くさい……と言うより単なる俺の我が儘なので実は説明したくない(^_^;)……ならば殴って言う事を聞かせれば良いんだっ(^_^)/」 (3) >3つ目、まず、そもそも言葉だけで子どもを悪い方向に進ませず、成長させることが出来るのならみんなやっています。ですが、出来ていない現状です。それはやはり、言葉よりも殴る方が効果があるということでは? 「うん、判った! 俺、そもそも人にきちんと説明できるほど頭良くねぇし、……それが出来るんならみんなやってるし……やっぱ殴って言う事を聞かせる方が効果があるということだよねっ(^_^)/」 (4)「弟も妹も友達も、勝てそうな奴は殴って言う事を聞かせるっ!」 ……ということでしょうか? >躾=虐待だと感じている方がいましたら、回答で意見を述べてくださることを願います。 上記 (1) (2) (3) (4)……何が間違っているか……判りますよね(^_^;)。
補足
分からないから聞いているのですが....
言いたいお話は分かります。 全く叩かれたことのない子供時代を過ごすこともまた、不安を感じますね。 ただ、ちょっとわたしは視点が違います。 車のスピード違反のようなものです。 スピード違反することが即事故に繋がるとは思えません。しかし、それが死や後遺症を伴うような大怪我に繋がる事例は後を経ちません。スピード違反は、崖のきわを歩いているようなものなのだと思います。一つの間違いが加われば大きな事故になる。そこで、一律の分かりやすいルールで規制することに意味が出てきます。 つまり、そのルールは何より、子育て一年生とかの親として未熟な大人や、普段からしてしまう自律する意識の低い親に、働きかけるものだと思います。 ある程度、大人が子育てに習熟してきて、子供と言えど、あり得ない間違いと確信できる時には、体罰も必要かも知れませんが、基本の意識として体罰禁止があれば、年に一度以下になり、子供が自分を律する意識を育てたとしても、命の危険や心の傷にまではならないのではないでしょうか。 体罰の必要性を話題にする時に怖いのは、子育てに未熟な人が、言葉選びが下手くそとか、教える力のないという、自分側の理由による逃げ道として手を出すことになってしまうことだと思います。つまり、親の逃げ道を作ってしまうことです。 それに、今は子育てに関する情報も非常に充実しています。技術のある学者などの書籍だけでなく、Twitterなどで他の当事者のより現場に近い知恵が流れてきたりもします。 余程のことは、暴力に訴えなくとも可能と考えても良いのではないでしょうか。 情報のない昔で、発達障害を後に疑われそうな子供を相手にしていても、暴力に訴えたのは数えるくらいだった親は、けっこういると思います。
補足
子どもの心を傷つけなければ良いと言うことですか? 例えばですが、夕方5時に帰って来ると言いながら連絡も無く夜の7時頃に帰ってきてその理由が、友達ともっと遊びたかったから。 だとすると、それは親からしたら心配で心配で仕方がなく手が出る可能性もあります。 ですが、子どもからしたらただ遊びたかっただけなのに。 と言うことになるかも知れません。
- tokushimalove44
- ベストアンサー率14% (23/162)
私は家族以外に迷惑をかけるほどの悪いことをしたときは一度目は言葉だけの注意をし反省文を書かせ、何故そういうことをしたかを文字にして残しなさいと両親に言われました。 そして、短期間で同じことを繰り返したり、相手に実害が出た場合は反省文の言葉では本人が理解していないと言うことで手を挙げられたことが何度かありました。 その時に父は感情的に叩いたりするのではなくて、何故悪いことをしたのかをとことん話をした上で頬を叩かれたり頭を叩かれたりしました。 そのあとには必ず母が抱き締めてくれて優しく諭してくれました。 親が二人とも子供を追い詰めることが躾ではなくて、悪いことをしたときにしっかりと反省させた上で叩く役割と叩かれた後に子供をしっかりアフターフォロー出来る役割の方が居ることが本当の躾だと私は思っています。 私の母は、ダウンタウンの浜田さんのことをよく話してくれるのですが、テレビでは年齢関係なく頭を叩いたりしていますが、そこには必ず相手のことを愛情を持って居るし、 叩かれた相手も浜田さんをリスペクトしてますよね。 親も子供にちゃんとリスペクトされる存在でないと駄目なのに、優しい親を演じているから最終的には感情的になり叩くのではなくて殴ってしまうんです。 叩くと殴るでは全く意味が違いますからね。
補足
では、言葉で説明しても理解をしなかった場合に限る叩く行為は認めると言うことでよろしいですか? (キツい言い方に見えるかもですが別にそんなつもりはありません。)
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補足
確かに子どもの意見を聞き、これはこうだからだよ。 と説明して育てた方が理解するかもしれません。 ですが、それにも個人差はあると思います。 僕は高校生ですが、小さい子と触れ合う機会も沢山ありました。 ですが、いっつも思うことがあります。 それはすぐ殴ったり・悪口を言う子は絶対いると言うことです。 その子を見ているとやはり、親は何もしておらず。 逆にダメなことはダメだと躾で叩いて育てた子の方がある意味行儀の良い子どもに育っています。 痛みすら分からない人に痛みがわかるのか? との個人的な意見です。