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中学校の美術の評定について
- 中学校の美術の評定方法には、興味や関心、発想力、創造力、鑑賞力の四つの要素があります。
- しかし、絵を描くことや作品を作ることが苦手な生徒は、発想力や創造力、鑑賞力の点で低く評価されることがあります。
- このような内申点制度は生徒の進路に大きな影響を与えるため、公平性や理不尽さが問われる課題となっています。
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美術の評定方法から,民主主義の根源を解かれましたか。 仰るとおりだと思います,そこに日本は年齢が大きく加味してきます。 究極の所日本の学歴社会は18歳までに脳のIQなどで判定できうる処理能力がある一定範囲の学術的要素,つまり高校のテスト範囲ということですが,それを素早く性格に一定時間内に処理できる能力を有する人の序列をつくりだすことを第一にしています。その頂点が官僚となるのはご存じの通り。彼らの処理能力はある意味スーパーマンであり研究者や学者と呼ばれる人を遙かに凌駕します。 確かに学者,研究者は能力を持っていますが,処理能力が彼らの1/2でも時間をかけてユニークな答えを見つけ出せば良いので,その点でIQは彼らほど高くなくても構いません。 これが頭の良い人達の序列,それに並び医者や弁護士など限られた時間で正確に処理する能力を必要とする仕事が高給取りになっているのは,日本だけでは無いし,それをある程度選別する必要があるため,大学や大学院はそれに使われています。 一方それだけではありませんよ。 例えばプロ野球,野球は何歳から始めていればプロになれる可能性が残るでしょうか。もちろん例外はありますが答えは10歳頃までに始めないと間に合いません。なぜか,中学の時に学校のクラブに入っていては可能性が低くなるので普通は親が車で送り迎えするようなクラブチームに入り,そこの推薦で全国の有名高校に推薦をもらいます。そしてその後甲子園を経てプロ,または大学,社会人を経てプロ。その道しか殆どないというのが現状。もちろん例外はありますが,今年のドラフトをみても野球をはじめたのが16歳ってひとは殆ど居ないでしょう。つまり官僚や医者を目指すよりも早く進路を決定しなくては間に合わないです。官僚や医者は取りあえず15歳までに頑張っていれば道は確実に残されます。 最近はサッカーももっと線路が決まってきており,日本代表クラスであれば小学校低学年でのクラブチーム参加がある程度の既定路線になりつつあるでしょう。U-12に入ることは重要ですから。当然ながら水泳やアイススケート,卓球などもそれで食べていくためには3-4歳という低年齢での競技スタートはあなたもよく知っているところ。オリンピック強化選手に入らなければ仕事にしていくのは本当に大変。 センス,環境,これらを持ち合わせた人しか,このような仕事で食べていくことはできません。例えどんなにその競技を愛していたとしても。 勉強でも同じでは無いでしょうか。能力の無い人に平等に官僚になる機会を与えたいでしょうか,医者になってもらい見てもらいたいでしょうか。 電車の運転手がもと暴走族であなたは通勤したいですか。 センスが無いからとあきらめる子は,それが彼らの選択なのだと思います。 ただ切り捨てるというのは違うと思います。選択されるのは事実です。そこには大きな違いがあります。 実際教育する立場になってわかることは,いろいろな教育のマニュアルはセンスだけでクリヤーするものは殆どありません。もしそう見えているなら,それはうわべだけで見ていると思います。広く概念を習得できるように実際にはよくねられているのが日本の義務教育です。それは確かに世界に誇れる内容となっています。オランダ出身で米国のハーバードで研究している同僚は二桁のかけ算は暗算できませんから。日本の数学の教育が世界トップクラスには行かなくても国民全体の平均レベルが著しく高いのは有名な話ですよね。これも切り捨てては居ない証拠の一つです。もちろん九九ができたところで仕事が見つかるかどうかは別の話ですが。 僕はセンスが無いから。とそこで耳をふさいでいるのであれば,やはりそれは自己責任が芽生えた瞬間だと思います。教師はその耳の手を取り払おうとします。でももう一度耳をふさげばそこまででしょう。自分がかじり付くのか,それを知らない子供に親が教えてあげるのか。 それはどちらのパターンもあるでしょうね。そしてそれが家庭環境だったり,その子の能力を反映するのは確かに事実です。
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- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
日本という国の教育制度というのは、「一通りのことが平均的にできる人が好成績を取れる」ことが基本になっています。ですからどんなに魚について高い知識を持っていても、「さかなクン」は生物学系の大学に進学できませんでした。「特定の分野には高い才能を示すが、そうでないものについては平均以下の興味や能力しかない」人を認める制度になっていないからです。今後は丸暗記すればいいような学力は無くても問題なくなります。やがては変わっていくでしょうが、日本の政治家、特に自民党は頭の極めて固い人が多いですし、官僚も「現状維持」を好みます。相当先になるでしょうね。残念ながら。
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ありがとうございました
- okwavey3
- ベストアンサー率19% (147/761)
義務教育の範囲の内容なんて、努力で補える程度しかない。 楽してオール5取れる人間と、必死に努力してオール5の人間の基本能力は違うが、将来的に成果が出やすいのは後者。 努力することも才能と言えばそれまでだが、センスを求められる内容は中学校にはない。 努力しても出来ない場合は、身体的な問題を除いて、努力が足りないか方法が違う。 これに気がつけた者は成長し、そうでないものは切り捨てられるというルールの元に平等なので何とも思わない。 劣るものを生かすも殺すも優れたもの次第。 何が劣るか優れるかの議論をしても意味はないので、現状で優れた側に入るために何をすれば良いのかを考えれば良い。
お礼
ありがとうございました
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
内申書で美術や音楽の成績が関係無い高校も多くて中学高校の芸術科目が重視されていない(あるいは授業が無いとか専任講師が居ない)学校があることがむしろ問題のような感じがしています。 まあそれはさておき、中学の美術の点は作品だけで採点してないので完成した作品がひどくても評価が悪いとは限りません。もちろん提出しないのは救い上げようがないので最悪ですが。 https://benkyouhou-kouritu.com/%E5%86%85%E7%94%B3%E7%82%B9%E3%82%92%EF%BC%95%E4%B8%8A%E3%81%92%E3%82%8B%EF%BC%81%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%AE%E5%86%85%E7%94%B3%E7%82%B9%E5%AF%BE%E7%AD%96/ 上のリンクに書かれているように授業も評価の対象になってます。ですがそれは授業や教師がちゃんとやってればの話で、英数国理社五教科以外は内申に関係無いからとないがしろにされている学校の場合は別です。 あなたとは逆に芸術科目以外はひどい成績で芸術科目を内申の対象にしないことを不公平と感じる生徒もいると思います。 まあでも試験とか内申書がその人にしかない能力や可能性ではなくて、足りない部分を見つけて切り捨てて行く方式が多いのは事実ですね。 でも芸術にはそうやって切り捨てられる個人や個性にとっては救いとなる可能性が本質的にはある物だと思いますので点を取ることだけではなくて自分や人生にとって必要なものと考えて楽しまれてはいかがかなと考えますがどうでしょうか。 それと“センス”とは生まれつきのものではないです。生まれつきの感覚や性格みたいなのは誰にでもありますが、色の観かただとか形の面白さとかとらえかたは鍛えることができるものですし、好いものを作るなとあなたが思っている子のやりかたを観ているとつかめるものはけっこうあります。
お礼
ありがとうございました
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