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神社仏閣へのお参り
最近苦しいことが多くなりました(汗)。 「苦しい時の神(仏)頼み」のことわざ通り、神仏にすがりたい気持ちが湧いてきました。但し、いきつけ(他の表現がわからない)のお寺もなければ、近くに(歩いていける範囲)にそれらしい施設もありません。 お寺や神社は、くるまの運転中に見かけた場合に、初めて、または思いつきでお参りしてもご利益が頂けるような考え方になっているのでしょうか?
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私は、神道(神社)より仏教(お寺)をお勧めしますが、まずは主だった高僧の本を読んでみて下さい。 本来、仏教は運、不運や占いを否定しています。宗派によっては六曜(大吉だの仏滅だの)を習俗的観念として明確に否定しています。 「日々是好日」の意味を調べてみて下さい。 私も何度となく、不運や不幸に遭ってきましたが、いつか自分が死ぬときに「やり残した事、悔いる事はいくつもありはしたものの、それでもつつがなく自分の人生を締めくくれる」と思いながら幕を引きたいと思っています。 ただ、質問者様のような心境ですと、すぐには無理でしょうから、まずは日々の暮らし事を、ひとつずつ丁寧に片づけていく事から始めてみて下さい。 最後に、怪しげな新興宗教や占い師にだけは気を付けてください。宗教を騙る金集めの亡者でしかありません。
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- 五十嵐 正(@oh-Tokyo)
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願いが叶うよう、心のよりどころとしてお参りする、という事だと思います。 どのお寺でも神社でも、願掛け(継続して祈り、何がしかのお礼も約束する)や単なる祭礼祈願や、助けて欲しい事などを祈って良いのです。 安心して下さい。 縁が無い社でも、絵馬の台座を買い願いを奉納するのはその手段の一つです。 少しでも願いが叶う方向になったら、お礼参りするのが常識です。 願いが叶うまで何度もお参りする場合、お参り先はすぐ行ける所が便利です。 あちらこちら別の神仏に、同じ願いを又がけ重複するのは良くないです。 観音様にお願いするのが最も霊験鮮たかに叶えられる、とされています。 観音様は、カン と音を出すだけですぐ対応してくれる、という伝説もあります。 伝説の一つに、お稲荷さんはとても良く面倒を見てくれるが、下手にお参りすると祟りがある、と言われています。
お礼
お参りのヒントなどありがとうございました。 グーグルマップで徒歩圏(15分くらい)に「お寺」を1軒見つけました。候補にします。
- maiko04
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受験シーズンになると山のような絵馬が神社に並びますよね。 これ、神様の方から考えてみてください。 200人の定員に300人の希望。これでは神様が困ってしまいます。 落ちた100人に申し訳ないと思いながらも200人でバッサリきられるのが 定員のある試験の定め。 1つ、小さなことでいいから良かったことがあったときに神様にお礼に行く。 これなら神様も「良かったね」と微笑むだけで済む。 それでまた1つ良いことがあったらまた神様にお礼に行く。 これなら神様としては幸せなことではないですか? これなら次に来るであろう無理難題の1つも叶えてやりたいと思うのも人情 (いや、神でしたねw) 失敗はしたけれど善戦できたのには神の力を感じた。という人もいます。 なにかするときに「何かが降りてきた」という人は結構多いのですよ。 これはきっと日頃のお礼によって神が一助をくれているのですよ。 私は神社仏閣には行かない方ですがそれでも何かの力添えを感じるときが あります。目に見えて実力以上のものができる時があるのですから。 難関の国家試験がありました。 午前と午後の両方にわたって試験が行われます。 私は午前の試験でパワーを使いすぎ、昼休憩の時間にはヘロヘロで 周りは食事もそこそこにみんな参考書を一生懸命見ている中で、 私はもう帰ろう。どうせ午前の成績で足切りに合うから午後は採点さえ してもらえないと思っていました。 まぁ、でもせっかく遠い所まで来たんだ。試験問題だけでも見て帰るかという それだけの理由で午後試験に臨んだのでした。 結果は合格。信じられないことでした。あのまま帰っていたら不合格だったと。 やはり誰かの力が働いたのだろうなと思わずにはいられない思い出です。
お礼
似たような体験あります。 自分の力だけではなし得なかったことを達成した時、人は何かの存在を神と考えたり、仏と考えたり、ご先祖様と考えたり、守護神と考えたり、自然と考えたり、太陽と考えたり、山と考えたり・・・以下略。
- zabusakura
- ベストアンサー率14% (2381/15944)
神様も仏様も苦しい時に助けて下さいとお願いする所では有りません。 思いつきで行っても意味は無いみたいです。 お住まいの氏神様に定期的に感謝を。 体調が悪いなら病院へ。運が悪い時は反省し行動を見直す時かと。 困った時に、どこの神社やお寺にでも、思いつきで行って助けて頂けるのなら 世の中に不幸な人は居ないと思います。 神仏様に、お願い事をしようと思えば、それ相応の対価が必要らしいです。 普段から、感謝して、お参りしてたりすると助けて頂けることも有るかもしれません。
お礼
お考え了解です。
- straysheepcat
- ベストアンサー率15% (8/51)
苦しい時の神頼み、自分次第ですが、その考え方はナンセンスだと思います。 ましてや、ご利益を望んでのお参りなんて愚の骨頂です。 私は、初詣もするし、旅行先で神社仏閣に参拝もします。 孫が健やかに育つようにと。 だからと言って、それで孫が健やかに育つとは思っていません。 鰯の頭も信心からでしょう。 極端に言えば私は信じていません。無神論者です。 カトリックや仏教の金ぴかな袈裟と言うか、あの姿は滑稽そのものです。 人に道を説く人間の、あの姿は笑止千万です。お笑い種です。 しかし、信じる、信じないは、各人が自分で決めることだと思います。
お礼
お考え了解しました。 人間には、本能的に何か他者に祈りたい衝動があります。多分、人間を類人猿から進化させた他の宇宙の高等生物が、人間の本能的部分に自分たちの存在を(軽く)プログラムして残したのだと思っています。
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6875/20335)
『いわしの頭も信心から』 この言葉は 節分の時期に厄払いのおまじないとして イワシの頭を使うことからきています。 身を食べた後のイワシの頭は何の役にも立たないただのゴミのようなもの。 そんなものでも 信じていれば役に立つ。といった意味です。 信じるということが全てです。少なくとも プラシーボ効果的なことぐらいはあるでしょう。 神様も商売ですから 来る者拒まず です。
お礼
アドバイスありがとうございました。 昔、実家で入り口のイワシをさしていたことを思い出しました。
- chachaboxx
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よく言われるのは氏神を無下にするな ということからするとご近所への自己リサーチで調査ですかね。 よりご利益というかモチベーションを維持したいということでしたら、ネット等で参拝できる範囲でここぞと思うところでいいと思います。 あまりあちこち行くよりも1つの神様=神社を定期的(月1とか)にお参りするのがいいと思います。
お礼
アドバイスありがとうございました。 (ネットで調べましたところ)隣接市に一の宮神社があるので、まずはそこにと考えています。 定期的に行くというアイデア、参考にさせていただきます。
- marukajiri
- ベストアンサー率45% (504/1101)
お寺と神社であれば、できれば神社の方がいいかもしれません。行きつけの神社が無い場合は、その地域の一ノ宮となっている神社に行けばいいと思います。少し遠くてもわざわざ出かけてお参りして、事の次第を述べて、「何とか助けて下さい。私もできるだけのことはして頑張りますので」と神様に心を向け、日々のわずらわしいことに、神様と一緒に立ち向かっていくような姿勢を持てば、問題解決の糸口が見えてくることもあるのです。 神様がいらっしゃって、大いなる働きをしている神社は、どことなくすがすがしくて、お参りした時に気持ちのいい感じがします。逆に神様がいらっしゃらなくなって久しい神社は、薄暗く気が重く、何となく嫌な感じがするものです。 もしも、近くにある神社や出かけた先で見かけた神社が、後者のような神社であった場合はお参りしない方がいいと思います。それだとお参りするところが無いという場合は、朝、太陽が出た時に神社にお参りするように朝日を拝めばいいのです。太陽には太陽神界があり、アマテラスオオミカミさまがいらっしゃいます。太陽の光を浴びるたびに神様に心を向け、いつも見守っていただきありがとうございますというご挨拶からお祈りに入ればいいのです。 日本には八百万の神様がいらっしゃって、神様に心を向ければ、いつでも神様はあなたの力添えをしてくれているのです。困った時の神頼みだけではなく、日頃から神様と仲良くなっているのが理想ですが、困った時こそ神頼みして、神様と共に問題解決にあたるのも間違いではないと思います。
お礼
早速に、具体的な回答ありがとうございます。参考になります。 人間には生まれつき「宗教心」というようなものがあるんだなと最近思っています。
お礼
アドバイスありがとうございました。 まずは何か「崇高なもの」に、静かに手をあわせたい気持ちです。