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塾講師の向き不向き
塾講師の先生方に伺います。 塾のお仕事はやはり、根底で子供好きだったり教育に関心がある人、または指導教科を愛しているような人、でないと向きませんか? バリバリの進学塾でもなく、かといって全然できない子達はいない、本当に平均の子達がメインの塾でアルバイトしています。 私は子供が好き!というわけではなく、 ・教えることが好き。 ・自分がなぜか勉強好きで、そういう場に身をおきたい(中高の参考書売り場には、懐かしさからつい寄ってしまいます)。 ・困っている人や、目標のある人を全力でサポートしたい。 みたいな思いから塾バイトに目を向けました。幸い悪い評価はなく、和やかに2年間続けさせてもらっていますが、申し訳ないことに飽きてきてしまいました。 集団でも個別でも、積極的に質問があることはなく、教えることで役に立てていると感じる機会が少ない。(質問箇所を想定して準備してもあっけなく終わります。)また、受験やテストが近付かないと目標も困ったもなかなかない。(当たり前ですよね…) やりがいを感じられるとしたら、意識高い子の集まるバリバリ進学塾か、本当に困っている子の家庭教師、もしくは昇給制のある塾でアルバイトするかだな、と思います。 ですが、今いるような塾が圧倒的多数なのかなとも思いまして、皆さんはなぜ飽きないのか、お聞きしたく投稿しました。
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- yuklamho
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経験者です。私の思うところを述べます。少しでも参考になるところがあれば幸いです。 “教える”ってプレゼンテーションです。セールスマンが商品を売り込むのと同じです。教える単元の本質の考えを理解しどうやって伝えたらその生徒がその本質の考えを理解/修得できるか、それを考えながら教えるわけです。生徒一人一人性格や個性が違いますから、反応を見ながら、授業を進めていきます。生徒が理解/修得できなければそれは教え方/プレゼンテーションのし方が悪いのです。商品が売れない時にお客のせいにするセールスマンがいたらどう思いますか?教える方が知識をたくさん持っているからといって生徒に対して上から目線になるのは違うと思います。教える方に問われているのは教え方/プレゼンテーションのし方で、それに対して報酬がもらえるわけですから。 “バリバリの進学塾でもなく、かといって全然できない子達はいない、本当に平均の子達がメインの塾でアルバイトしています。” “やりがいを感じられるとしたら、意識高い子の集まるバリバリ進学塾か、本当に困っている子の家庭教師、” 強いて言えば、(勉強しないと大学にいけないから)高校生の生徒はやる気があり楽で小学生の生徒は躾から教えなければならないので面倒ですが、教えるという意味では生徒のレベルはあまり関係ないのではないでしょうか。確かに昇給制はいいですね! モティベーション上がります。 “申し訳ないことに飽きてきてしまいました。” “今いるような塾が圧倒的多数なのかなとも思いまして、皆さんはなぜ飽きないのか、お聞きしたく投稿しました。” 仕事ですから。中には車を売るのに飽きるセールスマン、魚を売るのに飽きる魚屋さんもいるとは思いますが。
今はやっていませんが、以前かなり長いこと塾講師をやっていました。 辞めた理由は主に会社への不満や副業が本業になったためで、塾の仕事に飽きたということではなかったです。 質問文を見て、色々思うところがありました。 私も特に子供好きということはなかったのですが、どうしてあんなに面白かったんだろうと改めて考えるきっかけになりました。 教えることが好きという基本的なところは質問者さんと同じだと思いますが、違うところがあるとしたら多分、微妙な物事の変化をすごく面白がれる性格が幸いしたのだと思います。 微妙な変化というのは、例えば土に撒いた種から1ミリでも地面に芽が出れば非常に楽しいし、ある程度成長して小さな蕾ができればそれも楽しい。 蕾の段階でも色々ありますよね。硬い蕾が少しずつ成長して、花が咲く直前は色がついてきたりなど。 さらにそういった成長も、種ひとつひとつみんな微妙に違う形で育っていきますよね。 そういった変化を見るのが昔から大好きで、それが塾の仕事にもつながっていたような気がします。 質問者さんは子供たちを「平均の子ばかりでつまらない」と仰いますが、一人ひとり見ていくとみんな全然違いますよ。 塾に通えるという時点で似たような成育環境であることは事実だと思いますが、例えば同じ親元で育った兄弟でもみんな全く別の人間じゃないですか。 成長の速度も方向もみんな違うし。 同じような質問をされても、聞き方は全員違うはずです。 質問の内容自体は同じでも、言い方のニュアンスの違いからその子の別の背景が見えることってないですか? 質問がなくても、解き方の傾向にも全員個性があります。 要は子供を全員「子供という人種だ」と思わずに、一人ひとり別の人間だと思えてくると今とは違った面白さが見えて来るんじゃないかと。 ちなみにこれ、成績の変化が微増だった時の言い訳じゃないですよ(笑) 仮に微増でもそれをしっかり一緒に喜んであげるとその後の成長も大きくなりますけどね。 でもまあ、塾の方針にもよるかもしれないです。 子供たちを単なる集合体と考えて、泣こうが喚こうが機械的に偏差値を上げさせるといったような方針の塾だったら、個を見るとか悠長なこと言ってられないところもありそうですね。 あくまで一意見です。 ご参考にならなかったらすみません。 一応最後に現実的なアドバイスですが、受験やテストが近づかないと目標も困ったもない、というのは講師の怠慢ですよ。 何もない時だからこそやらないといけないことはたくさんありますよ。 逆に、普段その調子だといざテスト前になってからいつも慌ててませんか? 生徒本人が困っていなくても隠れたお困りポイントを見つけてあげるのが教える側の仕事です。
- Dr_Hyper
- ベストアンサー率41% (2483/6032)
昔家庭教師や塾講師をやっていたものです。 教育ってのは,人の人生の一部に関わります。 相手がニコニコしてようか睨んでいようか,学ぶ機会を与え,それをインプットし使えるようにすることはその子の人生に深く関わった一人である事は間違いないでしょう。もちろん自分も含めて全員の塾の先生の顔を覚えているのか,感謝しているのか疑問はあります。それはお金を通じての関係だからです。 つまり真面目に精神的なやりがいを感じたいのであれば,俺はこの子たちの人生に関わっているぐらいの気持ちで臨めば良いでしょう。 相手の対応など関係ありません。実際分かったからといって塾の先生に感謝する子がどれほどいるだろうか?と思います。受かったからと言っても平気で何も言わずそのままのこだっているでしょう。でもその子の人生には関わったと言う事から,特にあなたは失敗させたら責任があると思えば,飽きてしまったとは言えなくなるかも知れません。まあ程度問題ですが。 で,私はどうだったかと言えば,所詮バイトではないか。と感じます。 適当にごまかすのは良くないとしても,相手が求めている以上のものをお金の範囲で解決するのはむずかしく。例えば熱意がある生徒が現れたとしても,あなたが料金以上の事をするのは,生徒にとっても迷惑なんですよね。 正直塾にはあまりやりがいはないと思います。それは上のレベルに行けば行くほど親が真剣になるだけで子供はそれなりです。もちろん相談など受けて真剣に関わることがありますが,といっても数年の付き合いです。しかも週1回程度。 年間で30-40回ちょっとしか会わないんですよね。 家庭教師はその点やる気を前面にだしやすいのですが,実際これも相手次第です。親は関係ありません。親がやるきの人はたくさんいますが,お子さんが本気になってくれるパターンは極々希です。 教え方で。こちらの熱意で。というのは私も理解できますが, お金を払って目標は人生の到達点ではなくて,単に偏差値,合格点。 確かに重要なのですがあなたがバイトとしてやっていくときには,彼らのマイナスにならないことに集中して上げるべきなのだと思います。 それだけでも絶対に大変です。上乗せになってあげたいと思っていると必ずあなたが意識してないお子さんの意欲を削いだりしている可能性があります。 全員に一定以上の質を提供するのは,実は結構大変なんですよ。 まあそれは大学の授業をしていても同じなんですが。 やりがいを見つけるなら,自分の教え方の成長のみで感じる事。 相手の受け取り方,処理のしかたは彼ら次第なので,そこにやりがいを感じ始めると医者と同じで病気を治さずに人生に関わってしまえばその職業は破綻します。