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東北のいいところ
- 東北の魅力を紹介します
- 東北の名所や温泉、グルメなど魅力的なスポットがたくさんあります
- 東北の広大な自然や深い歴史、心温まる人々の魅力をお伝えします
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質問者が選んだベストアンサー
大阪で生まれて、宮崎で育って、神奈川に就職して、30歳から青森在住20年。イヤならサッサと越せるのに、雪深い冬に毎年ホトホト嫌気がさすのに、離れられません。・・・ホント、何故なんでしょうね? 風呂(温泉)とメシ(海産物も肉類も)が良いのは確かです。 東北を愛して下さる事に、心より深く感謝申し上げます。青森在住ながら、たまにディズニーや横浜、大阪USJ等に行きますが、帰ってくると安堵します(ま、誰しも同じだとは思いますが)。『東北の良いところ』・・・、住んでるモノには良く分からないのが実情でしょうか。 要は「故郷は遠きにありて思うもの」でしょうかね。(ちょっと車で走れば)日本人として『心が求める原風景が変わらずに在るから』と言えばカッコツケのような感じもしますが、この地を離れられない確かな要因でもあります。ただ、県内にいても、深浦の不老不死温泉、十二湖、恐山、十和田湖、大間、ストーブ列車などに行くのは稀です。ちなみに、恐山&薬研温泉には、去年(在住19年目)初めて行きました。 是非、今後とも、東北旅行を楽しんで頂けますよう、心より願ってやみません。なお、『いいところ』が観光スポットを現しているのでしたら、「十和田湖畔(宇樽部)でキャンプ」「弘前の桜まつり」「追の沢マス釣り場」「森の中の果樹園」は、毎年行ってます。・・・全部、春~秋ですね。冬は「雪かき&近場の温泉」で耐え続けます。
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- ミッタン(@michiyo19750208)
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isoken大センセお邪魔します 東北のいいところですか? 人が優しいところでしょうかねぇ アダルティな商売やってた頃に知り合った殿方が仙台に1名、岩手に1名おりますが、今でもメールで近況報告のやり取りが続いています 東北まで行くのはなかなか難しいですが、1度は会いにいきたいです(^^)
お礼
ミッタン、こんばんは。 >人が優しいところでしょうかねぇ イメージとしてはそうでしょう、私が知る限り 実情もそれに近いと思います、東北出身の知人何人かを思い浮かべますと。 東京に来たついでに 東北に足を延ばしてみてはどうでしょう、今や仙台まで2時間の時代ですから。 回答ありがとうございました。
- kamejrou
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こんばんはisoken さん お久し振りでしたが奥様落ち着かれましたか? >東北のいいところ? さあ、何でしょうかねえ? ただ私が思うに中央の政治から離れた土地柄であるだけに 義経の昔から独立独歩の気概が見え隠れする 従順を装ってはいても心中、頼朝何するものぞ❗ Isoken さんお好きな政宗、秀吉何ほどの者である?❗アハハハ 私はそれが、東北そして東北人の魅力のように思いますが 時代はもう昔ではありません 時代が変われば色々な事が変わらざるを得ないでしょうが 人の心まではどうか? 観光としては私も回らせていただきましたが旧所名跡に余り手垢がついてない そんな印象でしょうか? 私は仙台も良く行きましてねホテルで枕を濡らした夜もあるのです(笑) 感慨深かったのはやはり会津でした 容保公始め家臣一同さぞや断腸の思いであったでしょうに 正之残した家訓とは言え徳川にあれだけの義理を尽くす 家臣の霊を慰めんと余生を宮司で終えたと言います 私は人間として見事なことと思うのです どうも支離滅裂な回答になりまして 和田アキ子ではありませんが何時もの事と笑って許してくださいな
お礼
kamejrou さん、おはようございます。 先の質問で adele さんへのお礼を拝見しましたが、その御厚情にただただ感謝するばかりです。 家内の悲しみは私の悲しみですが、お陰様で無事に全てを執り行う事が出来ました、きっと故人も草葉の陰で満足しているはず・・、また 家内の立ち直りも、義母の時よりは早いように感じます。 尚 身罷った岳父は 杉並の商家の跡取りに生まれ、蝶よ花よと育てられて、それこそ好き勝手に生きた人でした、その上 娘婿の私が見ても商才ゼロでありまして、手を出す商売がほぼ全てものにならず、家内の実家の屋台骨を倒れる寸前にまで傾けた人でもある、ただまあ 憎めないオッサンでしたねぇ。 思えば20何年か前、 家内との結婚の為 初めて挨拶に赴き、ガチガチに緊張して 畳の隅に両手を付き頭を下げた私に、 「 いいから飲め ! 」 と言ってくれたシーンが、昨日の事のように思い出されます。 それ以来 義父とはずっと仲良しで、正直言って 諸事堅苦しい実父とよりは一緒にいて気楽なオッサンでした、一緒に飲みにも行きました、もっとも勘定はいつも私持ちでしたが。 >ただ私が思うに中央の政治から離れた土地柄であるだけに 義経の昔から独立独歩の気概が見え隠れする 従順を装ってはいても心中、頼朝何するものぞ❗ 奥州 藤原氏3代の栄華・・、当時としては 遥か辺境の地にあれだけの文化を築き上げた、中でも 牛若丸 と 藤原秀衡 を結び付けた 金売吉次 が印象的です、恐らくフィクションなのでしょうが。 個人的に NHK大河で記憶があるのは、 尾上菊之助 さんが主役を張った 『 源義経 』 からなのですが、当時 鼻タレであった私から見ても 匂う様な美男美女でしたねぇ、菊之助 さんと 藤純子さんが演じた 義経 と 静御前 は・・。 >Isoken さんお好きな政宗、秀吉何ほどの者である?❗アハハハ 私はそれが、東北そして東北人の魅力のように思いますが 或いは 曹操 の系譜に連なる梟雄の一人なのかも知れませんが、豊臣の天下が定まって尚、あわよくば天下を・・という気概を失わず、次々と名家が滅亡して行ったあの時代に、雑草のような逞しさで 名門 伊達家 を守り抜いた手腕一つ取りましても、若き独眼竜には えも言えぬ魅力がありますねぇ、大好きです。 また 煮ても焼いても食えないとの印象のその一方で、大阪夏の陣に於いて大勢が決した後、 徳川 に内密で 真田幸村 の遺児達を保護した侠気 ( 実際には 片倉小十郎 ですが、主君の内諾という点を考えれば、そう申し上げて宜しいでしょう ) ・・、あの当時の 徳川家の権勢を考えれば、そこいらの大名でしたら恐らく二の足を踏んだはずでありまして、私には身が震えるほどの感動なのです、 吉良の仁吉 ではありませんが、 伊達政宗 は男じゃないでしょうか。 >観光としては私も回らせていただきましたが旧所名跡に余り手垢がついてないそんな印象でしょうか? 余りに商魂が逞しい故に 興醒めしてしまう、そんな観光地が無い訳ではありません、西の方に多いでしょうかねぇ、どことは申しませんが。 それに比べれば、仰る通りで 東北の著名観光地は手垢の付き加減が少ないかも知れません。 >感慨深かったのはやはり会津でした >容保公始め家臣一同さぞや断腸の思いであったでしょうに >正之残した家訓とは言え徳川にあれだけの義理を尽くす >家臣の霊を慰めんと余生を宮司で終えたと言います >私は人間として見事なことと思うのです 恐妻家で鳴った 徳川秀忠 ・・生涯たった一度の浮気 ( ・・かどうかは知りませんが ) が、遥か幕末に於いて 徳川の屋台骨を支える事となるのですから、歴史とは面白いものです。 無論 明治維新 には一定以上の評価を惜しみませんが、翻って 男としての視点で 松平容保公 の心情に思いを馳せると、複雑な感情を禁じ得ない、その点は 佐幕も勤王もなく。 無理矢理引かされた 貧乏くじを、途中で投げ出す方法論もあったはずです、もっとも 先に投げ出したのは徳川宗家の方でしたが。 最後になりますが、義父と家内に成り代わり、深くお礼を申し上げる次第です、勿論 許すも許さないもありません、ただただ ありがたいだけでありまして。 回答ありがとうございました。
こんばんは。 あくまで私見ですけど、純粋で親切な人が多いイメージです。 学生時代に、北海道で牧場のアルバイトをする為に 大阪から夜行列車で行きましたが、その間にも 列車で隣り合わせになった方は勿論みんなあったかな方が多くて 当時を振り返ってもいい思い出として残っています。 もし今また東北へ行くならば秋田・青森に行きたいです。
お礼
Live さん、おはようございます。 ところで体調の方は如何でしょうか?、気になっておりましたが。 我が家も3人の病人を抱えておりますが、とある病に倒れ 今尚リハビリを続けている父が申しております、 「 全ての現実を受け入れ 明るく付き合って行くしかない 」 ・・と、何卒 御自愛頂きたいものです。 >あくまで私見ですけど、純粋で親切な人が多いイメージです。 学生時代に、北海道で牧場のアルバイトをする為に 大阪から夜行列車で行きましたが、その間にも 列車で隣り合わせになった方は勿論みんなあったかな方が多くて 当時を振り返ってもいい思い出として残っています。 >もし今また東北へ行くならば秋田・青森に行きたいです。 夜行列車・夜汽車・・懐かしい響きです、その昔 寝台特急というものがあり、私も2~3度利用した事がありましたが、今もあるのでしょうか。 尚 東北の方々のイメージはそうでしょう、朴訥・純粋・粘り強い・・ステレオタイプで語ればそんな感じで。 大抵の場合 私は車で出掛けるのですが、東北道を北上するに連れて、遥かアイヌ語の名残でしょうかねぇ、明らかに当て字と思われる地名が増えて来る、そこいらがまた旅情をそそるのです。 回答ありがとうございました。
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お礼
sp550uz さん、おはようございます。 >大阪で生まれて、宮崎で育って、神奈川に就職して、30歳から青森在住20年。イヤならサッサと越せるのに、雪深い冬に毎年ホトホト嫌気がさすのに、離れられません。・・・ホント、何故なんでしょうね? 風呂(温泉)とメシ(海産物も肉類も)が良いのは確かです。 生れた場所で一生を過ごす 定点観測の人生もあれば、 sp550uz さんのようなケースもある、それにしても 宮崎から青森ですか、それだけ句読点の多い人生を歩んでおられるという事なんでしょう、興味深いです。 少しばかりの降雪で都市機能が麻痺し、毎度 大騒ぎする東京に住む者として、雪国に暮らす皆様のご苦労は計り知れません、それだけ良いところも多いと言う事なのでしょうね。 >要は「故郷は遠きにありて思うもの」でしょうかね。(ちょっと車で走れば)日本人として『心が求める原風景が変わらずに在るから』と言えばカッコツケのような感じもしますが、この地を離れられない確かな要因でもあります。 あれは 『 津軽じょんがら節 』 という映画でしたか、冒頭に映し出された ススキの穂が風に揺れるシーンが記憶の片隅にありますが、今に至り あれが津軽のイメージなのです。 尚 一口に青森と言いましても 津軽 ・ 南部 があるそうですが、つづら折りの山道を何十分か走った果てに辿り着いた、 恐山 の風景は一生忘れないと思います、さすがは霊場・・これは並の場所じゃないと 度肝を抜かれましたから。 一方の 大間 では 「 本州最北端の地 」 という石碑をバックに、家内の両親と写真を撮りました、そして 遥か先に眺める事が出来た 函館もそうですが、義父・義母が身罷った今となっては、忘れられない思い出です。 >是非、今後とも、東北旅行を楽しんで頂けますよう、心より願ってやみません。 これは決して思い上がりで言う訳ではなく、日本人として或る種の カタルシス が感じ取れる残り少ない地域・・、これからも東北旅行を存分に味わいたいと思います。 回答ありがとうございました。