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NHK会長の交代と、忖度体質の深化定着について

安倍友の会長が就任し、「政府が右といったものを、左とは言えない」と宣ったときは大きく報じられましたが、今はもう別の人になっているのですね。 なぜ退任(会長交代)はさほどの話題にならなかったのでしょうか? また、忖度会長ですっかり忖度体質が出来上がったNHKですが、 会長交代後も改まるどころか強まってさえいるのはなぜでしょうか? 今の会長が安倍友とは聞きませんが、その下の重役たちが安倍友で固めれられたのでしょうか? 不思議です。

みんなの回答

  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3668)
回答No.1

NHKの予算は国会で審議の上、承認される必要があります。 そして、一般の企業や事業所は、それぞれに行政の中に監督官庁が存在しますが、NHKの場合、その監督の役割を果たすのは国会審議を経ての予算という流れからも国民、視聴者ということになり、その代表者である国会ということになります。 ところが、国会はその時々の政権の方向性や力量によっては必ずしも国民に向き合い、国民の声を代表するとは限らない。 今の安倍自民党政権は、近年の政権の中では群を抜く支持率があり、そのために圧倒的多数を背景に十分な審議時間を要する最重要案件であっても審議不十分のままの強行採決など、何でも出来てしまう状況にあります。 理屈の上では国民の代表者としての国会ですが、現実には現政権は審議内容や過程以前に初めから結果ありきで全ての事案を押し切ってしまう状況にあります。 たしかに、理論上は国民の代表者ということになる国会も、現実には時の政権のパワー次第では、全体の代表者ではなく政権与党の支援者の代表者ということになりますが、NHKとしては予算計上のシステムからも何も言えない。 NHKの忖度体質は会長の顔がいくらすげ変わったところで、所詮は時の政権に首根っこを押さえ込まれている状況ですから、何も変わらないのはごく自然なことでしかありません。 公共放送を名乗るNHKは、他の民放などが様々な問題点を炙りだし、散々政権批判を繰り返し、本来あるべき姿を追及すべく、ジャーナリズムを標榜する理想に照らして、一歩も引かずに行動しますが、所詮NHKは国民の代表者の委託を得るのではなく、時の政権の飼い犬でしかありません。 つまり、NHKは問題を炙り出すジャーナリズムの中に身を置くのではなく、政権の意向に背かないように忖度しながら作文を読んでいるに過ぎない放送機関でしかないということです。 言い換えれば、NHKに独自の思想もなければ、国のあり方や国民の幸福を願う姿勢などは皆無であり、単なるときの政権の出先機関でしかないということです。 たとえば時の政権が独裁を行い、人命を軽んじ、信教思想の自由を奪う政策を展開したならば、NHKはそれに従い単なるスポークスマンとしてロボットのように淡々と放送するだけということになりますね。 NHKは真実を追究するジャーナリズムは馴染まないものだと思いますよ。

gesui3
質問者

お礼

NHKの運命論では片付かない、と思います。 以前は政権の意向に反しても公正かつ重厚な報道をしていましたよ。 NHK特集やスペシャルなどで、鮮やかに切り返していました。 いまは、国策番組・報道ばかりが目立ちます。 アナウンサー個人にもアベ子飼いの者までいて目を覆うばかりー。 アベ政権で何かが大きく変わりました。構造か運営か何かー。

gesui3
質問者

補足

考えられるのは、籾井会長時代にすっかり忖度体質を固めてしまい、会長交代さえも報道しないほどにアベ支配が貫徹されたということ。権力を監視するジャーナリズムの精神を堅持した相澤冬樹記者が左遷・退社した反面、小池英夫報道局長と岩田明子記者などが政府のヨイショ報道をする程にすっかり「国営放送」にするには、どうやったのだろうという疑問でした。(北方領土交渉の失態を覆い隠して、「プーチンの父親?の写真を見せてもらえた」と手柄顔で報道するなどは茶番報道。アベ後は、紅青の二の舞か。) SNSなどでは話題になっているのに、このサイトでは他に誰も反応しないのも不思議です。 が、期限が来たので、いったんは閉じます。

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