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ニーチェや、他の哲学(者)、について教えて下さい☆
- ニーチェについてどの本を買うべきか?メタ的な視点が魅力的な点と、他の哲学書を読む順番についての相談
- ニーチェと他の哲学を理解するためのジャンルの大まかな俯瞰図を求める
- ニーチェの周辺と時系列を考慮したニーチェ以前と以降の哲学の理解方法について相談
質問者が選んだベストアンサー
太田紫織とかいう推理作家の本でも読んだらどうですか。 売れてるらしいですよ。 アニメ化どころか フジテレビでドラマ化 エブリスタとかいう投稿サイト TBSラジオ 「宣伝ありがとうございます!」状態だ。
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- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10004/12512)
すでに立派な回答が寄せられていますので、私などの出る幕ではないような気もしますが、「興味だけはある」ということで、参加させていただきます。 ニーチェの著作については、処女作『悲劇の誕生』、代表作『ツァラストラかく語りき』、最晩年の『この人を見よ』などのご一読をお勧めします。彼は25歳でスイスのバーゼル大学教授になって間もなく、『悲劇の誕生』を引っさげて世に登場したものの、学会では「口から出まかせのゴタクを並べている」として悪評を買った。しかし、その「おかげで」ニーチェは学者から広い意味での思想家に成長したと言われる。これらの、いずれも奇想天外な作品は、特に『ツァラストラかく語りき』は、特に哲学論文でもないような、文学作品でもないような感じの「フィクション」ですが、それでいて、不思議にも、代表作と言われています。 ニーチェの精神史を概観すれば、こう言えるかも知れません。上掲書をはじめ、『反時代的考察』、『人間的な、あまりに人間的な』、『たのしい知識』、『善悪の彼岸』、『道徳系譜学』、『偶像のたそがれ』、『権力への意志』、『アンチクリスト』などを通して、「キリスト教に落胆→ペシミズム→神殺し→開き直り→ニヒリズム→無神論→独自思想の神格化(新しい神探し?)」へと変遷したように思います。 あの世を賛美し、この世を否定するキリスト教は死の匂いがする。それでは、この世のすべては徒労だということか。よくても、その発想はせいぜいマイナスからゼロを目指すのがやっとだ。ゼロからプラスを目指すのが本来の人生というものだろう。ここにニーチェの苦悩がはじまる。ペシミズムが心に巣くう。この世こそを賛美し、主体的に積極的に生きるべきではないのか。プラトンのイデア論などくそくらえ、とばかりこれに反感を抱き、あの酒の神ディオニソス(バッカス)に共感を抱く。そして、ここにニーチェの開き直り、ニヒリズムが頭をもたげる。かくなる上は、地上の楽園を造るか、永劫回帰するしかない。そういう神はいないのか。自分が神になるしかないのか。いや、そういう「真なる神」がいるはずだ。「これが人生か。よし、もう一度!」。もう一度考えよう。もう一度神を探そう!? 以上が、「描出話法で」描いた私のニーチェ観です。なお、ニーチェは、先哲ショーペンハワーや歴史家のブルクハルトの影響を受けて「美的個人主義」を体現し、「生の哲学」や「実存主義」の系譜につながる学派に影響を与えた、と言えるかも知れません。なお、『哲学事典』はこう述べています。「権力への意志」を生物的自己保存の本能と類比し、「超人」の観念に進化論の影響を想定することによって彼を「生の哲学者として」ベルグソンらに併置する解釈もあったが、ハイデッガーやヤスパースによって「実存主義の源流として」キルケゴールと併置されています。
お礼
ありがとうございます。 今の自分には一番身近な言葉でわかりやすかったです! 色々きっかけになりそうな言葉が聞けて良かったです。
- koosaka
- ベストアンサー率43% (78/179)
とりあえず、ニーチェを読むんだったら、「善悪の彼岸」と「道徳の系譜」と、「アンチ・クリスト」を読んで、最後に主著「力への意志」を読んだらいいと思います。 「ツァラトゥストラはこのように語った」という本はあまりお勧めできません。 思想史的には、デカルト・カント・ヘーゲルと続いて来た合理的・理性的な哲学の系譜が、後期シェリングの「意志の方が理性よりも優位」という考えが、ショーペンハウワーに受け継がれ、そこから哲学を意志から考える、非・合理主義の「生の哲学」という流れが、ニーチェとか、ジンメルとか、ベルグソンに受け継がれます。 ニーチェの哲学を知りたかったら、ちょっと難しいですが、ハイデガーの「ニーチェ」と、ドゥルーズの「ニーチェと哲学」をお勧めします。 あなたはニーチェを「メタ的に見たところ」とか「メタなところがカッコいい」と言っていますが、ニーチェは古代ギリシャのプラトンの「形而上学」と、キリスト教を盛んに攻撃しましたが、それを「メタ的に」批判したのではありません。 そしてマルクスも、資本主義のイデオロギーを批判しましたが、その構築の過程自体を「メタ的に」に着眼していません。 「メタ的に着眼する」って、なんですか? 上から目線で眺める、ということですか(笑)? それにニーチェが発狂したのは、哲学によってではなく、梅毒が頭に回ったからです。
お礼
メタ的に着眼なんて軽率でしたか?すいません。知識がない人間の軽率な軽口ですので何卒お許しください。難しい話だし、厳密な定義とか正確さなんて、誰も判定してくれませんし、どうせ自分は一読しても少なくともしばらくは(もしかしたら永久に)分かったような分からないようなだと思いますし…。んですからニュアンスで感覚的に衝動的に質問するのもこっちの勝手ですが、すいませんでした。
お礼
ご回答ありがとうございました!