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私と母はどちらがおかしいのでしょうか?
- 私は高校一年生の女子で、小学一年生の弟とよく喧嘩します。母は喧嘩を止めるけれど機嫌によって評価が変わります。私と母の関係に悩んでいます。
- 私と母は喧嘩するときもあります。明らかに母に非があるのに、母は自分を非難せずに私のせいにし、不利益を与えようとします。父は母の態度に呆れています。
- 母は機嫌が良いときは素晴らしい母親ですが、機嫌が悪いと自己中心的な態度を取ります。私は母との関係に疑問を抱き、弟との生活も苦しいです。どうすれば良いでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
まぁそこまで分析できているのならば、うまく受け流しつつ共存していく方向を探ればよいと思いますよ。 親とはいえ人間なので、感情的になることも筋道の通っていないことを言ってしまうこともあります。疲れていたりいらだっていると論理的に考えるのもおっくうになり、「面倒だから、まだ話の通りやすいおねえちゃんのにかぶせておこう!」なんてことを思っちゃうこともあるかもしれません。 あるいみ、八つ当たりしても耐えてくれるという信頼?(まぁ迷惑ですけどね)の結果か、年下か年上かといえば年上に任せよう、という判断かもしれません。 肝心なのは、あなたがつぶれないようにうまい受け流し方を身に着けること。そして、あなたが将来同じ立場になった時に同じことを子供や家族、またはそれにちかいパートナーに行わないようにすること。それだけです。 健闘を祈ります。
その他の回答 (6)
んーお母さんがおかしいとは思うけど、 16歳で6歳くらいの弟と喧嘩するのもおかしいと思う。 そんだけ年が離れていたら、もう少し大人の対応が出来ないのかと。 弟の人格が6歳にして、母親の悪い所を引き継いでおかしいとしても。 そのあたり、おかしい割合が100:0じゃなく70:30くらいは 有るんじゃないの?と思ってしまう。
- MuntiBBA001
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正論や理屈のケンカは子供相手には無意味ですから、 ただその場にいることが不愉快なだけだということなんだと思います。
- rmfjsrk112012
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お母さんが機嫌良い時にちゃんと話してみるのはどうでしょうか。 悪い時はないをしても聞かないだろうし。
- tpg0
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こんにちは。 私も、10歳年上の姉がいる弟の立場になる60代の男性です。 やはり、私が小学生になった頃には10歳上になる姉は高校生でしたから、姉弟喧嘩になっても体力や知識の多さに勝る姉が有利でしたので、母親から叱られるのは姉のほうが多かったです。 また、高校生という年頃は私自身も反抗期でしたので、恐らく姉も反抗期だったのか母親に口答えするなど口喧嘩をしてました。 なお、私の母親は19歳の若さで結婚したせいか世間知らずで身勝手なところがありますので、自らの非を認めようとしませんでしたから質問者様の状況と極めて似てると思いますけれど、そのような母親を反面教師として将来的に質問者様自身が母親の立場になった時に冷静な対応が出来るようになれば良いのではないでしょうか。 ちなみに、喧嘩両成敗と言われるように、どちらも悪いですし「おかしい親子関係」だと思います。
- eokwave
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「私と母はどちらがおかしいのでしょうか?」それは、どちらもおかしくないし(「弟と」穏やかに解決できれば、相談に至らないからどちらもおかしくない)、どちらもおかしい(「弟と」互いが自己を主張し激突すれば、相談に至る結果からどちらもおかしい)と言えるのではないでしょうか。声を張り上げ手をあげ「喧嘩」ないと解決はできない「事」は無いと思います。感情では無くて「事」の表面でも無くて「事」の本質を見る(己の感情を抑えあるがままを観る)様にしたいですね。 貴方を頼りにした方がお母さんも楽になるのにと思いますが。しかし、貴方が範を示さないと難しいですね「自分を認めてもらう。これは人生に於いてとっても大事なことです」。弟さんと「よく喧嘩します」と書かれていますので、喧嘩の内容の如何は別にして他愛もないことで喧嘩しない様にしたいものです。お母さんは「どうして喧嘩になったかを母が知らない時は、全て私が悪い。」とも書かれていますが、お母さんは貴方に大きな気持ちを持って欲しい。弟さんの面倒も見て欲しいと思っているのではないでしょうか。年上「経験量から」が年下の面倒をみるのが世間では当たり前、一般にそう受け止められます。「分って貰うより分ってあげる。それを小学一年生の弟さんに課すのは酷ですからね。」 [武田邦彦さんが(人生は親切の総和)で語っている一部を紹介しますね。] 人生は自分の体と意識で作るものではなく、自分の人生は周りが作っていくものではないだろうか。周りが人生を作る為には周りが私に良い人生にしてくれなくてはいけない。健康であって、病気しなくて、人生が穏やかで、自分のやりたい事がある程度達成されて、今日は天気で晴れていて気持ちいい、こうゆう人生を与えてくれる為には、自分から周りに働きかけなければいけない。その働きかけは親切ではないかと思う。自分が周りに親切を出し続ければ、そのリアクションとして周りが私に幸福を与えてくれる。健康にしてくれる。病気しないようにしてくれる。元々病気にならない体を周りが作ってくれる。自分が何かを覚えようとした時の記憶力を周りが与えてくれる。もしくはいろんなことが良くなる。周りが自分を作ってくれる、自分自身がそうなろうとしてもできない。自分の人生は自分が作るものであるが、他人との関係において出来るものであって、自分が自分だけの関係において自分を作ることはできない。この論理を整理し論理立ててきちとした体型を作れば、そしてそれが本当であれば、非常に多くの人が幸福になるのではないか。しかし、殆どの社会の活動は人生は意地悪の総和になっている。実際には、意地悪をする人が多いと言える。しかし、意地悪をして幸福になることはない。そんなことをしていると自分自身が意地悪で作られてしまう。それは、みんなの感謝の心が自分に向かうのではなく、自分自身が意地悪で作られてしまうのではないでしょうか。 私は武田邦彦さんの信者ではありませんし、自分の考えがない訳でもありませんが。しかし、貴方が今まで積んで来られた経験までは分かりません。同じ言葉でも相手との「関係」「タイミング」「距離」「ロケーション」等々で、発した言葉が幸せを招いたり、悲しみを招いたりする訳けですから慎重になってしまいます。そこで、私より遥かに学があり見識も経験も豊富な方が語られた内容を紹介させて頂きました。それに、この方なら疑問があれば明快に答えてくれるでしょうから。以上ですが、ご理解いただけたらと思います。
母と弟がきたら、にげる。 別の場所に行く とばっちりをくわないように、距離をおく 母がわるいです。おかしいです