• 締切済み

戦争時の日本と欧米の占領方はどう違う?

戦争時の日本と欧米の占領方はどう違う? 日本は台湾人に感謝されるほどプラットフォームを改善したとききます。 しかし香港の占領は現地民は日本人からは搾取されていて、イギリスの植民地化にはまだ好印象な感じがしました。 (イギリスは世界でも屈指の占領国でしたよね) 占領する国のスタイルはどう違っていたのでしょうか。

みんなの回答

  • misa-on28
  • ベストアンサー率35% (227/640)
回答No.5

日本の植民地政策は確かに欧米と少しく異なった性質を持っていた面もありますが、占領地政策を含めて考えると、収奪中心のものにならざるを得ませんでした。 植民地を維持するのは金がかかるもので、植民地や占領地(大日本帝国は資源供給地として南方資源地帯を占領したことは隠れもない事実です)からの一次産品に対し、高度な工業製品を見返りに供給することで成り立つものでした。 しかし、米国に絹製品を輸出することが大きな財政の柱であった戦前の日本は、勢力圏からの資源物資輸入に対し、これに見合った工業製品を輸出するほどの国力のない、貧弱な後進工業国でした。 このため、輸入資源の価値からするとそれに見合わない日本通貨での支払いとなり、必然的に輸入超過となり、結局帝国の勢力圏では日本本土から離れるほど激しいインフレーションに襲われ、日本の通貨の信用は低下していきました。 口の悪い学者は「大東亜共貧圏」と称する所以です。 また、「併合」によって日本と同じくしたという意見もありますが、日本本土以外の帝国領土では大日本帝国憲法が行われておらず、異なった法体系による支配が行われていたことに鑑み、名前付は「併合」であれど、あれは実質的に植民地であったことは明らかです。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.4

fresca918 さん、こんばんは。 そうですか?イギリスというのはインドなどの植民地では搾取するのみだったと記憶しています。つまり、香港ではイギリス統治下の方がよかったという事ですかね。問題は日本なんですが、今村均将軍が務めていた、インドネシアや、ラバウルでは彼の統治時代は問題はなかったようです。彼が戦犯になったのは部下の問題なんですね。たぶんそこの司令官や軍政部長なんかの個性が露骨に出ると思います。 フィリピンやビルマなんてところは、仏印とかはたぶん植民地時代の方がよかったかもしれませんね。 今村均 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%9D%91%E5%9D%87

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11072/34514)
回答No.3

台湾は日清戦争の勝利で日本が清国から手に入れたのですが、当時の台湾はほぼ未開の地で貧しい場所でした。裸族のような原住民が山の中に点在していたような状態だったのです。 それを日本が少しずつ開発して台湾の地に文明をもたらしたのです。 同じような事情は第一次大戦でドイツから占領した南の島々などでもありました。元々未開の部族が生活していたようなところに文明を持ち込んだのです。 日本が西欧諸国と少し違うところは、現地に学校を作ったことです。日本人は教育熱心ですのでね。そこで日本語を教えて、ついでに学問全般を教えました。学問が身につけば仕事のレベルは上がりますから、基本的に生活は豊かになります。そして教育というのはある意味洗脳でもあるわけです。日本の学校で子供の頃から基礎教育を受けたら、そりゃ反日的にはなりづらいですよ。朝鮮民族の場合は元々現地の文明がそれなり以上にありましたから、日本文明を押し付けられるのは気に食わなかったというのはあったと思います。遡って古代ならむしろこっちがお前らに文明を教えてやってたんだくらいの気持ちはあったでしょうね。 西欧諸国は、学校は作るにせよそこは自分たちの都合のいい高等教育の学校だったのです。日本みたいな初等教育重視ではありません。だから英語ができるやつなら大学に来れば教えてやってもいいよ、というスタンスなのです。 太平洋戦争時の占領のときは、例えば香港であれば香港在住のイギリス人なら当時の日本人よりずっと豊かな生活をしていたわけです。そこに彼らより貧乏な日本が支配者としてやってきたから、まあいうなれば生活の質は支配者のレベル以下にはならざるを得ないわけですよ。 例えば現代の我々がアフリカの貧しい村を訪ねたとしてですね、その村は村をあげて歓迎して御馳走を用意してくれたとしても、私たちの目から見るとこんなの食べられないみたいなものを出されるかもしれませんよね。でも現地ではもう久しぶりの大御馳走だぞと。遠くから来た日本人のために奮発したぞと。でもひょっとしたらそれでこっちは来るんじゃなかったって思う人も出てくるかもしれません。自ら望んで彼の地へ行ったらそりゃ覚悟もあるでしょうけれど、自分の本意ではなくそこにいるのであれば余計に腹立たしいというのもありますよね。 フィリピンなんかも元々の支配者はアメリカで、アメリカ人のほうがずっとお金持ちでしたからフィリピン人からするとなんだよ、日本に占領されたらどんどん貧乏になるじゃないかとなったらそりゃ不満は持ってしまうと思います。

回答No.2

欧米がアジア、アフリカで行って来たのは植民地です、一方日本が行ったのは日韓併合、日台併合、同じころヨーロッパで併合されたのはドイツが、オーストリアを併合した訳です、ではオーストリアはアジアの植民地のようだったかと言えば、根本的に植民地と併合は異なるものですから、植民地のようになるわけはありません、 つまり併合されたオーストリアはドイツとなった訳で、オーストリアの人たちもドイツ国民となったのです、無論ドイツの国民とほぼ同じ権利があるので、軍人になれば士官にもなれます、植民地はどう頑張っても士官にはなれません。 日韓併合後の韓国人の軍人は日本軍の朝鮮人兵なのです、また植民地の人間は警察官にもなれませ、取り締まるとか、指示を出すのは占領した国の権利だからです、一方朝鮮では警察署長以外は朝鮮人でした、台湾も同じです、また、東北大学を作る予定だった帝国大学を、ソウル大学を先に作ったわけです、教育も日本と同じにしたわけです、植民地の場合は教育など一切しません。 植民地=資源を稼ぐ場所 併合=自国と同じ環境にする の違いです。

回答No.1

要するに植民地政策を敷いたかどうかです 日本は台湾をはじめ東南アジア諸国に植民地政策を敷いていません 台湾では日本の建築技術で色んな物を建てたけど 別に台湾人に日本名を強制したり 台湾の文化や宗教を弾圧したりはしてません 台湾にとっては 自分たちの文化をそのままにしてくれて 尚且つ進んだ日本の技術で建物が建ったり 雇用も潤えば そんな政策をやってくれた日本に感謝するのは当然な事と思います 日本が去った後 国民党軍が全てを壊して日本の支配を否定するような事をしましたが 大陸では関東軍がやりたい放題でしたからね 香港もその影響で仕方ないですが