横浜市営地下鉄横浜新横浜間
羽沢横浜国大駅が出来ましたが、はっきり言って国大には遠い。
鉄路を避ける亜空間みたいな場所に大学が存在する。
ですがそれをJRに文句つけても筋違い、というわけで横浜市営地下鉄の路線策定について質問です。
横浜市営地下鉄は横浜駅を出発後三ツ沢下町、上町、片倉町・・・新横浜へと向かいます。ですが三ツ沢下町になにがあるかと問われても思い当たりません。
なぜに横浜市民病院、三ツ沢競技場、横浜国大、と向かいそこから北に折れて新横浜に向かうルートにならなかったのでしょうか?
地形が悪いとはいえ病院・競技場・大学という旅客需要の多い黄金ルートをあえて避けるように路線が作られています。
当時どのような議論が行われたのでしょう?