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貧困の連鎖?国公立大学に行くことが?
- 25歳男性を苦しめる「貧困連鎖」という呪縛
- 大学の選択肢に制約があった男性が貧困に苦しむ
- 貧困のために国公立大学にしか進学できず成功を失った男性の話
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質問者が選んだベストアンサー
彼の性格上の弱点を,貧困問題という同情しやすい論旨で隠して書いている感じは否めませんね。 確かに大学によって就職活動をさせてもらえる企業が決まっている時代ですので,野心さえあれば何でもできる。 と言うわけではないでしょう。特に母親にましな生活をさせてやりたいと思えば,冒険をすることはできないわけですからリスクを回避したということが,筆者には道を踏み外した。という視点になっていますね。 大学のレベルという視点ではもう一点,欧米では昔からそうなのですが,大学で学ぶことはプレゼンテーションとディベート能力だと言われます。 最近の日本の大学も確かにトップクラスの大学では自分をより良く見せるといった能力がいろいろなことで磨かれ,低い大学ではその意識がないために,同じ面接を受ける機会を得ても大きく差を開けられるという時代になってきています。 この点も我々おじさん世代では感じられない大学間の格差の一つかも知れません。 一方この主人公はそれ以上に,どうやって努力すればいいのかを知らないまま教育期間を終えてしまいました。 確実に合格する大学に彼の将来への生きる道はあったのでしょうか。 在学中にバイトで大変だったとは思いますが,資格の取得など今仕事を休職して辞めている勉強をなぜ大学生の間にできなかったのか。など,コミュニケーションを積極的にとらない,誰にも相談しない,内にこもる,孤立する,限界がきてあきらめる,孤独になる,情報を得られない,履歴にマイナス要素がつくという負のスパイラルの方がよほど大問題だと感じました。 この問題を奨学金の所為や親の所為にして終わらせては彼はこの負のスパイラルからは一生出られないと思います。
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- 山田 太郎(@f_a_007)
- ベストアンサー率20% (955/4574)
>貧困の連鎖と時代のシステムを連動させることに(私は)違和感がある、ということです。 ウーン。意味が通じなかったようですね。ちょいと誤解されていますよ。
お礼
『生き様がテーマではなく、時代のシステムを告発することがテーマだ』これがあなたのご意見の主旨だと理解しました。時代のシステムとは、貧困の連鎖を含む社会問題、またはそれそのものを表現しているのでしょうが(もしこの認識が誤解なら申し訳ない)、私にとっての時代のシステムはもっと広義に現代の社会構造そのものをさしています。あなたの言葉を借りたのは「時代のシステム」という表現だけで、その内容までは引用していません。 私のほうこそ拙い文章であなたを誤解させてしまったようだ。読み手を誤解させてしまうのは書き手の不手際のせいだと認識しているので、これは謝罪します。
- dottimiti
- ベストアンサー率12% (286/2363)
リンク先の記事を読んでみました。 >この男性が成功していないのは、貧困のために国公立大にしか行けなかったせいだと言わんばかりの記事になっています。 その結果、上記は筆者が最も強調したいことではなかろうと思われました。 文末の「貧困の連鎖とは、静かなあきらめの連鎖でもあるのかもしれない。」が筆者のまとめだと思います。 父親からもたらされた貧困がもとで諦めを誘っているから、自力でどうにか大学を卒業したとしても、その後ブラック企業でいいように使われてしまうのだという話だと思います。 この若者がブラック企業でがむしゃらに働いて身体を壊すことになったのは、国内の労働条件の改善をするための力が昔に比べて弱くなっているせいだと思います。 昭和のおっさんたちの方がもっと労働組合などで権利を主張していたのに、そういう働く者からの突き上げや権利主張がなくなって、労働組合からの選挙や政策への影響力が下がり、その結果として若者が苦労しているんじゃないでしょうか。
お礼
ご意見ありがとうございます。 そのとおりでしょうね。特にあなたのご意見の後半部分は一因を如実に表していると感じます。 貧困の連鎖を精神的な呪縛から責めた記事であるのは承知なのだが、どうにも違和感が拭えなかった。この記者は意図的に国公立大学を出た失敗者を選んだのではないかと。今までに問題になっていたのは莫大な奨学金を借りて大学に行ったものの、非正規職しか得られずに貧困に陥ってしまうというもの。これは何とかしてやらねばと思う。ここには違和感は感じないのですがね。
ぼく自身が,むかし「私立なんてはなから考えない」感じで公立高校から国立大学にいき,そこそこ貧乏学生をし(大学院時代には授業料督促状も何通かくらった),そしていま自分の娘がおなじ道をたどった。教職希望の彼女はまだ無職(やれやれ)。これを「貧困の再生産」とは思いませんね。経済的に大学進学じたいをあきらめる人もおおぜいいます。 取材対象の青年の「論理」はおかしい(責任転嫁)と思いますが,「気持ち」はわからないではありません。貧乏根性が身に染みついてしまうのですね。ぼくにも一生涯そういうところがあり,「育ちのいい好青年・おじさま」からほど遠く「いじけて」いる。育ちのいい同僚がラフな格好をすると遊び人に見えるけども,ぼくはホームレスに見える(じっさい上野公園で支援活動中に間違えられたことがある)。彼にもそういう面が浮き出してしまい就職に失敗したのかなあ,とも思えるのです。
お礼
ご意見ありがとうございます。 なるほど、貧乏根性ですか。ハングリー精神とは別のところでこびりつく厄介なものなのでしょう。確かにこの記事は精神的な呪縛にスポットを当てているのですが、どうにも違和感が拭えません。
- 山田 太郎(@f_a_007)
- ベストアンサー率20% (955/4574)
Q、なんなんだ、この記事は?と憤るのは昭和を生きてきたおっさんだからでしょうか? A、違います。それは、質問者固有の考え方ゆえです。 1、貧困の連鎖という社会的問題についての認識が浅いこと。もしくは、そういう概念に違和感を持っているから。 2、貧困の連鎖という社会的問題と個々人の生き様の是非とをごちゃごちゃにして記事を読んでいるから。 >生まれた時が悪いのか? >それとも俺が悪いのか? 私らは、このように時代と自己との関係を問いつつ、時代の負の影響をはねのけて生きてきたわけです。そういう「時代にあがらって如何に生きるべきか?」というのが記事のテーマではありません。時代のシステムが意識的に「あがらうことに失敗し、もって非正規として生きざるをえない層」を形成・再生産していることを告発することがテーマ。ですから、記事の背景にある時代のシステムに対する問題意識がなけりゃー「なんじゃーこらー!」と感じるでしょう。そうして、己の生き様に照らして「ふがいない」と思うでしょう。そのように感じ、そのように思うのは、質問者固有の考え方ゆえです。昭和世代だからではありませんよ。
お礼
ご意見ありがとうございます。あなたのおっしゃることは尤もで、私の感情が私固有のもの、昭和人だからと正当化されるものではないことは明らか。まぁ質問文の最後は飾り文で、付けたし程度のつもりだったわけで、そこをメインに「質問者がこの考えに至った要因」を言及されるとちょっと抗弁したくなるものです。 あなたの言葉を借りれば、貧困の連鎖と時代のシステムを連動させることに(私は)違和感がある、ということです。システムと合わないのは貧困だからではない。こう考えるのは貧困連鎖の知識がないからでも概念に違和感があるからでも、時代システムに問題意識がないからでもないのですよ。この記事が貧困連鎖を精神的呪縛の観点から書いているのは理解できるのだが、こういったシステムからはみ出し再生産される若者を貧困連鎖とは言わない、というのが私見です。
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12498)
ネットライターって、目をつくものを書いてナンボで、どんどんと埋もれていく記事に、依頼側は内容はあまり求めないかと。 その意味で、こうやって閲覧数を増やしてくれる人が出てくれば、ライターとしては成功って考えるんじゃないかな。 この記事が本紙に載ってたら驚くけど。
お礼
ご意見ありがとうございます。 ネット記事とはそんなものですか。炎上商法ですかね。 私は閲覧数を増やすのに一役買ったというわけですか。これは問題ですわ。 「本紙に乗ってたら驚く」とおっしゃっているので、記事に関して違和感は持たれたということですね。
- zkxzm4kz
- ベストアンサー率11% (601/5075)
私もこの記事を読んで違和感がありました。 父親が働かずにギャンブルしてる、 収入は母親の給料で20万ほど、本人は周りと同じような 遊びができずバイトしながらも国立大に進学、 就職に失敗して貧困、ということですが 国公立大に進学してからの就職は自己責任でしょう。 周りと同じ遊びができなかったから相対的貧困というのは たんなるわがままです。
お礼
ご意見ありがとうございます。 おっしゃるとおりですね。 貧困を精神的呪縛面から書いた記事なのでしょうが、こういった若者はどこにでもいるのです。意図的に「貧困で国立大にしか行けず失敗した」という印象を植え付けているような気がして違和感を持ったというわけです。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
生まれた年とは無関係に、今の状態は変です。明治の初め、以前の昌平黌的な学問所から西洋式の大学を作った時、僧職者養成所でない世俗の大学を作ったのは賢明だったと思います。 今も有名大学は国立です。だから理想的には学資は国が持つべきもので、戦勝国の私立尊重、戦敗国の学閥偏重、昔からある拝金主語の融合でできた奇形だと思います。
お礼
ご意見ありがとうございます。 「貧困だから大学を選べず国公立へ」「だから失敗した」例えライターが言いたかったことがここではなかったにしろ、読む側がちゃんとここに引っかかるように意図して書かれている気がします。
- kurione
- ベストアンサー率53% (858/1598)
貴方の憤りは尤もだと思います。高校にも大学にも進学できて何が貧困だと?本当の貧困ならば、大学を諦めるか、特待生をとるかしかないはず。今の風潮は自分のせいにしたがらない。就職しても、上司に恵まれない、職場環境が悪いと直ぐに辞めてしまう。もっとも全て自分の問題として向き合える人はいないけれど情けないぐらい自分に甘い。それを記事にするのもおかしい。
お礼
ご意見ありがとうございます。 そのような若者が多いのは事実ですね。それを貧困と結び付けて「金がないから国公立大へ→だから失敗」と、たとえ本人が言ったままだとしても、そう受け取られることを承知で書かれているところに違和感があったのです。
- tknkk7
- ベストアンサー率11% (378/3310)
●現代社会の大学と、言える”学校法人が、有象無象に約800校程度、有ります。 ”貧困の連鎖?国公立大学に行く事が。? ➡結局、学力と学費と将来の志望条件等を、総合的且つ、信念無き・逃げ口上・負け惜しみ・勝ち組負け組・世間知らずな記事でしょう。 ➡必ずしも国公立大学ばかりが、優秀?私立大学だけは、あぁだら・こうだらでは、無い。 負のスパイラル現象的、日和見的・傍観者・無責任作文?で、ジャーナリスト気取り、そう 言う事なのでしょう。
お礼
ご意見ありがとうございます。 「貧困連鎖」を「精神的呪縛」方面から責めた記事なのだろうと思います。 ただ、昭和の人間には何か腹立たしいわけで。
お礼
ご意見ありがとうございます。 おっしゃるとおりですね。貧困の連鎖を精神的呪縛面から書いているのは理解できても、人を縛り付ける要因は貧困ばかりじゃない。このような若者は確実に増えてきていて、その要因は社会的背景が大きく、貧困から来る連鎖ではない、と私は思ったのです。