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【自分は何者ですか?あなたは何者ですか?と質問され

【自分は何者ですか?あなたは何者ですか?と質問されたら何と答えますか?】 私は何者ですか?と自分が何者か何の目的で生きているのか。生きている目的は何なのか?と自問自答するのは人間だけでしょうか? なぜ人間は自分の存在意義を自問自答するのでしょう?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

「このように宇宙を認識する、 認識可能性です」というのが 本質的な答えです。 自我仮説(記憶=過去=時間軸)と 空間仮説(予測=未来=空間軸)の 相補分化。

japanway
質問者

お礼

みなさん回答ありがとうございます

その他の回答 (3)

回答No.4

人間は考える頭を持ってるから つまらない事考える。

回答No.3

「我思う、ゆえに我あり」 自分の存在を自問自答することが、存在意義と言うことらしいです。 ある程度脳が発達した動物に個性を感じ取れるのは、自分が何かを意識しているのかもしれませんね。

  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.2

自分は何者か、って「私は何か?」「私は誰か?」という問いのどちらでしょうか? 「私は何か?」というのは、私の本質を問う問いです。 一方、「私は誰か?」という問いは私のアイデンティティーを問う問いで、両者は違います。 古代ギリシャでデルフォイの神託に「汝自身を知れ!」というのが、ありましたが、それは後者の自己のアイデンティティーを問う問いでした。 それに対して「私とは何か?」という問いは私の本質、プラトンの「イデア」、つまり人間の本質、人間の存在の根拠を問題にする問いです。 「私は誰か?」という問いは比較的簡単ですが、「私は何か?」という本質の問いはひじょうに答えることが難しいです。 古代ギリシャからずっと「私とは何か?」という問いが問われてきましたが、依然として、これが答えだ、というものがありません。 私が判断するところ、あなたの言う「自分は何者ですか?」と言って質問しているのは、私の本質を問題にしているのでなく、私のアイデンティティーを問うているように思います。 昔、JRがまだ民間になる前の時代に「ディスカバー・ジャパン」というのがあって、自分探しというのが流行しました。 日常生活をしていると、自分というもののアイデンティティーが見つからないので、旅行すれば見つかります、と言っていました。 アイデンティティーという言葉を言い出したのは、アメリカの精神分析家エリック・エリクソンで、自己同一性のこと。 自己同一性とは、私と私のイメージが一致することです。 しかし、若いときは私と私のイメージが滅多に一致しません。 だんだん人生の経験を重ね、中年になってから、ようやく一致します。 天職を見つけた時など。 そして私の自己同一性と自分が何のために生きているのか、という問題は別です。 なぜなら、自己同一性は私と私のイメージの一致だとすれば、自分が何のために生きているのかというのは、人生の目的の問題だからです。 たとえば、私が何か天職を見つけて、これで自己のアイデンティティーを確立したぞ、と思ったからと言って、人生の目的が何か、何のために生きるのか、ということとは別だからです。 それは人生の本質を問題にしています。 そもそも人間が生きるとはどういうことなのか?ということを問題にしています。 そしてそれは、「私とは何か?」という問題につながってきます。 すでに前述しましたように、それに答えるのはひじょうに難しいです。 話は別ですが、モンテーニュは「人生の目的は死である」、と言っています。 最終的に人間は死にますから、死を目的として生きている、と言えるかもしれません。 何か別のことを目的として生きても、死によってすべては消滅します。 最終的に死によってすべてが消滅するとしたら、人生に意味なんかない、意義なんかないように思えます。 それなのに「なぜ、人間は自分の存在意義を自問自答するのでしょうか?」 「存在意義」とは、存在理由ですか? つまり自分は何のために、何を目的として生きているのか、と? だったら、モンテーニュのいうように死を目的として生きている、のではありませんか? 最終的に。 たとえ、何か別の目的があったとしても、死によってその目的は消滅します。 自問自答しても、無駄です。 あるいは無駄のように思えます。 すべてが消滅するとしたら。 自分だけでなく、人類がこうして生きているのも、いっさい無駄に思えます。 なぜって、いずれ人類は絶滅して地上からいなくなってしまうかもしれないから。 人間は無駄と分かっていながら、自問自答することをやめない動物です。 変わった動物です。

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