- ベストアンサー
北海道地方に都府県がないのは何故?
例えば、近畿地方だと「大阪府、京都府、兵庫県、奈良県、和歌山県、滋賀県、三重県」があります。近畿地方という言い方よりは、府県の名前を言うことの方が多いと思います。 でも、北海道地方の場合は、「道南、道央、道北、道東」などの言い方はあるものの、それらをまとめて北海道ということの方が圧倒的に多いと思います。何故なのでしょうか?道南は県とかではないのでしょうか?
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
質問に対する直接の回答は「道」が「県」と同じなので、「大阪府が…」という場面では「北海道が…」と言えばいいからということになります。ちなみに、北海道か管理する道(他府県の県道や府道に該当する道)は、冗談みたいですが「道道」といいます。 ですので、「道南、道央、道北、道東」などの言い方は、「兵庫県北部、大阪府泉州地方、京都府丹後地方、湖北・湖西・湖東・湖南」などと同様の、同じ都道府県内での適宜の地域区分になります。 逆に言うと、なぜ北海道だけ県じゃないのか、あるいはなぜ道内は県みたいに細かく区分されなかったのかということになります。 実は、北海道というのは元々は「近畿地方」などに似た地方名の一種だったのです。県が存在する前、日本は「旧国名」として今も知られる「国」(和泉、摂津、薩摩など)が多数あり、その国はいくつかまとめて正式な地方名がつけられていました。それが五畿七道とも言われているもので、都である京都周辺の5国は「畿内」と称し別格とし、あとは○○道という形で命名されました。ちなみに、近畿地方の語源もこの畿内周辺の地域という意味です。畿には都という意味があるようです。 余談ですが、府や都だけ別の言い方をするのも五畿七道の考えの流れです。首都である東京は別格として「都」の文字を県と同じ意味に使う。そして、当時まだ全国的に影響が大きく、元々都であり、無視できない場所は、都という意味も持つ「府」の文字を県と同じ意味に使うようにしたようです。(さらに余談で各地にある「府中」「国府」などは、旧「国」の都(中心地)がそこにあったことに由来する地名です。) で、北海道は当初、3県(函館・札幌・釧路)が設置され、新しい地方名として七道に準じて「北海道」と命名されました。但し、他の七道は制定から歴史が古いため「道」抜きの略称名(山陽、東海など)も定着しましたが、北海道は歴史が浅くいつも北海道と呼ばれたため、道抜きの略称「北海」は定着しないまま現在に至ったようです。 ただ、3県を設置したものの、他の県と比べても当時は規模が小さく、県単独で当時の他の県と同様のことをするのが困難でした。そのため、いつしか「北海道」として他の県でするようなことをするようになり、後に北海道全体が1つの県と同じ行政地域になったのです。 http://pucchi.net/hokkaido/history/country_history.php 北海道に県も府もあった? 函館県・札幌県・根室県のお話 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%95%BF%E4%B8%83%E9%81%93 五畿七道(ごきしちどう)とは、古代日本の律令制における、広域地方行政区画である。畿内七道(きないしちどう)とも呼ばれた。 http://www.ichiro-ichie.com/kyukokumei/kk_index.html 旧国名一覧
その他の回答 (5)
- 4237438
- ベストアンサー率28% (278/974)
推測するにこういうことではないでしょうか。 1.北海道の歴史が新しすぎる。江戸時代はまだ蝦夷と呼ばれて松前藩が一部を治めていたけど大半の地域はアイヌが住んでいた。 2.人口が少なすぎた。人口密集地は北九州や大阪を見てもわかるように細かく分けられていました。大阪など狭い地域が摂津、河内、和泉と三つに分けられていました。 3.寒過ぎて当時の技術ではコメが栽培できなかった。江戸時代は加賀百万石とか言ってコメの生産高が豊かさのバロメーターになっていました。コメのとれない地域など蝦夷でひとまとめにするのが妥当だった。 4.江戸から遠すぎるし、島だし、分割させるのは不都合であった。 以上ぜ~んぶ推測に過ぎません。思いつくまま書いてみました。
お礼
遠く離れた北の大地だという感覚があったためということでしょうか。
- chie65536(@chie65535)
- ベストアンサー率44% (8740/19838)
道民です。 北海道は「都道府県」の1つで、行政単位は「県」や「府」と同格です。 元々の「北海道」は「五畿七道(ごきしちどう)」のうちの7つの「道」(東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道)に準じる「広域地方行政区画」で、北海道を足して「五畿八道」と言いました。 廃藩置県ののち、他の「東海道」などと同様に「北海道」にも「函館県」「札幌県」「根室県」の3県と「北海道事業管理局」が置かれました。 ですが、3県と北海道事業管理局の方針の違い、松方財政の影響、人口密度が低く県議会や郡役所が作られないなど上手く行かず、たった4年で廃止され「北海道庁」に移管されました。この4年間を「三県一局時代」と言います。 行政が「北海道庁」に移管されたあと「県と同レベルの行政を、北海道庁1つで行なうのは、広すぎて無理」なので、14の「支庁」が置かれました。 この14の支庁は、北海道総合振興局設置条例の施行に伴い、一部が再編成されて、14の「総合振興局」になって、現在に至ります。 >北海道地方の場合は、「道南、道央、道北、道東」などの言い方はあるものの 「北海道」は「五畿八道の8つの道の1つ」であると同時に「47の都道府県の1つ」です。 なので「五畿八道」で区分するような「大きな範囲」で呼ぶ時も「北海道」になりますし「都道府県」で区分するような「小さな範囲」で呼ぶ時も「北海道」になります。 「大きな区分け」をしても「小さな区分け」をしても「同じ物」になってしまっているのです。
お礼
大きな区分けをしても、小さな区分けをしても北海道なんですね。
- tpg0
- ベストアンサー率31% (3785/11963)
こんにちは。 北海道は明治時代の廃藩置県があった頃に札幌市のある石狩支庁や根室市のある根室支庁のように14の支庁に分けましたので置県の必要性が無くなったのです。
お礼
14の支庁に分けたので、置県の必要性がなくなったんですね。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
名前は、律令制度(7世紀)の五畿(大和、山城、摂津、河内、和泉)七道(東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道)の「道」に準じて明治2年にできました。 都、県、と同じ扱いで北海道庁が都庁、県庁と同等の地方自治をしています。したがって道南などは県とは違います。
お礼
北海道庁が都庁、県庁、府庁(も同じかな)が、道庁と同等の地方自治をしているからなんですね。
- thumbbass
- ベストアンサー率37% (36/95)
日本に「広域地方公共団体」は「47都道府県」(1都1道2府43県) しか無いからです。 道東、道南... というのは北海「道」の中で東寄りか南寄りかというざっくりとしたエリアを指しているだけで、面積としては小さな県より大きいかもしれませんが、今の日本の制度では「道」の中に「県」を作るというようなことは無いと思います。
お礼
道の中に県を作ってないからなんですね。
お礼
3つの県だった時代もあったんですね。