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広島市への空襲について

アメリカ陸空軍は広島市への空襲を禁止していました。昭和20年8月6日を迎えるまで日本各地の中小都市が軒並みやられているのに、広島市は不気味なくらい攻撃を受けませんでした。広島市は中四国最大の都市にも拘わらず。空襲を受けた都市の記録を見ると広島がぽっかりと抜けていて、私でも何かあるなと疑います。例え厳しい報道統制されていたとしても噂は伝わるものです。広島市民の内で危険を察知して警笛を鳴らす者はいなかったのでしょうか?

みんなの回答

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11072/34514)
回答No.7

ちょっと手元に資料がないのでうろ覚えなのですが、「禁止されていた」というより「目標にされていなかった」というのが近かったのではないかと思いますね。もちろん、アメリカが新型爆弾の目標にする方針が固まってからはあえて禁止したかもしれませんけどね。 同じようにあえて大規模な空襲を受けなかった比較的大きな都市に、新潟があげられます。広島と新潟にはある共通点があって、「めぼしい軍事施設や工場がない」ことがありました。結局ね、戦争ってお金がかかるので、B-29を100機飛ばす燃料代や落っことす膨大な爆弾の代金もバカにならないのです。 もちろん軍から見ても市民から見ても「次は広島ではないか」という警戒は当然ありますから、疎開をしたりそれなりの対策はしていました。しかしさすがに「原爆」という兵器までは予想は不可能だったと思います。 さて、私は引き合いに新潟を出しました。そしてあまり知られていないことですが、新潟は「次の原爆の目標は新潟」となることを恐れて、知事の判断により集団疎開が命じられたのです。 http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/12/niigata-ghost-town-1945_n_7980210.html 軍による統制が厳しいこの状況で、知事が自らの判断で市民に避難を命じるというのは知事自身が大変なリスクを負うことでした。軍や特高によって自身が逮捕されたり、暗殺されても決しておかしくなかったのです。実際に軍は避難命令を「士気に関わる」といって止めようとしましたが、知事が半ば逆クーデターを起こすような形で押し切ったのです。 第三の原爆が落ちずに終戦を迎えたことと、上記記事にもあるように県の職員が広島に向かおうとしてたどり着けなかったように交通や情報が国内でも遮断されてしまう状況であったこと、戦後の混乱でこのことは知られざる歴史の中に埋もれてしまったのですが、やはりこういうこともあるのですね。

  • Beholders
  • ベストアンサー率21% (77/364)
回答No.6

警笛を鳴らす者はいました。 米軍です 原爆投下の数日前に広島に新型爆弾の投下を予告する警告ビラを広島市内にばらまいています

回答No.5

後からなら、何とでも言える。 野球でも競馬でも、同じようなことを言う人は沢山います。

  • nananotanu
  • ベストアンサー率31% (714/2263)
回答No.4

はだしのゲンの中に屋根にPを書くと空襲されない、といってみんなで書くシーンがありましたね。ゲンのお父さんは戦争反対を主張するような方なので、質問謝さまの言われるような状況があれば、作中に紹介されそうな気がします。あ、「不気味だなぁ」と呟くシーンは有ったかな?何せ何十年も前に読んだのでごめんなさい。 目安にもならないかもしれませんが、ひとつの資料にはなるかも。

noname#219964
noname#219964
回答No.3

歴史を学ぶのは良い事だが あなたを含め 此処の質問者は 何故 歴史を そういった方向でしか見れないの? 過去は何をしても変わらないのだから 歴史は未来への教科書・め 学ぶ部分が違うとしか言えない・・

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.2

当時は勝手なことをすると憲兵にしょっ引かれかねませんから、思っていた人がいたとしてもできなかったはずです。開戦時にすでに「日本が勝てるはずはない」と思っていた人は多数いましたが、そのことを公表できる状態ではありませんでした。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.1

nobunaga1560 さん、おはようございます。 戦時中の事ですから、おそらく、学童疎開ほか自主避難する人たちはいたと思います。しかし、当時の広島は陸軍の司令部や部隊などが置かれていましたから、都市として機能させていくには人員は残しておかないと不便です。おそらく警戒していても少数の人々が気が付いていただけだと思います。 おそらく、陸軍の軍司令部の参謀クラスの人以上の人なら、そろそろ焼夷弾の雨が降るくらいには感じていたと思いますが、新型爆弾という核兵器とは想像できなかったでしょう。 ちなみに当時広島には畑元帥の第2総軍が置かれていました。つまり、敵にとってはとても重要な的があったのです。 第2総軍 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC2%E7%B7%8F%E8%BB%8D_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)

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