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アルハンブラ宮殿、7つの疑問の4
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私は、現代のイスラム社会を、必ずしものそのまま中世に当てはめて考えてはいません。 当時のアル・アンダルース(イスラム時代のスペイン)では異教徒同士が共存した寛容な社会であった、という話は有名ですね。もっとも共存というよりは利用という方が正しいようですが、それでも国づくりにいかすため異教徒を認めるという合理的なスタンスではあったと。 当時のアラブ人にとってユダヤ人は重要な役割を持っていたようです。 そもそもイベリア半島に攻め入った時のイスラム軍には、かなりの数のユダヤ人が参加していました。 また、時代が進んでくると、例えばセビージャでは「それほど恵まれた環境のせいか、彼らはまもなく初期の意気込みを忘れ、新興宗教団(イスラム教)の厳しい戒律とも縁切りして、アンダルシーア特産の葡萄酒、美女、歌舞音楽などに熱中しはじめた」(アンダルシーア風土記 永川玲二 著) とあります。 アンダルシアで花開いた当時のアル・アンダルース社会は、ある種独特なものだったのだろうと想像します。 アルハンブラ宮殿はアル・アンダルースも終わりの頃、ほとんどの領土をキリスト教徒に奪われ文字通り最後の砦、王はお金を払うことでかろうじて面子を保っていたような時代ですから、例え異教徒から贈り物を贈られたからといってそれほど強く出られるはずもない、無下に断ることはできないはずでは、という話は信憑性があるなぁと考えました。 『アンダルシーア風土記 』にはアル・アンダルース時代のスペイン・イスラム世界がよく書かれているのでおすすめです。
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- kota2kota
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私も全く同じ事を思いましたが、専門ではないので気軽に読んでいただければ。 そもそもライオンと言われなければ何の生き物かわからない不思議な風貌ですよね。 手持ちの「スペイン建築史(丹下敏明 著)」によると「アッシリアから運ばれた」とあります。 アッシリアではライオンは城の守護獣であり権威の象徴であったといいます。 アルハンブラ宮殿はイスラム建築でも珍しく宗教建築ではありませんから、厳格な規律よりは権威や装飾性を重視したのかな、などと考えました。 そういえばどこかで「ライオンはユダヤ人からの贈り物」とかいう話を聞いたような、、、 と思って調べたら、そんな内容の話がこちらにありました。 http://blogs.yahoo.co.jp/maximthecat/23887250.html 現地のガイドの説明ということで、意味には諸説あるようですが、イスラム芸術由来ではない、ということで間違いないのでは、と思いますがいかがでしょう・・・。
お礼
回答とURL、大変興味深く読みました。厳格な規律よりは権威や装飾性を重視・・・ここは首をひねりました。現代でもイスラム教徒の戒律遵守意識は一般市民までとても強い(カイロ駐在中の経験から)。中世の王が妥協して、宮殿の中央に違反のライオン像を置くとは、いくら貰い物でも考えられません。地元民が偶像物をイスラム王に届ける→イスラム教義を馬鹿にした罪で寄贈者は打ち首・・・と私は思います。 こんな討論が楽しいです。回答ありがとうございました。
お礼
私は中世のスペインほかヨーロッパの歴史を中学生程度しか知りません。ベルサイユ宮殿ではオマル便器を使っていた事も知りませんでした。当時のアル・アンダルースでは異教徒同士が共存した寛容な社会であった、という話は有名・・・知りませんでした。いただいた2度の回答で、謎が解けただけでなく、賢くなった気分で嬉しいです。アンダルシーア風土記を機会を見て読みたいです。ありがとうございました。