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自分の体はあの世ではないか
自分はこの世に生きていると思っていますが、自分の体は現在もあの世(に属しているので)ではないかという疑問です。この場合のあの世というのはいわゆる自然界と同じ意味と考えています。
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あなたの見ている宇宙は、あなたの脳内の現象である。 その「宇宙」の中にある「あなたの体」とは、どういう 意味を持つのか? 無=不確定性無限の潜在としての認識可能性=感受表面 (=量子相互作用=光速)であり、仮想的(階層現象表面 的)な非光速性に依拠する、「超光速=過去=記憶=時間 の流れ=自我仮説」と「光速下=未来=予測=空間の広がり =空間仮説」の相補分化の原点。 つまり、「自分(現在=光速)」の中と外に過去と未来を 分ける、あるいは時間と空間を分けている。 実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体と の相対によってしか存在は無い、という帰結を潜在的に 持っています。 客観的時空や絶対的存在というのはない、というものです。 認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になります。 その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動(プランク定数h の収束の時系列化=物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば、 相対的に無の風は光になり、認識体はその光の向うに、自我 仮説の補完としての時空仮説=宇宙を認識するという訳です。 相対性理論の4次元ミンコフスキー空間において、時・空軸 は虚数関係にあり、空間軸と時間軸の等距離点で相殺され、 “ゼロの面”が生じています。 それが「ライトコーン」、即ち光量子の形成する面であり、 光速以下の領域(未来)と超光速の領域(過去)を分ける 界面原点なのです。 つまり、超弦(量子定常波)=光速に還元される本質を 階層現象を表面的(いい加減)に捉える事で派生する非光速 性に基づく時空において、「何か有るんじゃないの?」とい う疑問(自我仮説)の相補として生じた時空仮説に対して、 「本当はないんだけどね」という無の射影として、量子= 存在は生じていると言えます。 無いとは分からない事が有なのです。
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- kagakusuki
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>同じではなく重なっているというのは自分(心)と自分の体が、それぞれ別の世界に存在するということにはならないでしょうか。 いいえ、なりません。 別世界に存在している場合とは、全く別の所に存在しているという事であり、それでは重なっている事にはなりません。
お礼
お考えを承りました。
- kagakusuki
- ベストアンサー率51% (2610/5101)
>自分と自分の体は同じものでしょうか。それなら他の動物と変わりがないように思えるのですが… 人間は他の動物と変わりのない存在です。 けれども、自分と自分の体は必ずしも同じものではありません。 とは言え、「自分」即ち「自我」とは脳の働きによって形成されているものであり、脳がこの世に存在している事は間違いのない事なのですから、「自分」もまたこの世の中に存在している事になります。 又、もし仮に霊魂や魂といったものが存在していて、「自分」とは霊魂や魂の事であったとしましても、少なくとも肉体が生きている間は霊魂や魂も肉体と重なって存在しているとされており、肉体がこの世に存在している以上、少なくとも生きている間は「自分」もこの世に存在している事になります。
お礼
同じではなく重なっているというのは自分(心)と自分の体が、それぞれ別の世界に存在するということにはならないでしょうか。自分(自我意識)は気がつけばいつも今なのではないかと思っています。
- kagakusuki
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>自分の体がこの世にいるのなら、それでは自分はどこにいるのでしょうか。 勿論、この世です。 「質問者様が勝手に『あの世』と呼んでいるだけの『この世』」です。
お礼
自分と自分の体は同じものでしょうか。それなら他の動物と変わりがないように思えるのですが…
- koosaka
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「自分の体があの世」ということは、あの世にも、この世と同じ、時間・空間があるということですよね? なぜって、時間・空間は何ものかがあるための絶対条件だからですが。 時間がないと、変化できないし、空間がないと、形を持てません。 幽霊がいて、形がないのは何となく分かりますが、変化できないと静止したままということになりますが、幽霊も動くんではないですか? 動くというのは変化だから。 場所の移動。 そして時間・空間が、この世とあの世の二つあることは時間・空間の定義に反します。 時間・空間は一つでなければなりません。 だとすると、あなたはこの世に存在するか、この世なんか存在せず、あの世しか存在しない、と考えるか、どちらかです。 この世とあの世は両立しないのですから、当然そうなります。 もし、あなたの体が現在もあの世に属しているのでしたら、あなただけでなく、すべての人も、そして体だけでなく、心も、そして日本も、世界も、すべてあの世になければなりません。 あなたの体があの世にあり、あなたの心がこの世にあることはできません。 なぜって二つの世界なんてないのだから。 すべてはあの世にあるか、すべてはこの世にあるか、いずれかです。 でも、世界が一つとしたら、この世とかあの世という言い方は、そもそもできないと思います。 この世、という言い方をすると、あたかもあの世があるかのように、連想してしまいますから。 たぶん、あなたも、この世っていうから、あの世もあるんじゃないか、と連想したのではないですか? 言葉の「詐術」です。
お礼
自分にとっての時間はただただいつも今だけです。体のほうはどんどん時間が過ぎていきます。この世には時間はなくあの世には時間があるように思います。
- kagakusuki
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>この場合のあの世というのはいわゆる自然界と同じ意味と考えています。 それは「この世」の呼称を「あの世」と言い変えているだけで、実際には「この世」の事を指している事に変わりは無いのですから、結局のところ 「自分はこの世に生きていると思っていますが、自分の体は現在もこの世に属している」 という当たり前の事を言っているのに過ぎません。
お礼
自分の体がこの世にいるのなら、それでは自分はどこにいるのでしょうか。
お礼
オカルト的な意味ではなく、自我意識というのは大変理解することが難しいものだと思っております。発達した人間の脳から出てくるとされている自我意識と物理学的理解との接点があってもよいと思います。この接点というのは実は心(=自分)身(自分の体)の接点ではないでしょうか。心と体が別の世界に属するというのを貴方の所説で説明は可能なのでしょうか。おそらく私の理解力を超えているでしょうが、大変興味をひかれます。