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セヌッシ派:無秩序に抵抗したイタリアの侵略
- セヌッシ派は、19世紀前半にフランスに抵抗し始めるまで、比較的平和な宗教集団でした。
- イタリアが1911年にリビアを侵略し、沿岸地域を占領した際、セヌッシ派は内陸部からイタリアに抵抗しました。
- セヌッシ派はイタリアに抵抗する中で、エジプトの英国と友好関係を維持しました。
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以下のとおりお答えします。セヌッシのこと、それをめぐる周辺国や列強のこと、およびその両者・三者の関係などについて述べています。(歴史的知識の背景がありませんので、誤訳があるかも知れませんが、その節はどうぞ悪しからず。) >Before 1906, when the Senussi became involved in resistance against the French, they had been a "relatively peaceful religious sect of the Sahara Desert, opposed to fanaticism". When the Italians invaded Libya in 1911, occupying the coast, the Senussi resisted the Italians from the interior of the country. During their resistance against the Italians, the Senussi maintained generally friendly relations with the British in Egypt. ⇒セヌッシは、フランス軍に対する抵抗に巻き込まれた1906年より以前は「サハラ砂漠の相対的に平和な、狂信に対抗する宗教分派」であった。イタリア軍がリビアを侵略した1911年、セヌッシは沿岸を占領して、国の内部からイタリア軍に抵抗した。イタリア軍に対して抵抗する間も、セヌッシはエジプトの英国軍と一般に友好的な関係を維持していた。 >The region had been annexed by Italy in 1911 after the Italo-Turkish War and by France in 1912 and control had not been consolidated by the Italians when the war began in Europe. After the loss of the province of Trablusgarp to Italy in the war of 1911–1912, the local Sanusi people continued with their resistance against the Italians. Fighting was conducted by Sanusi militia under the leadership of Ahmad al-Sharif, whose followers in Fezzan (southwest Libya) and southern Tripolitania prevented Italian consolidation their hold on these regions. The Ottoman government never ceased to provide assistance to the local tribesmen in the region. ⇒その地域はイタリア-トルコ戦争の後1911年にイタリアに併合され、1912年にフランス併合されたが、支配権は、ヨーロッパで戦争が始まった時でイタリア軍に統合されることはなかった。1911-1912年の戦争でイタリアにトラブルスガルプ州を接収された損失の後でも、地域のセヌッシ族は抵抗を続けた。戦いは、アフマド・アル-シャリフの指導の下セヌッシ教徒民兵組織によって実施された。フェザーン(南西リビア)や南トリポリタニアのシャリフ追従者が、彼らの持つその地域のイタリアへの合併を阻止した。オスマントルコ政府が、止むことなくこの領域の部族員に援助を提供し続けた。
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