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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:昔の航空機業界の歴史に詳しい人教えてください。)

航空機業界の歴史と国産ジェット機について

このQ&Aのポイント
  • 日本の航空機業界は第二次大戦後の再建を余儀なくされました。
  • 日本の航空機業界はプロペラ機からジェット機への転換を果たしました。
  • 戦後7年を経て初めて国産ジェット機が作られることとなりました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • twindog
  • ベストアンサー率58% (32/55)
回答No.1

回答1: 富士 T-1 国産初のジェット中等練習機。 回答2: 主任設計技師は内藤子生。 飛行機の設計は一人だけでできるものではなく。大きなプロジェクトチームを構成し、各エンジニアがそれぞれ与えられた個所の設計開発を行う。それら多くの開発チームをまとめるのが主任設計技師。 回答3: なっていない。 そもそもA級どころか戦犯の定義にすら当てはまらない。 戦闘機を設計しただけで戦犯で死刑になるなら、戦車や軍艦、はては小銃や拳銃の設計者ですらも皆戦犯で死刑になってしまう。 戦犯のA級B級C級と言うのはカテゴリであって罪の重さではない。 もっともそれら兵器開発にかかわった技術者の多くは戦後公職追放となり、他業種へ転職、またはある程度の期間本業から離れ、その後復職した人が大勢いたが。 ちなみに零戦の主任設計技師は堀越二郎。 彼は戦後、国産初の旅客機YS-11の基本設計を行っている。

japanway
質問者

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みなさん回答ありがとうございます