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キリスト
キリストは死んでから神として崇め奉られたのですよね? 死ぬ前はどういう存在だったのでしょうか?
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キリスト教では神は1神ですから、キリストは神に選ばれし人間の代表(救世主)メシア(慣用句なので正式にはマーシアハ=Messiahヘブライ語)英語ではメサイアこれがギリシア語でクリストス(Χριστός)、と言う事になります、日本語の訳で神に対して人は神に模した物(旧約聖書のアダムとイブ)だから子であると言う前提で神の子。 イエス‥キリスト=jesus christ(英語)=Ίησοῦς Χριστός(ギリシャ語)、Yhoshuah ha-Mashiah(ヘブライ語(ラテン文字)) そして王・預言者・祭司の称号を神より与えられた人と言う事でしょう、生誕祭クリスマスでは王が生まれたという予言に3人の博士がお祝いに駆けつける訳です。 死後は人としての制約が無くなり、神に近い者になったと言えるのでは無いでしょうか? 直接的にキリスト教では無いでしょうが、天使や悪魔と言った存在があるとするなら、特段不思議てもありません。
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- koutei-no-inai
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伝道者ですね。
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ありがとうございます。
>死ぬ前はどういう存在だったのでしょうか? 少なくともキリスト教徒ではありませんでした。 イエス・キリストという名称も、語源を辿るとイエスは「ヤハウエの救い」という意味の言葉で、キリストは「油を注がれた者」という意味の言葉です。 これが、聖書の上などでは称号ではなく固有名となりました。 そもそもが実在した人物なのか否かについても議論があります。 イエス・キリストに関する伝承も聖書が主体で、なおかつ、宗派によって異なっています。 つまり、ご質問の「死ぬ前はどうだったか」ということについては歴史学上は良く分からないということです。 当時の第三者による記述史料が残っていないということが最大の原因です。 処刑に関するものは多少ありますが、生涯に関しては見当たりません。 聖書考古学という分野がありますので、この分野の先生方に期待する以外に方法がありません。 ただし、キリスト教圏の人々にとっては、キリスト教の存続そのものに関わる問題ですので、なかなか公にはならないでしょう。 公になっても、甲論乙駁が百出して第三者がどれが史実か見極めるのは難しいかと思います。 似たようなことは、日本でも起きています。 「聖徳太子はいなかった」という書籍も出版されています。
お礼
ありがとうございます。
生きている時はただの人間で、死んだ後はただの死人。 あなたの人生と同じ、あなたの死後と同じです。 ただし、190年頃に新約聖書が完成し、宗教的な言語ツールが出来上がってからは、死後の安寧を売り物にする宗教団体が次々に設立されて、現在に至っている。 宗教はどこもかしこも同じ。
お礼
ありがとうございます。
- kia1and2
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私も、あなたも、神の子であり、キリスト様も神の子です。それじゃ困るので、ずっと後世の人間が無理やり三位一体説を作り上げました。父と子と精霊の御名へと。
お礼
ありがとうございます。
- urbanite
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こんにちは。 キリストは神ではなく、神の御子です。 神の生き写し。即ち一般人からすれば神に等しい人。 それでも神ご自身ではありません。 三位一体という概念もありますが、その事自体をキリストご自身が述べている箇所は聖書にはありません。 彼はあくまでご自身を「御子」と名乗っていらっしゃいました。 それを後世の人が神格化しただけです。 最も、カエルの子はカエル。鶏の子は鶏ですから、神の子は神です。 でも、彼はこうも言っています。「あなたたちは神々である」と。 ですから、厳密には私たちと同じ存在。ただ「長兄」と言えるかと。 さて。 前ふりが長くなってしまいましたが、ご質問の「生前の状態について」です。 彼は真理(世のあるべき姿)を告げに来た神の遣いでした。 あるべき姿から遠く離れている世に反抗心をもたれ殺されたわけです。 悪い事だと分かっていてもしてしまう。 こんな事を他人に暴露され、「それは誤りである」と面と向かって言われたら、反感をもつ心理作用位は分かりますよね? でも、「暴力は暴力しか生まない」と言っても、「暴力」即ち居眠り運転の車が突進してくれば「力」で止めるしか方法はありません。 話しの通じない相手、理屈の分からない相手に対してはそれしか方法がないのも事実です。 だから彼は世のあるべき姿から遠く離れている人の主観からすれば「言葉の暴力」にも思える「真理を告げる」事を生涯貫きました。 その反感から殺されましたが、殺されるまさにその瞬間まで彼は神の御心を行う事を主とし、それを行いながら殺されました。 それでも彼は生前「いつまであなたたちと共に居なければならないのか、いつまであなたたちと共に居る事を我慢しなければならないのか」とストレスが溢れてしまっているシーンもあります。 高潔な人から見れば、昔も今も世の惨状はそのように映るわけです。 神の御心を忠実に行う者。 これは御使いであり、御使いが自分の個人的な事を通さずに主(あるじ)の命ずるままに任を実行する時、彼は一個人ではなく、主(あるじ)に等しい権限を持っていると言えるでしょう。 即ち「神である」という事です。 そして「長兄」と書きましたが、私たちが普段の感覚で想像する「長兄」とは全く質の異なる「長兄」です。 白痴で生まれてしまった知性が著しいという言葉では生易しい位に知性が欠けてしまっている子がわんさか生まれる家庭を想像してみてください。 その中にたった一人長男だけが高い知性を備えて生まれて来たのです。 彼は全知に限りなく近い知性を備えている「長兄」です。白痴の兄弟姉妹の中にたった一人。 そんな彼はもちろん自分の言動によって反感を買う事を初めから知っていました。 それでも告げなければならない真理があるから世に降りてこられたわけです。 世に降りてこられたというと、彼だけが特別のように思えますが、私たちも世に降りて来ている存在です。 ただ、意識的に意識を持ったまま降りてこられたか、意識や知性、力など全てを失って堕ちて来たと言う方がより適切と言えるかというような違いです。 キリスト教の教義に沿っているか否かは保証しません。 単なる個人的な解釈です。 ご参考になれば。
お礼
ありがとうございます。
死ぬ前とは?・・ 十字架に付けられる前の事?・・ イエスの場合 弟子以外には 異端者として嫌われてたから十字架に送られたのです・・ そして 弟子にも見放されたから 本来の目的を再臨のキリストに託し「霊的復帰」だけを完遂させたのです・・
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。