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不幸なのは
恨まれてたりするのでしょうか。 振り返ってみると、結婚を考えていた人との不慮の別れ、職場の業績悪化に伴う失業などありました。 尊敬できる人、好きな人が出来たらつかの間、離れてしまう運命。 幸せになってはいけないのでしょうか。 恨まれてる?因果応報? なんだろなーて思います。 診てもらえませんか。
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自分もそんなこと考えていた時期がありましたが、 悩んでもどうにもなりません。 これまで自分が歩いてきた足跡が そのまま自分の人生と受け入れて 過去を振り返ってもしもこうだったらと 無駄なことは考えないことです。 自分の不幸を人や運命のせいにしたら、 反省しなくなりそこで成長は止まってしまいます。 もし、どんな犠牲でも払う覚悟があるなら、 今からでも何かできることはあるはず。 厳しい言い方になりますが、 立ち止まって過去を悔やむのは 前に進むことができないふがいない自分を擁護し 現実から目を背ける行為ではないでしょうか。 尊敬できる人や好きな人と親しくなれなくても いずれ別の出会いはあるし、 再会できないと決まったわけでもないですよね。 気持ちが沈んでいると 楽しいことまでくすんで見えてしまい、 せっかくのチャンスが巡ってきても気付けないので 自分で自分を励まし前向きな気持ちになりましょう。
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- aneq
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不幸を自分以外の何かのせいにするのは、今現在、自分が幸せになるために最善を尽くしていない人の言い訳です。 誰の人生にも、いろんな要因でいいことも悪いことも起こりますが、起きたことにどう対処するかで結果は変わりますからね。 今不幸なんだとしたら、それがこれまであなたがしてきたことの結果だし、今していることが、今後のあなたを幸せにするか不幸にするかを決めるんです。 ただ、未来が今より良くなると確信が持てた時、人は幸せを感じるものなんだと思うので、幸せな未来のために行動を始めた時にはもう、幸せが始まるんじゃないですか。
お礼
幸せの未来の為に行動した時、幸せは始まってる。 響きました、ありがとうございます。
- kaitara1
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因果応報の因のなかにもいろいろあります。自分の力で何とかできるものとそうでないものです。つまり自分ができることを丁寧にやっていく以外ないということです。
お礼
受け入れて、前を向けるようにします。 ありがとうございます。