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30代以上の仕事や社会適応ができない発達障害者も
私達の時代は発達障害への療育もなかったのですが。 もし、 30代以上の(一般の仕事や社会適応ができない発達障害者)が幼少期から療育を受けていたら、協調性運動障害(手先が幼稚園児より不器用)が改善し、状況判断ができ て、機転もきかせられるようになっていたということなんでしょうか? 相手の非言語サインも読みれるようになって人間関係 がちゃんと人間関係が築けるようになってたんでしょうか? ※発達障害は甘えとか時代のせいにするな、努力不足や親の躾などといった考えの方はスルーでお願いします<(_ _)>
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- elegant-orgel
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再回答です。 人は、仕事を遂行するときに、いつまで(何時まで)にどれだけの作業を終了させられるかを無意識に図りながら、作業(仕事)に従事します。 職務遂行能力というものは、単位時間内にどれだけ処理進展したのかを、自分なりにその仕事の速度を、脳で感じながらしごとをしていかなければなりません。 このときに、おなじ職場の同僚がどんな気持ちで従事しているのかをも、もうひとつの脳で実測しながら、通常は仕事をしているのです。 仕事をするというのは、進捗状況を図りながら、手をうごかしたり、計算したり、一定の結論を導き出すことにほかなりません。 あなたが、非言語的環境を読み取れないのは、その部分の感覚を磨いてこなかったということです。 これは、言葉でいちいち説明するものではなく、状況に応じて日々かんじとる動き(動作)のことです。 例えば、一生懸命にしごとしている仲間がいたとしましょう。 そのとき、あなたは、机に向かって仕事をしています。 机と机の間隔が狭いために、あなたの周辺を動き回るときは、一瞬、椅子を机側に寄せないと、後ろを人が通れないか、通れるかぎりぎりのスペースしか空きがないとします。 このとき、あなたの後ろを通りかかった同僚が居たとします。 このときに、あなたが、どんな行動をとったらいいのかということなのです。 「答え」椅子を前に引いて、相手があなたの後ろを通りやすくしてあげる。 もちろん、このとき、会話は交わしません。 自然と、ぶつからないように、するうごきを取るということです。 交差点でもおなじです。ぶつかりそうになるまえに、自分から回避する。 これらの行動の中には、言語・認識という作業は介入しません。 行動のなかから自然に、生まれてくる行動です。 わかりやすく言えば、危機管理・危機回避能力です。 物事を察知する力を、つけるには、こうしたら非効率になってしまう。 ぼさーっとしていたら、遅れてしまう、 など、常に効率をもとめるために、非言語コミニュケーション能力を要求されるのです。 発達障害とは、文字通り障害です。 危険を察知できない。 つまり、ひとから指摘されないとわからないという障害なのです。 当然。気が付くであろうと予測される事態を予測できないから障害なのです。 しかし、障害であっても、それを回避できるような行動を取れれば、問題ないわけです。 脳の神経シナプス回路に障害があっても、それを感じさせないような、行動パターンがとれるようになれれば、問題ありません。 仕事をするということは、体を動かしてはいますが、脳は意外と仕事とは別のことを考えているものです。 集中して仕事をするというのは、自分の置かれている環境を視野(視床下部=脳)で認知しながら作業することなのです。 おわかりですか?ふたつの人格で仕事に作業するということは、作業している自分と、そこにいる自分の環境を併せて、同時に脳裏に抱きながら仕事しているということなのです。 周囲に気を配るということなのです。 人は、気を配りながら仕事をしているのです。 あなたには、気を配りながら仕事をするというアンテナがないのです。 だから、相手の表情を読み取れないのです。 アンテナがなければ、感受性を磨いてアンテナを伸ばすしかありませんよね。
- elegant-orgel
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そうとは言えません。 相手の非言語サイン(ボディーランゲージ)を見抜くためには、一定の感覚を学習して生活レベルに落とし込まなければなりません。 アスペルガーにも、似た症状は、社会生活をする際に、職場の同僚や上司の説明している意味そのものを理解できないわけですから、学習障害が、常に競い起こっているわけです。 これを回避するには、社会適合できない部分は、自分のどの部分にあるのかを、客観的に自己実現欲求を見つめ直すしかないのです。 非言語サインが読み取れなければ、言語サインで説明してくださいという「勇気」が必要になってきます。 通常、どのような職種についても、感覚で受け入れない事態が必ず発生します。 生活習慣の中で、(1)めんどうくさがらない。(2)後片付けをかならず毎日する。(3)言葉で挨拶する練習を欠かさない。(4)自分の中に、もうひとりの自分を置いて、両方の人格が現れてきても、あせらないようにする。 発達障害は、甘えだとは、言いませんが、やりたくないことはしない。できることだけをしていきたい。という観念が強すぎるため、通常のコミニュケーションがとれる非言語的社会生活をするだけの自分のアンテナを磨くように生きていくことが先決です。 そのような生き方をするうえでも、言語(国語)を正しく認識することです。 ADHD(注意欠陥多動障害)も同様です。 言葉として、挨拶と動作を認識することから、第一歩が始まります。 言葉の認識が終われば、動作を見て、非言語的コミニュケーションが判るようになります。 分別がつくように、なるために、まず、言語認識を生活空間に精一杯取り込むのです。 人間関係は、認識 ・ 共通認識 で構成されていることに気が付くはずです。 共通認識を持つためには、生活言語をまず理解することです。 小学校4年生までに、時計の計算ができなかったのではないでしょうか? 時計の針を見て、何分後は何時何分ですかと 答えられない人がこの病気の大半を占めています。 いわゆる、脳の障害なのです。訓練で回避できるようになります。 あせらず、言語中枢機能を鍛えてください。
お礼
ありがとうございます。 非言語サインは訓練次第でよくなるんですね。 個人的な質問をすみません。 >(4)自分の中に、 もうひとりの自分を置いて、両方の人格が現れてきても、あせらないようにする もう少し具体的に説明を頂けませんか。 理解力がわるくて申し訳ないです。
補足
小学校4年までには時計の計算は読めました。 それでも顔の読みとりは苦手です。作り笑いと本物の笑い、本心から相手を許してるのか表面的に取り繕ってるのかなどの違いは分かりません。 相手が病気の時は余程悪くないと察することも無理です。 微妙な見分けができないために表情だけでなく、製品の検品作業も困難です。
歴史にIFは無いんじゃね。(´・ω・`)
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
理解力悪くて本当に申し訳ないです。 椅子の例えは大変わかりやすかったです。 再び丁寧に回答して頂いてありがとうございます。