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ブラックホールは存在しない?
「物理学者のスティーヴン・ホーキングは、『arXiv』に1月22日付けで公開した短い論文で、 『(これまで考えられてきたような)ブラックホールは存在しない』と主張している。 この現象は定義され直す必要があるのだと同氏はいう。 論文のタイトルは「Information Preservation and Weather Forecasting for Black Holes」 (ブラックホールのための情報保存と天気予報)。 古典理論では、エネルギーと情報はブラックホールの「事象の地平面」を抜け出せないと主張されるが、 量子物理学はそれが可能であると示唆されるというパラドックス(ブラックホール情報パラドックス)を取り上げている。 この難題に対するホーキング氏の答えは、ブラックホールは情報とエネルギーを消滅させるのではなく、 新しいかたちでまた空間に開放するというものだ。同氏は、事象の地平線に替わる新しい境界として、 量子効果で変動する「見かけの地平面(apparent horizon)」を提案している。 」 http://www.sankei.com/wired/news/140127/wir1401270001-n1.html 「この現象(ブラックホール)は定義され直す必要がある」と博士は言ってますが、 本来のブラックホールは存在しないということなのでしょうか? 申し訳ありませんが、科学が苦手です。中学生にも分かるように解説お願いします。
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>下記の資料には無かったのでお尋ねしたのですが・・ 見て分からないならそれまで、ということですよ。ちなみに引っかかった箇所、そこで止まるなら、あるいはそこしか云々しないようならアウトだろうな、というチェックポイントでもあるんですよ。 >そうしますと、意外ですね。すべてにおいて仕事を完璧にやり遂げようとする、ほぼ完全主義者と思っていましたので・・・ 相手によりけりですね。 >文系のオカルト好きで、知能指数80ぐらいの低脳だから、どうせ理解もできないし、読みもしないと思量なさったのでしょうか? どこから出てきた何の話です? >そうしますと、ニュートンやアインシュタインは間違った前提で理論を組み立てたことになります。 相間が昂じるとアインシュタインだけでなくニュートンも貶し始めるのはよくありますね。その二人だけ云々しても仕方ないんですが。後続の大勢が検証して引き継いでいますからね。彼ら二人が間違っていたとしも、何ら支障はありません。 ニュートンは光の波動性を見落とし、アインシュタインは確率論が最終結果なことを受け入れられなかった、とかね。そうした点は誰も引き継いでいない。 >天動説を真剣に学ぼうとする人はいないと思います。 天動説でも正しいんですよ? 相対論なら、ですが。で、元のご質問はどうでもよくなったみたいですね。どういう形であれ、解決してとても結構なことです。
>「Vx=c とおくと Vxア=c となり」とありますが、「ア」は何を意味するのでしょうか? そこしか気にならないわけですね。それって、分からなかった、と同義ですよ? さらには、独自に何か言える域に達していないという証明。読んで理解してから返信するといいでしょう。いっぱい書いて差し上げたんですから。
お礼
大変ご多忙の折、ご回答感謝致します。 >[理論からの帰結と発展] ローレンツ変換(3)からは,さまざまの新しい結果が導かれるが,速度の合成則も(2)式ではなく, > >となる。この式によると,光速以下の速度をどれだけ合成しても決して光速をこえないことがわかる。つまり光速 c は,現実に達成しうる速度としては最大のものである。また特別の場合として Vx=c とおくと Vxア=c となり,もくろみどおり,光速度不変の原理に一致するようになっている。 (回答No.11) >>「Vx=c とおくと Vxア=c となり」とありますが、「ア」は何を意味するのでしょうか? >そこしか気にならないわけですね。それって、分からなかった、と同義ですよ? >さらには、独自に何か言える域に達していないという証明。 下記の資料には無かったのでお尋ねしたのですが・・ 「ア」は、変数の類ではなく、数式を誤変換したものということでしょうか? 《 a:加速度、昇降演算子 A:振幅、ベクトルポテンシャル B:磁束密度 c:光速 C:定数、熱・電気容量 d:次元、深さ D:領域、電束密度 e:自然対数の底、素電荷 E:エネルギー、電場 f:周波数 f,F:力 F:Helmholtzエネルギー g:重力加速度、伝導度 G:万有引力定数、Gibbsエネルギー、重心 h:高さ、Planck定数 H:エンタルピー、Hamiltonian、磁場 i:虚数単位 i,j,k,l,m:整数のインデックス I:電流、慣性モーメント j:電流密度・流束密度 J:グランドポテンシャル、一般の角運動量 k:バネ定数、波数、Boltzmann定数 K:運動エネルギー l,L:長さ L:Lagrangian、角運動量、インダクタンス m,M:質量 n:物質量 N:個数、トルク M:磁化 O:原点 p:双極子モーメント p,P:運動量、圧力 P:分極、仕事率、確率 q:波数 q,Q:一般化座標、電荷 Q:熱 r:距離 R:抵抗、気体定数 s:スピン S:エントロピー、面積 t,T:時間 T:温度 U:ポテンシャル、内部エネルギー v:速度 V:体積、ポテンシャル、電位 W:仕事、状態数 x,y,z:変数、位置 z:複素変数 Z:分配関数 β:逆温度 γ:抵抗係数 Γ:ガンマ関数 δ:微小変化 Δ:変化 ε:微小量、誘電率 θ:角度 κ:熱伝導率 λ:波長、固有値 μ:換算質量、化学ポテンシャル、透磁率 ν:周波数 Ξ:大分配関数 π:円周率 ρ:(電荷)密度、抵抗率 σ:スピン τ:固有時 φ:角度、ポテンシャル、波動関数 ψ:波動関数 ω:角振動数 Ω:状態密度 》 そうしますと、意外ですね。すべてにおいて仕事を完璧にやり遂げようとする、ほぼ完全主義者と思っていましたので・・・ 物事の本質は細部に宿ると思います。無料のボランティアとはいえ、いい加減で投げやりで、やっつけ仕事のようなことをする方ではないと思いますので、何か意図がおありなのでしょうか? 文系のオカルト好きで、知能指数80ぐらいの低脳だから、どうせ理解もできないし、読みもしないと思量なさったのでしょうか? 確かにそうかも知れませんが・・・ ニュートンの万有引力の法則やアインシュタインの一般相対性理論を基本とした宇宙論は、宇宙が真空であることを前提としています。 東大の院生が、「宇宙プラズマ物理」の講義で初めて、宇宙が真空でないこと、プラズマで満たされていることを知ったと述べているように、宇宙は、真空ではありません。 そうしますと、ニュートンやアインシュタインは間違った前提で理論を組み立てたことになります。 間違っていることが明らかなものは、きれいさっぱり、忘れるべきではないでしょうか? 天動説を真剣に学ぼうとする人はいないと思います。 ありがとうございました。
長距離で強い力はある条件のもとでは短距離では弱いというのがくりこみ群の示すところであり,強い力はそのような条件を満たしていると考えられる。距離が10-29cmくらいのところで電磁相互作用とだいたい同じくらいの強さになるために,そのような短距離,いいかえれば1015GeV 程度の高エネルギーでは,強い力,弱い力,電磁力の三つの力が統一される可能性がある(図)。この理論を大統一理論と称して盛んに研究されている。重要な結果の一つは,このような短距離ではバリオン数が保存しなくなるということである。そのため陽子が不安定になり有限の寿命をもつようになる。また,重い(1016GeV)磁気単極子の存在も予言され,宇宙開闢(かいびやく)のころにできて現在まで生き残っている可能性が探索されている。重力を含む四つの力全体を統一的に理解しようという試みはすでに始まっているが,まだ確定した解答は得られていない。今世紀最後の最重要課題である。 【認知科学における相互作用】 ある特定の時・場所における認知活動は,文化や社会と呼ばれる要因を含んだ複雑で継続的な相互作用の反映と考えることができる。人間の認知活動は,外界から入手される情報と,それを受け取る個人が内的にもつ既有知識の相互作用の過程だと考えられる。この〈外界から入手される情報〉は普通文化の成り立ちや社会の慣習にしたがって外界にどのような環境が用意されているかによって決まっており,さらに〈個人が内的にもつ既有知識〉はその個人がどのような経験をしてきたかに大きく依存する。したがって認知活動の解明には,それらを社会や文化という大きな視点から相互作用的に捉える姿勢が不可欠である。 1950年代から60年代にかけての認知心理学など認知研究は,個人の内的過程を観察不能として取り扱わなかった行動主義への反動から,特に個人の頭の内部での情報処理過程を重視した。このため,認知研究が対象とする研究単位もほぼ個人に限られており,相互作用が問題にされるとすれば,それは個人に内在する複数の認知過程の間の相互作用であった。本来認知心理学においても,視知覚,記憶などさまざまな基本的認知活動をインタラクティブなプロセスとして解明しようとする研究は多い。単独では読み取りづらい一文字が単語の一部として呈示されれば読み取りやすくなったり,もっともらしい物語を断片的に呈示すると残りを自分の既有知識に適合する形で構成してしまい,後から区別がつきにくくなるなどの事実は,人の認知過程の中で入力情報そのもののボトムアップ処理と既有知識からの期待によるトップダウン処理との相互作用が活発に起きることを示している。1970年代にはこれらの研究から,記憶の正確さや問題解決の容易さが,対象領域に関する知識の豊富さや構造化の度合に大きく左右されることが明らかにされた。 これらの研究の拡張として1970年代後半から,認知活動を主体の外界から捉えようとする視点がもう一度見直されてくる。その極端な例としてギブソン J. J. Gibson(1904-79)の視覚研究が挙げられる。ギブソンは,何かが〈見える〉ということは外界に準備されている性質だと考え,これをアフォーダンスと呼んだ。ノーマン D. A. Norman(1935- )はこの概念を,何かを見ようとする主体の働きかけへの外界側の応答としてより相互作用的に捉え直すことによって,人が使いやすいデザインの指針へと拡張した。道具のインターフェースは,あらかじめ特定の行為を誘う〈見え〉をもたせることで使いやすさを高めたりエラーを未然に防いだりすることができる。 同時期に認知的な文化人類学研究の分野から,認知行動の詳細な筋道は外的な状況に応じて時々刻々とインタラクティブに起きるもので,変化する状況に対応できる柔軟さそのものが人間の知の現れだとする見方が提唱される。サッチマン L. A. Suchman は,人間の行動がすべて事前に構成されるプランによって決められているわけではなく,時々刻々変化するその場の状況との相互作用を考慮に入れる必要性を唱えて,後の状況論的認知研究の一つの端緒を開いた。 1980年代には仕事場や家庭など日常的な場における人間の有能さの発見が本格化し,認知活動を他人や道具といった外界の支えとの相互作用として捉える研究が脚光を浴びはじめた。 このような見方をさらに社会的な文脈において発展させると,認知活動は基本的には個人が他人と相互作用する中で発現すると考えられ,そのような枠組みで捉えられた認知活動を社会的分散型認知と呼ぶ。認知人類学者ハッチンズ E.Hutchins は,大型船の航行チームの協調作業を分析し,船の位置測定という認知タスクがメンバー間でさまざまな形で表現され,変換されて遂行されるさまを記述している。認知行為が人と人の間,人と道具の間に分散されることによって,その中途段階でのエラーが検出されやすくなったり,新しく入ったメンバーに学習の機会が提供されたりすることが知られている。こうした社会的文脈の中に学習を位置づけた考えに,レーブ J. Laveらによる正統的周辺参加理論(LPP)がある。社会の中で実際に機能している実践的な共同体に参入していくことを学習と考え,共同体との協調関係を構築していくことによって人間の有能さが増すと考える。ここから従来知識の伝達の場として捉えられてきた教授場面を,教師と学習者による協調的な問題解決場面と捉え直す研究が展開されつつある。 以上のように社会的文化的に蓄積されてきた共同体のもののやり方や捉え方は,新参者の認知活動を一定の方向でやりやすくする資源として働く一方で,特定のやり方に限定する側面ももつ。こうした支援と制限の両面性を併せて社会文化的制約と呼び,道具や知識の性質を考える際に適用する研究もある。同時にそうした制限を超えるのにも他者の役割が大きいことが示唆されている。三宅なほみのミシンの縫い目に関する理解過程の研究では,視点の違う他人への説明活動が自己の知識の吟味を促し,理解の深まりにつながる可能性が示された。こうした研究の発展形として,個人の認知過程を電子的に記録しておき擬似他者として利用する試みや,複数のメンバー間の共同作業をネットワーク技術によって支援するコンピューター環境の研究(CSCW),さらには技術や知識の伝達・交換のためだけではなく,その創造のための協調作業を支援しようとする CSCL研究などが盛んになりつつある。人間の知性の新たな捉え方に基づいたこれらの応用研究を支えるべく,認知科学は個人だけに研究の単位を絞らないインタラクティブな認知過程の究明を目指している。 電磁気学の基本方程式であるマクスウェルの方程式をベクトルポテンシャルで書き直すことは非常に便利なことである。しかし,決まった電場,磁場に対してベクトルポテンシャルは一意的には決まらない。これをゲージの不定性という。場の理論で,例えば電子と光の相互作用を記述するためにはベクトルポテンシャルを用いることがどうしても必要であり,したがってゲージの不定性は本質的な意味をもつといえる。電場や磁場のような観測可能な量を不変に保ちながらベクトルポテンシャルを変える変換をゲージ変換といい,ゲージの不定性はゲージ変換によって完全に記述される。電場や磁場だけでなく,エネルギーや電流などすべての観測可能量はゲージ変換に関して不変であることが要請され,一般にこのような意味でゲージ変換に関して不変な理論をゲージ理論という。電磁気学は代表的なゲージ理論である。 電磁理論がアーベル群に基礎を置いたゲージ理論であるのに対し,1954年に C. N. ヤンと R.L. ミルズはこれを拡張して非アーベル群に基づくゲージ理論を考案した。アーベル群に基づくゲージ理論としての電磁気学では,ゲージ場としての光の場は電荷をもっていないが,非アーベル群に基づくゲージ理論ではゲージ場自身が電荷に対応する物理量をもち,ゲージ場自身の間の自己相互作用が生ずる。このことが非アーベル群に基づくゲージ理論のきわだった特性になっている。具体的にアーベル群に基づくゲージ理論と非アーベル群に基づくゲージ理論の物理的な相違の典型的なものとして,前者ではエネルギーが小さいところで相互作用が消え去るように見えるのに反し,後者ではエネルギーが高いところで相互作用がなくなるように見えることがあげられる。また後者では,低エネルギー領域で,いいかえれば距離が離れたところで非常に大きな力が働くと考えられ,この大きな力がクォークを素粒子の中に閉じ込めていると推測される。 強い相互作用も,また弱い相互作用と電磁相互作用を統一する理論も非アーベル群に基づくゲージ理論で記述されると思われているが,両者には一つ重要な相違点がある。前者ではゲージ不変性は決して破れることはないと考えられるが,後者ではそれが少なくとも見かけ上は破れているように見えることである。このために相互作用を担う粒子としてのゲージ粒子のうち,弱い相互作用に関連する W や Z と呼ばれる粒子が有限の質量をもってしまう。これに対し,ゲージ粒子の一種で電磁相互作用に関連する光は質量をもたず,一方,強い相互作用のゲージ粒子であるグルオンは質量をもたない。また重力相互作用のゲージ粒子であるグラビトンも質量がないと考えられている。 以上、これくらいは分かりますよね?
ここまでは,静電気力の場合と同じであるが,注意すべきことは,作用の伝わり方に時間がかかることである。なぜなら光速 c は有限の値をもっているからである。 これは,離れた電荷の間の空間に何物かが存在することを示唆する。ちょうど水面に石を落とすと,波が水面を伝わり,離れた点に浮かぶ落葉を動かすのに似ている。これこそ近接作用の考え方にほかならない。これに反し,遠隔作用論では,途中には何もないと考える。したがって,作用が伝わるとすれば,それは瞬間的に伝わらなければならない。アインシュタインの特殊相対性理論のもとでは,空間的に離れた2点における同時性は絶対的な意味をもたず,座標系の選び方によって変わるものであることが明らかにされた。遠隔作用論に特有の瞬間的な作用の伝達という考えは,この同時性の概念に基づいているので,相対論とは相入れない。こうして,相対論においては近接作用論的な場による記述が不可欠となる。 [量子力学と場] 特殊相対性理論以後,物理学における流れの一つは,微視的物理学の追究から量子力学へとつながる。ここでは,電磁場も光子という粒子像をももつこと,また逆に古典的には粒子と考えられる電子なども波動の性質を示すことが発見される。すなわち,ド・ブロイ,E. シュレーディンガーの物質波の考え方である。このようにして場の概念は飛躍的に拡張され,粒子像との相補性という新しい面も出現したのである。 量子力学の完成後,多くの素粒子が発見されることになるのであるが,これらを記述する方法は,現在ではすべて場の形式を用いて行われる。これは前に述べたように,特殊相対性理論の要求に一致するようにするためである。作用の伝達は,1点における場の重なりおよび真空中の波動の伝播(でんぱ)の組合せによって表される。前者は場の相互作用と呼ばれる。量子力学によれば,これは,その場所におけるそれぞれの量子,すなわちその場に相当する粒子の生成,消滅を表す。このような事柄を整合的に記述する理論形式が相対論的な場の量子論であり,現在の素粒子論の基礎となっている。 ディラックの陽電子論は,このような理論形式の最初の物理的成果といってよい。これは,電子の物質波に相当する,フェルミオン場に関する理論であるが,電磁場と同じ範疇(はんちゆう)に属するボソン場に関する最初の成果は,湯川秀樹による中間子論であった。中間子は,粒子像でみれば質量をもつ粒子であり,その反映として,対応する中間子場は有限の到達距離をもつ。これに対して電磁場は,無限の到達距離をもつといわれているが,これは静電場が~1/r2のようにふるまうことに対応している。一方,中間子場は~e-μ/λ/r2のように,r>λ に対して急速に小さくなってしまう。ここで到達距離 λ は,中間子の質量 μ と λ=げ/μc という関係にある(げ は,プランク定数 h を2π で割ったもの)。 [重力場の理論] 特殊相対性理論以後のもう一つの発展は,アインシュタイン自身による一般相対性理論およびそれに基づく重力の理論である。ニュートンの重力は,静電気力と同じく遠隔作用的な力と考えられていたが,一般相対性理論では,完全に近接作用論的な場の理論として定式化される。この理論における重力の場,すなわち重力場は,曲がった時空の計量テンソルである。そして,マクスウェルの電磁波に対応して,真空中を光速 c で伝播する波動の存在が導かれる。これが重力波である。重力の作用もこの重力場を通じて有限の時間をかけて伝達されるのである。この重力波を実験的に検知するための努力が現在精力的に進められている。 こうして電磁場と重力場は多くの共通点をもつ場の理論として定式化されることとなり,これらをさらに高い立場から統一的にとらえようとする統一場の理論が種々試みられた。なかでも,H. ワイルの理論が有名であるが,ここで提出されたゲージ理論およびゲージ場の概念は,その後素粒子の基本理論として受け継がれている。 【物理学における相互作用】 二つまたはそれ以上の物質が互いに力を及ぼしあうこと。物質の基本的な相互作用としては,重力相互作用(重力),電磁相互作用(電磁力),弱い相互作用(弱い力)および強い相互作用(強い力)の4種類があることが知られている。相互作用をその強さの順に並べると,強い相互作用,電磁相互作用,弱い相互作用,重力相互作用となる。これらのいずれの相互作用もゲージ粒子と呼ばれるスピン1(重力相互作用の場合はスピン2)の粒子によって媒介されると考えられている。それぞれのゲージ粒子は,重力の場合はグラビトン(重力子),電磁力はフォトン(光子),弱い力は Z 粒子(Zボソン)および W 粒子(W ボソン),強い力はグルオンであるが,このうちグラビトンについてはまだ粒子として発見されているわけではなく,またグルオンは理論的にふつうの状態では独立した粒子として観測されることはないと予想される。さらに上記の4相互作用のほかにヒッグス粒子と呼ばれるスピン0の基本粒子によって媒介される相互作用が存在する可能性があり,ゲージ粒子も上記の4種類のほかにいくつか存在する可能性もある。 [重力相互作用] 質量をもつ粒子間に働く引力の相互作用で,もっとも特徴的なことはそのマクロ性である。素粒子どうしの間の力としては10-33cm以下の距離でしか問題にならないほど弱い力ではあるが,天体どうしの間の力のようにきわめて多数の粒子の集合体の間の力としてはもっとも重要になりうる。ふつうこの力はアインシュタイン方程式で完全に記述されると考えられるが,近似的にはニュートンの逆2乗則で支配される。量子効果が重要になるような(例えば宇宙初期)状況でアインシュタイン方程式がそのまま成り立つかどうかは必ずしも明らかではない。アインシュタイン方程式によって記述される重力の重要な性質の一つは,それが空間の構造と密接に関連している点である。例えば,われわれの宇宙の物質密度が与えられればそれによって空間の構造が一意的に定められる。また,いわゆるブラックホールと呼ばれるような〈事象の地平面 eventhorizon〉をもつ解が存在するのもニュートンの重力理論にはない特質である。 [電磁相互作用] 電荷をもつ粒子間に働く相互作用。電磁力はその量子効果まで含めて四つの力のうちでもっともよく理解されている力である。原子や分子の構造から始まって数々の興味ある物質の性質(半導体,超伝導体,強磁性体など)の解明に至るまで,電磁相互作用が基本的な役割を果たしている。電磁力がその量子論まで含めてマクスウェルの方程式で記述されることは非常によい精度で検証されている。マクスウェル方程式を基本的に変える存在として考えられるものに磁気単極子 magnetic monopole がある。1930年代に P. A. M. ディラックが存在の可能性を指摘して以来,いろいろな形で探索が続けられ,いまだに明確な証拠は存在しないが,とくに後述の大統一理論に関連してきわめて重要な意味をもっている。電磁相互作用の重要な性質の一つに電荷のユニバーサリティがあげられる。つまり,どの基本的粒子も電子の電荷の±1倍,または0の電荷をもつという事実である。素粒子よりさらに基本的な粒子であるクォークは±囂,または±嚼の電荷をもつが,いずれにせよかってな値はとっていない。このことは電磁相互作用が他の相互作用と統一されるであろうことを示唆し,数学的にはアーベル群によるゲージ理論から非アーベル群への拡張を意味する。このことは大統一理論を待って初めて成し遂げられうると思われる。電磁相互作用は重力と同様にいわゆる長距離力である。つまりフォトンの質量はきわめてよい精度で0であり,電磁的ゲージ不変性の破れは観測されていない。 [弱い相互作用] 放射性物質の崩壊を引き起こすような相互作用であり,基本的な粒子のレベルでいえばフレーバーを変化させる相互作用である。この相互作用はゲージ粒子が有限の質量(100GeV 程度)を有するいわゆる短距離力である。20世紀初頭から自発的放射性物質の崩壊のうち β 崩壊を引き起こす力として知られていたが,1950年代以降弱い相互作用の性質はよく研究されてきた。その結果,例えば弱い相互作用は空間の反転や時間の反転に関して対称でないこと,電磁相互作用と同じようなユニバーサリティがあることなどが判明した。この事実は弱い相互作用がある意味で電磁相互作用と似たものであることを示唆してはいたが,対称性の自発的破れに関する理解が深まり,ベクトル粒子に関するいわゆるヒッグス機構(自発的対称性の破れを引き起こす機構)の存在が明らかになって,初めて電磁力と弱い力の統一理論ができた。 [強い相互作用] ハドロンどうしの反応を引き起こす相互作用。クォークのレベルでいえばクォーク間のカラーの交換を行う。強い相互作用に関してはかなり長期にわたってその解明には混乱があった。一時はほとんど従来の場の理論的な考え方が無力ではないかと思われたが,結局はこの相互作用も他の相互作用と同じようにゲージ粒子の媒介するものであるということになった。電磁相互作用と異なる点は,ゲージ群が非アーベル群であるため,カラーチャージをもつ粒子間の相互作用が,ある場合には長距離においてきわめて強く,あたかも切れないひもで結ばれた二つの物体のようになっていることである。このため,例えばクォークは全体のカラーチャージが0になるように組み合わされて存在しうるが,決して単独で存在することはない。
一般には,空間そのものが何らかの作用(物理的,心理的)をもち,そこに現象を生じさせると考えられるとき,その空間を〈場〉と呼ぶ。場の概念は,必ずしも〈場〉と呼ばれない場合も含めて,今日,科学の諸領域で重要な役割を果たしつつある。それは,一つにはニュートン力学的な遠隔作用を前提とする力の概念に対抗して,またもう一つには原子論的発想に対抗して,とりあえずは19世紀に生まれた。したがって,出発点は物理学にあるといってよい。 [デカルト=ニュートン的発想とその限界] ニュートン力学と呼ばれるものの本態は,実はデカルトの基本プログラムである。デカルトは世界を材料としての〈もの〉と,その材料のふるまい(運動)を定める運動法則とに還元するプログラムを立てた。デカルトにあってその両者は,創造主たる神によって原初的なものとしてつくられ与えられたが,それゆえに〈もの〉と〈運動〉とは,世の終りまで半永久的に保存されると考えられた。そこで世界は,〈もの〉と,それに外から与えられる〈運動〉とによって記述されることになった。皮肉なことにデカルトは真空を認めなかったために原子論者にはなれなかったが,原子論における原子をデカルトの材料としての〈もの〉の具体像となし,一方,〈運動〉の法則にはニュートンの運動法則を採用することによって,このプログラムは理念上は完成したかに見えた。ある時点において作用している力や力学的状態を完全に把握・解析する能力をもち,宇宙の全運動を確定的に知ることのできる超人間的知性で,ラプラスによって想定されたことから,のちに〈ラプラスの魔〉と呼ばれたものはそうした状況の象徴ともいえる。 しかし,ここに解決されないで残された問題がいくつかある。第1に,ニュートンの運動法則における〈力〉は,いったいどのような機序で〈もの〉に働くと考えるべきか。例えば重力がその好例である。二つの〈もの〉の間に〈遠隔的〉に働く重力は,どのような作用機序によるのか。第2に,18世紀末からしだいに人々の関心をひき始めた電気や磁気において,その作用機序は重力のような〈遠隔作用〉として理解するだけでよいのだろうか。つまり,物体に対する力の遠隔的作用という形でそれ以上の説明を拒否する(それが《プリンキピア》におけるニュートンの〈我は仮説をつくらず〉という言明の真意であった)ことに満足できないような状況が,19世紀に入ると生まれてきたのである。 [場の概念の登場と展開] 1820年 H. C. エルステッドが電流の磁石に対する影響を明証する事実を発見した。電流を流した電線の傍らに磁石を置くと,電流の方向に対して直角に(もしくは円環をなすように)磁石が動く,という事実である。この事実は,それが電流であること(つまり静電気では起こらない),また従来の引力(静電気や磁力の場合には斥力も加わるが)のように,点と点との間に,直線的に働くのではないことなど,遠隔作用力で説明するには困難な性格をもっていた。そこからファラデーの磁場(電場)という着想が現れる。この着想の物理学的意味は重要であり,その説明とその後の展開については次項に譲るとして,より広範囲な文脈での意味もまた見逃し得ない。つまり,物質が存在する空間は,完全に中性的で等方・等質な性格をもつものではない,という認識をそれが生み出したからである。物体は等方・等質・中性の空間内にあって,ただ物体どうしの相互作用のみに注目すればよい,という原子論的な発想と,物質(もの)とそれに与えられる運動の2本立てで原理的にはすべての現象は記述される,というデカルトに淵源するプログラムとは,ともに修正を迫られることになった。 物体が存在したり,運動したりすること自体,空間を歪ませ,等方・等質・中性の空間を変形しているという認識からは,当然,物体もしくは物質ではなく,それまで単に物質にとってのいれものにすぎないとされてきた空間そのものに対する関心が引き出される。この新しい関心はひとり物理学にとどまらず,生物学,心理学,哲学などにも広がった。20世紀初頭,胚の発生,器官形成などの場面で,さまざまな異なった条件下にも等結果性equifinality を実現するような〈場〉が生物体として考えられるというグルビッチ A. G. Gurvich やワイス P. A. Weiss 以来の生物学上への〈場〉の応用が見られ,こうした考え方はベルタランフィなど現代のシステム論の原型をなすものとなった。さらにユクスキュルの〈環境世界 Umwelt〉のように,生物にとっての環境空間は,決して客観的に等方・等質的なものではない,という考え方にも場の概念は取り込まれている。この路線上には,現代の動物行動学におけるプロクセミクス,生活圏,なわばり,すみわけなど,個体,群れ,種などさまざまなレベルでの生物の存在と環境空間とのかかわりに着目する概念系が見据えられる。 また心理学では K. レウィンの〈生活空間〉が重要である。もともと心理的行動 B を個人 P と環境 E の関数(B=f(P,E))としてとらえるという物理学的アナロジーを心理学に導入したレウィンは,環境すなわち心理的な作用をもった〈生活空間〉を心理現象の根本に据えようとした。現代では,このような考え方は社会や国家にも拡張され,グループ・ダイナミクス,ゲーム理論などに暗々裏にあるいははっきりした形で取り入れられている。さらにこうした発想は文化人類学においても顕著である。E. T. ホールの個人のもつ個体空間〈バブル bubble〉のような着想から,一つの文化圏それ自体が一つの場として,人間行動を支配する“歪んだ”空間であると考えるエスノメソドロジーに至るまで,場の概念は広範に広がっている。 哲学においては,サルトルの〈状況〉や,実存主義における〈世界〉は,自己実現を可能にするものであると同時に,自己実現を限定する役割も担うと考えられる。こうした概念も特異な場所,意味空間としてのトポスというような考え方と並んで,諸科学における〈場〉の哲学的な定式化の試みと見ることができよう。もっとも,諸科学においては物理学からのアナロジーとしての場は発見誘導的な意味で,重要な役割を果たしたが,物理学における場自体の厳密な数学的定式化とは違って,精密化されるに従ってその領域特有の概念に転化される傾向があることは指摘しておくべきかもしれない。 村上 陽一郎 【物理学における場】 空間的に分布する量で,とくに力や作用の伝達に関与するものを場,あるいは力の場と呼ぶ。古典物理学でもっともよく知られているのは,電場や磁場であり,またこれらが物理学における場の概念の出発点である。特殊相対性理論および一般相対性理論において場という考え方はさらに本質的なものとなり,一方,量子力学では,粒子と場の二重性が明らかにされた。現在の素粒子論は,量子力学と特殊相対性理論とを結合させた場の量子論によって記述される。以下,まず静電場の説明から始めよう。 [遠隔作用と近接作用] 原点 O にある点状の電荷 Q が,距離 r だけ離れた点 P(x,y,z)に作る電場 E(P)は,大きさが kQ/r2(k は比例定数)で,Q>0ならば O から P を向き,Q<0ならば Pから O を向くベクトルである。点 P に,もう一つの電荷 Qア をおくと,F=QアE という力を受ける。これに,上で考察した E を代入すると,この力は結局,Q と Qア の間に働くクーロンの力を与えることがわかる。すなわち,電荷を結ぶ方向の,kQQア/r2の力である。もちろん,QQア>0ならば斥力,QQア<0ならば引力である。 しかしクーロンの法則では,離れた2点の間に直接力が働くと考えるのに対し,上述の考え方では,力は電場を介して伝えられると解釈する。すなわち,電荷 Q は,まわりの空間に電場 E を作り,もう一つの電荷 Qア は,その場所における電場から力を受けとるのである。第1の離れた2点間に直接力が働くとする考え方を遠隔作用と呼び,場を経由する第2の考え方を近接作用と称する。 ただ静電気力に限っていえば,二つの考え方は,同じ結果を得るための記述法の差にすぎない。しかし磁気に関する法則は,もっぱら近接作用論的に表現される。2本の平行直線電流 I1,I2の間に働く力を考えてみよう。まず電流 I1はアンペールの法則によって,そのまわりに同心円状の磁場 H を作る。この磁場のあるところに第2の電流 I2があると,電流には,電流と磁場の双方に垂直な方向に力が働く。こうして,結局2本の電流の間に力が働く。この結果を,磁場を介さず,電流間の直接の力として導くことも不可能ではないが,きわめて複雑である。さらに M. ファラデーによる電磁誘導の法則では磁束の考え方が本質的であり,場の概念なしにこれを理解することは事実上できない。 [場の概念の確立] 電気,磁気の諸法則をまとめたマクスウェルの方程式は,完全に場の理論の形をとっている。しかし物理的な実体としての場の概念の確立にとって決定的であったのは,マクスウェルによる電磁波の理論である。マクスウェル方程式の解の一つとして,彼は真空中を c≒3×108m/sで伝わる波,電磁波が存在することを見いだし,これが光の本性であることを示した。電荷が振動するとそのまわりに振動する電場や磁場が生じ,それが離れた場所にある別の電荷に達すると,それを振動させる。すなわち,電荷から電荷へ,作用が電磁波を通じて伝達されるのである。
これらは四次元時間空間内の場であり,相対性原理に従う。一方,弦の振動,水面の波動,物質中の音波などは非相対論的な場の例である。 量子論によればすべての現象は量子化されている。古典場も量子化という手続が必要であり,これが場の量子論である。場を,自由度が大きい質点系とみなして量子力学を適用し,自由度無限大の極限を考えるのである。量子化された場は,量子と呼ばれる粒子の集団と同等であることが示される。例えば電磁場を量子化すればフォトン(光子)という量子の集団となる。一方,質点の量子力学(例えば電子の理論)では,状態はシュレーディンガーの波動 カ(x,t)で表され,これも場である。この粒子が多数個存在する系(多電子系)は,波動場 カ(x,t)を量子化した系と同等である。こうして量子論では質点系,波動の違いはなく,いずれも量子化された場で記述される。光子,電子,陽子その他すべての粒子が量子化された場で表されるのである。これらは波であるが,確定したエネルギーと運動量をもった粒子として1個,2個と数えることができる。場の量子は生成されたり消滅したりすることが特徴である。光子は発光体から放出され,物質に吸収される。電子も陽電子と衝突して消滅し,硬い γ 線が生成される。陽子なども同様である。 シュレーディンガーの波動 カ(x,t)を量子化することを,量子力学の カ をさらに量子化するという意味で第二量子化という。ひいては一般に場の量子化のことを第二量子化法ということがある。相対論的な場の量子論は素粒子物理に応用される。光子,電子はもちろん,π 中間子,μ 粒子,核子,その他すべての粒子が量子化された場で表される。一方,非相対論的な場の量子論は多体問題,物性論に応用される。例えばフォノンは固体の振動の量子である。 [場の量子論の歴史] 量子力学が誕生してまもなく,同種粒子の多体問題の記述はシュレーディンガーの場の第二量子化によってなされることがわかり,M. ボルン,E. P. ヨルダン,E. P. ウィグナーらがこれを定式化した。P. A. M. ディラックはマクスウェルの電磁場の量子論,すなわち光子の理論を展開した。これにより光の放出,吸収が量子論的に扱えるようになる。1929年 W. K. ハイゼンベルクと W. パウリは場の量子化に正面から取り組んだ。彼らは空間を格子状とし,自由度が有限の質点系でおきかえ,その量子力学の連続極限を考えた。これが相対論的場の量子論の始まりということができる。しかしすぐにこの理論が不完全であることが指摘された。場が相互作用をしているとき,高次の補正を計算しようとすると答えが無限大になってしまう(発散の困難)のである。この問題は現在でも未解決である。ディラックはぎっしりつまった真空中の空孔として反粒子の存在を予言(空孔理論)したが,パウリらはこの問題は場の量子論で扱うべきであると主張し,相対論的粒子の理論を展開した。しかし彼らはスピンを考慮しなかったので電子には適用できず,後にπ 中間子の理論に用いられることになった。 34年 E. フェルミは β 崩壊の理論で,電子,中性微子(ニュートリノ)の場を導入し,それらが生成,放出される機構を明らかにした。ここに用いられた相互作用はフェルミ型相互作用と呼ばれるもので,場の相互作用を初めて実際問題に適用したものである。続いて35年湯川秀樹の中間子論が登場する。彼は核子間の力を媒介する力の場を導入し,それの量子としての粒子が存在することを予言した。この粒子が π 中間子であり,場の量子論を用いた素粒子論の誕生である。41年パウリは場の量子論を整理し,スピンと統計の関係を明らかにした。相互作用をしない自由な場の量子論はこれで完成したといえる。 このころの場の理論は時間を特別扱いにし,相対論的不変性が明らかでなかった。第2次世界大戦中朝永振一郎は超多時間理論により相対論的不変性が明りょうな場の理論を建設した。これを用いて戦後まもなく彼のグループは電子と光子の相互作用を扱う量子電磁力学を展開した。彼らはくりこみ理論により発散の困難を避け,有限の答えを得ることができた。同じころアメリカのシュウィンガー Julian Seymour Schwinger(1918‐94)も同様な理論を建設し,またアメリカのファインマンRichard Phillips Feynman(1918‐88)はグラフによる計算方法を発明し,これにより電磁現象をきわめて精確に計算できるようになった。 中間子に対しては有効な計算法がなかったが,55年アメリカのゴールドバーガー MarvinLeonard Goldberger(1922‐ )らは,相互作用が局所的に起こるという因果律から導かれる分散公式が実験とよく合うことを示し,中間子を局所的な場で記述することの正しさを確かめた。分散公式理論はその後解析関数,複素変数を用いる場の理論へと進展する。60年南部陽一郎(1921‐ )は真空が非対称になることがあることを見つけ,もともとの世界が対称であっても実際の世界が非対称になりうるという,対称性の自発的破れの理論を提唱した。この考えは電磁弱相互作用の理論で成功をおさめ,さらに大統一理論へと進む。70年代はクォーク理論に伴いゲージ場の理論(ゲージ理論)が展開される。80年代に入ると,大型計算機の発達により数値計算が行われるようになった。すなわち空間を格子状にして自由度を有限にし,計算機に計算させる方法で,かなりの成果が得られた。しかし場の量子論の根本的整備に関しては進歩が少なく,相互作用を含む場の理論はまだ完成していない。 [場の量子論の形式] 場 カ(x,t)は空間の点x の関数で,時間 t をパラメーターとして含む。カはスカラーのこともあり,電磁場のようにベクトル,あるいは電子のときのようにスピノルなどの場合がある。量子論では カ は非可換な q 数であり,次の形の交換関係を満たす。 [カα(x,t),πβ(xア,t)]±=iδ(x-xア)δαβ ただし,π は カ に正準共役な場であり,[ ]±は反交換子あるいは交換子,δαβ はクロネッカーの δ記号(δαβ=0|α≠β,δαβ=1|α=β)である。交換子のときは場はボース統計に従う量子を与え,反交換子のときは量子はフェルミ統計に従う。場 カ(x,t)を正規直交完全系咨n(x)で展開するとき, となり,展開係数 an は[an,am†]±=δnm の形の交換関係に従う(am†は am のエルミート共役)。Nn=an†an とおくと,Nn は0または正の整数を固有値としてもち,n という状態を占める粒子数を表す。反交換関係,すなわちフェルミ統計のときは Nn は0,1のみを固有値とし,2個以上が同じ状態にはいれない。an は n 状態の粒子数を1だけ減らす作用をもち,消滅演算子と呼ばれる。逆に an のエルミート共役 an†は粒子を1個増す生成演算子である。このように場 カ は粒子を1個つくったり,消したりする作用をもつ。相対論的場の理論では,an(t)のうち,正の振動数をもつものは粒子の消滅演算子,負の振動数のものは反粒子の生成演算子であり,時間反転のためには反粒子が存在しなければならない。またエネルギーが正であるなどの一般原理から,スピンが整数の粒子はボース統計に,スピンが半奇数のものはフェルミ統計に従うべきことが結論される。 いくつかの場を掛け合わせた カ†(x)カ(x)咨(x)……の形の項は,カ の量子が消滅し,咨の量子と カ の量子がつくられるという粒子間の転換,すなわち相互作用を与える。例えば カn†カp咨π は陽子が中性子に変化し,π 中間子が放出されるという湯川相互作用を表す。相対論的に不変な形にするためには同じ点 x での相互作用 カ†(x)カ(x)……を考えなければならないが,空間的に同じ点の現象は不確定性関係から無限に大きい運動量を意味し,発散の困難を伴う。くりこみ理論は発散が現れない形に書き表すものであるが,摂動論的べき展開の場合以外は定式化できない。相互作用を含む相対論的場の理論を数学的に矛盾のない形に書くことはできないが,非相対論的に広がりをもつ相互作用のときは矛盾のない場の量子論がつくれる。
(1)電子は定常状態とよぶ特別の運動のみをし,その状態では加速度があるにもかかわらず放射をしない。(2)電子はエネルギー En の定常状態から,より低い Enア のそれに遷移することがあり,そのとき, で決まる振動数 ν の光を放出する。(3)電子の運動はニュートンの運動方程式に従うが,しかし初期条件に応じて運動はさまざまになるという古典力学の特徴は失われ,量子条件をみたす運動だけが定常状態として実現する。 ボーアは,電子が核を中心として円運動するものとして,運動方程式から単位時間当りの公転数 ν とエネルギー E の間に, の関係があることを導き,定常状態の E=En,ν=νn は量子条件, で選ばれるものとして, を得た。そして,振動数条件から得られる光の振動数, が水素原子のスペクトルとして知られていたバルマー系列(nア=2),パッシェン系列(nア=3)を正しく再現することを示したのである。このボーアの三部作《原子と分子の構成について》は,さらに多電子原子の安定性や分子の結合エネルギーなどを論じている。翌1914年には J. フランクと G. ヘルツが電子で原子をたたき,電子のエネルギー損失がちょうど原子の定常状態間のエネルギー差に相当する離散的な値になることを実証した(フランク=ヘルツの実験)。これはエネルギーの離散的な定常状態が光との相互作用に局限されない実在性をもつことを示すものであった。15年には A. ゾンマーフェルトが量子条件を多重周期の運動に一般化し,水素原子の定常状態をすべて決定した。ここで原子の角運動量が離散的な方向のみをとること(方向量子化)が見いだされ,一方では座標軸は任意の方向に設定できるので,理論はパラドックスに灯着したことになる。⇒原子∥原子スペクトル [遷移確率] アインシュタインは原子における一つの定常状態から別の定常状態への電子の遷移は確率的におこるとし,その確率を電子に当たる光の強度に比例する部分(誘導遷移)と光なしでも残る部分(自発遷移)に分けた(1916‐17)。ここで,古典統計力学で用いられてきた人間の無知の表現としての確率でなく,内在的な確率が物理学に導入された。その予兆をシュワイドラーが放射性崩壊に見いだしていたことは前に述べた。 [対応原理] ボーア=ゾンマーフェルトの理論は,原子の出す光について,その振動数は正しくあたえたが,しかし強度も偏りもあたえることができなかった。ボーアは,たとえば水素原子の場合,電子の軌道が量子数 n の増大とともに大きくなり,ついに巨視的となることに注目し,nア=n-τ と n の大きい軌道間の遷移で出る光の振動数 が,古典電磁気学のあたえる振動数 に漸近することを確かめた。このことは,原子サイズの現象を支配する法則の未知の部分も,サイズを大きくした極限で古典的法則につながることを期待させる。ボーアは,これを対応原理とよんで巧妙な推理によって逆向きにつかい,原子が出す光の強度や偏りの公式を,対応する古典的な公式から導き出した。 [マトリックス力学] 原子のなかでの電子の定常状態は量子数 n で決まる。単位時間当りの公転数も n で決まる νn で,古典的にはこの電子が出す光の振動数はその整数倍の τνn になるが,これは実際には n→∞で漸近的に正しいだけで(対応原理),原子が出す光の振動数は のように二つの整数 n,nア で決まる。強度も偏りも同様である。W. ハイゼンベルクは,古典的な量を二つの添字をもつ量の集り{An,nア}でおきかえるという方針で,対応原理を押し進め,《運動学的および力学的関係の量子論的解釈変更について》と題する論文(1925)を書いた。ここでは電子の座標も二つの添字をもつ複素数となり,その絶対値の2乗によって光の強度をあたえるという役はするが,もはや軌道運動は記述しない。ハイゼンベルクは〈電子の位置や公転時間のような量を観測するという希望をまったくあきらめ,……観測できる量のみが現れるような力学をつくる〉という立場をとった。彼の見いだした算法は行列算にほかならぬことがわかり,彼の着想は M. ボルンと P. ヨルダンの協力によりマトリックス力学(行列力学)に仕上げられた。マトリックス力学は,水素原子のスペクトルを正しくあたえることが1926年に W. パウリと P. A. M. ディラックとによって証明されたとき,一般に受けいれられた。 [物質波] 1924年,ド・ブロイは光における波動と粒子の二重性を電子にまで及ぼすことを考え,電子は体内振動をもつ粒子だとしてボーアの量子条件に解釈をあたえた。この考えは,結局,エネルギー E と運動量 p をもつ電子に振動数 ν=E/h と波長 λ=h/p の波動を付随させることに落ちつき,この波動は物質波ないしド・ブロイ波とよばれることになった。 [波動力学] ド・ブロイは物質波の位相しか問題にしなかった。波動を扱うなら波動方程式をという P. デバイの示唆にこたえて,1926年に E. シュレーディンガーが波動力学をつくった。ここでは電子の定常状態は波の固有振動の形をとるので,彼の四部作は《固有値問題としての量子化》と題されている。ここで彼は,水素原子の問題を解き,それに電場をかけたときにおこるスペクトル線のずれ(シュタルク効果)が古典量子論よりよく説明されることを示すなど多くの成果をあげた。シュレーディンガーは,マトリックス力学が運動の時間的,空間的に連続な記述を断念したことに物理学の武装解除だとして反発し,量子飛躍を波動 カの連続的変化でおきかえようとしたのである。電子のような粒子も,実は空間の小さな領域にかたまってその外では0であるような波動(すなわち波束)であるという波動一元論を主張したが,そのような波束は一瞬のうちに拡散してしまい粒子とはみなせなくなるというローレンツの批判に屈した。それと同じ26年にボルンが波動関数の確率解釈を提出し,これによればシュレーディンガーの方程式からラザフォードの散乱公式が自然に導かれることを示した。こうした成功の反面,たとえばウィルソンの霧箱の中での電子の運動がニュートンの力学で正しく記述される事実との関係が問題になった。27年にハイゼンベルクは不確定性関係を発見して古典力学的記述の適用限界を明らかにし,エーレンフェストは波束 カt(r)の中心の運動が〈それのおかれた力の場の|カt(r)|2を重みとする平均に等しい力がおこすニュートン力学的運動〉に一致することを証明した。⇒不確定性原理 [量子力学の成立] 1926年,波動力学とマトリックス力学の同等性をシュレーディンガーが示唆した。どちらも同一の構造の異なる表現形式と見るべきもので,それらのほかにも表現形式は無数にあって相互に変換できる。このことをディラックやヨルダンの変換理論が明示したとき量子力学が成立した。ボルンの確率解釈も粒子の位置以外の一般の物理量に拡張されたが,さらに後の観測の理論により補強されねばならなかった。方向量子化のパラドックスはここで解決したのである。量子力学の数学的基礎は,フォン・ノイマンが大枠を描いたが,実質を盛る仕事は原子・分子系のハミルトニアンが自己共役であることを示した加藤敏夫の研究(1955)に始まる。 [量子力学の展開] 重要な発展の一つは2個以上の粒子を含む系の扱いであり,ここには古典量子論がついに扱いえなかったヘリウム原子の問題が含まれる。1926年から27年にかけてハイゼンベルクとディラックは独立に,粒子の座標の交換に関してフェルミ粒子系の波動関数は反対称(カ(r1,r2)=-カ(r2,r1)),ボース粒子系では対称(カ(r1,r2)=+カ(r2,r1))となるべきことを導いた。前者はパウリの原理の量子力学的表現であるが,これらの深い意味をパウリが明らかにするのは40年になってからで,それには相対論的な場の理論の発展が必要であった。 こうして量子力学は誕生してから2年たらずで基礎が整い,原子と分子の構造から固体電子論へと華々しい成功の道を進む。原子核への応用は,1928年に G. ガモフが α 崩壊をトンネル効果として説明したのが最初であるが,β 崩壊の解釈でなぞに出会い核の内部は量子力学の適用限界外かと疑われもした(1931)。 これより先,28年にディラックは電子の波動方程式を相対論の要請にあう形に改め電子のスピンの自然な説明を得たが,負のエネルギーをもつ解があって,その状態に電子が落ちこむという問題に出会うことになった。そして,これらの困難を解決する努力の中から素粒子論が生まれ,場の量子論が発展することになる。 自然界の状態を数式で書き表すのに大別して二つの方法がある。質点系として表すのと,場として表すのとである。投げられたボール,惑星などは質点,あるいは質点系の運動,すなわち xi(t)の形で書き表される。一方,空間の電磁場は,ある時刻 t,ある点 x における電場の強さ E(x,t),磁場の強さ H(x,t)と記述される。流体は分子の集りであるから,分子に番号をつけて質点系 xi(t)として書くこともできるが,連続物質としてとらえ,ある時刻,ある点における密度,速度などを ρ(x,t),v(x,t)として,場として表すこともできる。自由度のきわめて大きい系,すなわち連続体の運動や,真空中に起こる現象は場として記述するのがよい。これが古典的場の理論であり,電磁気学,重力論などはその典型である。
ただし,この種の構成において座標と運動量の演算子の非可換性(次節で述べる)から問題がおこる場合があり,演算子の自己共役性を目標とする数学的考慮が必要となる。そのため,古典力学的なすべての力学量が量子力学のなかに対応する演算子をもつとは限らない。またスピンのように古典力学のなかに対応する量がないものもある。そこで,量子力学において自己共役な演算子をもつ物理量をとくに観測量(オブザーバブル)とよぶ。なお,物理量に対応すべき演算子に自己共役性を要求する物理的根拠は,この特性が次のことを保証し観測の確率解釈を可能にするところにある。(1)その演算子の固有値がすべて実数になる,(2)その演算子の固有関数が任意のカt を展開できるだけ十分にたくさんある(完全系をつくる)こと。 [正準交換関係] 一般に二つの演算子の積はその順序によって働きが違う。たとえば,位置座標と運動量の演算子の場合, となり,演算の結果に, (-x×-×-x)カ=-iげカ だけの差がでる。この式は,どんな関数 カ に対してもつねに成り立つので,-x×-×-x という演算子が-iげ を掛ける掛算演算子と同等なことを示している。一般に メートル《-《メートル≡[メートル,《]と書き,[メートル,《]が0なら メートル と 《 は可換,0でないなら非可換であるという。位置座標と運動量の他の成分についても計算すると, [-x,×]=-iげ,[-x,÷]=0,……, [-x,-y]=0,[×,÷]=0,…… となり,位置座標と運動量との同じ成分どうしは非可換,他の組合せはすべて可換であることがわかる。これを一括して正準交換関係とよぶ。実は,量子力学で位置座標と運動量に演算子を対応させるしかたは,先に記したもの以外にもいろいろある。この対応は正準交換関係をみたすものである限りどれを用いても実験と比較できる量の計算結果には差がでないことが証明される。これは正準交換関係が量子力学にとって真に基本的な要素であることを示している。 【量子力学の歴史】 ニュートンの力学とマクスウェルの電磁気学を柱とする古典物理学は,天体の運動と地上の諸現象を解き明かし,一時は,残る課題は諸定数の有効数字を増すことのみとさえいわれた。X 線の発見(W. C. レントゲン,1895)とその波動性の確認(M. von ラウエ,1912)も,電子の粒子性の発見(J. J. トムソン,1897)も古典物理学によってなされたのだった。 [古典物理学の限界] しかし,L. ボルツマンの気体分子運動論が予言した気体の比熱は実験値より大きく,分子が回転すべくして回転しないことを暗示していた。P. K. L. ドルーデの金属電子論(1900)は,一定温度の下で金属の電気伝導率と熱伝導率の比が金属の種類によらず一定になるというウィーデマン=フランツの法則を首尾よく説明したが,金属の比熱の計算値は実験とけた外れに違ってしまった。さらにラジウムの発見(キュリー夫妻,1898)はエネルギーの保存をはじめとして力学,熱力学を根底からゆるがした。放射能が原子の崩壊によることが明らかになった(ラザフォードとソディ,1902)後にも,シュワイドラーEgon Ritter von Schweidler(1873‐1945)は単位時間当りの崩壊数に見られるゆらぎからこれがまったく偶然に支配されていることを読みとった(1905)。これは古典物理学の土台をなす因果律,決定論の破綻(はたん)を意味する。 [量子の発見] 古典物理学の限界をしるす作用量子 h の発見(1900)は,しかし熱放射の研究から生まれた。溶鉱炉のような高温の炉をみたす光はどの波長で強くどの波長で弱いか。そのスペクトル分布が炉壁の温度のみにより材料によらないという普遍性をもつことは,熱力学により証明されていた(キルヒホフ,1860)。スペクトル分布の実測曲線は,気体分子運動論との類比から推測したウィーンの公式に短波長側でしかあわず,これを統計力学のエネルギー等分配の法則から批判し光と音波の類比に頼って導いたレーリーの公式には長波長側でしかあわなかった。M. プランクは両者を熱力学的考察により内挿し,一つの定数の値を調節すれば実測曲線に正確に一致するという公式(プランクの放射則)を得た(1900)。調節の結果,その定数は, h=6.55×10-27erg・s と決定された。この定数こそ今日プランク定数とよばれるものである(今日の値は6.58×10-27erg・s)。彼は新しい放射公式の含意をさぐって,緊張の1週間の後,電気をもった調和振動子が放射を吸ったり吐いたりしてこれと平衡し,振動子は温度 T の熱平衡状態にあるが,ただし振動数 ν の振動子のエネルギーは hν の整数倍に限られるというモデルをさがし当てた。振動子のエネルギーが hν の整数倍という不連続な値しかとらないことは,古典物理学からは理解しにくいなぞであったが,プランクは荷電粒子による光の放出の機構に未知の部分があり,それが明らかになればなぞも解けるだろうとする立場をとって,苦闘を続けた。 [光量子] プランクの公式の革命的な含意をくみとったのはアインシュタインであった。1905年に彼は論文《光の発生と変換に関する一つの発見法的観点》を書き,振動数 ν の光は hν というエネルギーの粒子(光量子)の流れであるとして(光量子仮説),こう主張した。すなわち,これまで光はマクスウェルの方程式に従う電磁場の波動であるとされてきたが,光学的観測では〈瞬間的な値ではなしに時間的平均値が問題にされてきた〉にすぎず,波動像が回折,反射,屈折,分散の現象で完全に証明されているとしても〈光の発生や変換に適用したら実験に矛盾することもありうる〉。アインシュタインは,光の変換の例として光ルミネセンスと光電効果をあげ,前者に対するストークスの法則と後者に対するレーナルトの法則が光量子の観点から直截的に理解されることを示した。しかし,光電効果において金属板から飛び出してくる電子のエネルギーの最大値を hν-P としたアインシュタインの公式(P は電子が金属から脱出するのに使うエネルギー)が実証されたのは16年であり,R. A. ミリカンによる。また光が実際にエネルギーと運動量のかたまりとして電子と衝突することがコンプトン効果により実証されるのは23年になってからである。 [粒子と波動の二重性] 光量子はエネルギーの表式 hν に振動数を含み,波動ぬきでは語れない。アインシュタインは,プランクの放射式を用いて空洞内の小体積のエネルギーのゆらぎを計算し,粒子の出入りで解釈される項と波動の干渉で解釈される項の和になることを示した(1909)。同じ年に G. I. テーラーは,干渉計の中に同時には2個以上の光量子が存在しないくらい微弱な光でも長い時間かければ干渉縞をつくることを実証した。これは干渉を多数の光量子の相関によると見るアインシュタインの観点を否定するものであった。 [力学現象の量子化] 電磁場が量子性を示すなら力学現象も示すはずだという考えから,アインシュタインは1907年に,固体をつくっている分子の調和振動も hν おきの離散的エネルギー値のみとりうるとして固体の比熱を計算した(アインシュタインの比熱式)。固体の比熱は気体定数をR として高温では1mol当り3R だが(デュロン=プティの法則),温度を下げると減少し絶対零度で0になるという彼の結論は,彼の入手できたダイヤモンドなどの測定結果とよく一致した。この理論には,熱力学の第3法則を発見して低温の熱現象の実験を精力的に進めていた H. W. ネルンストが注目し,比熱の実測により強く支持したので,エネルギー量子のアイデアが広く受け入れられるようになった。 [量子化の規則の探究] 人々の関心は調和振動子に限らず一般の系の運動を量子的にする規則の探究にむかった。1911年にプランクは1自由度力学系が位相空間に描く軌跡の囲む面積をh の整数倍とし,13年に P. J. W. デバイも同調した。この年に P. エーレンフェストは単位時間当りの回転数が ν の二次元回転子のエネルギーを, として量子化し(因子嚶はこの系が位置エネルギーを欠くのでつけた), を得た(I は回転子の慣性モーメント)。これによって水素ガスの比熱が低温で分子の回転なしの値になること(A. T. オイケン,1912)を説明したのである。16年にはプランクと P. シェラーが同様にして並進運動を量子化した。 [原子の構造] 原子の力学的モデルをつくる試みは早くからあったが(長岡半太郎の土星模型,J. J. トムソンの陽球模型),実験的基礎を得たのは E. ラザフォードによる原子核の発見(1911),N. ボーアによる原子内電子数の決定(1913)のときである。ボーアは質量と電気素量だけでは原子の大きさを導くのに不足であることを次元解析から知り,原子構造論におけるプランク定数の役割を見抜いた。またマクスウェルの電磁気学によれば,原子核のまわりを公転する電子は,その加速度のゆえに放射をだしエネルギーを失って瞬時に核に墜落することから,電磁気学の原子内への適用をやめた。彼は,原子内の電子に対し次の仮定をおく。
電子や陽子,中性子などの素粒子,さらにそれらより小さい基本粒子のレベルで諸現象を統制する理論体系。このレベルの世界では粒子と波動の二重性が顕著であり,たとえば水素原子において原子核である陽子のまわりを回る電子は,エネルギーの確定した運動をするとき,一定の軌道を刻々に速度を変えながらたどっていくのではない。こうした粒子としての描像に代えてこの場合の電子は原子核のまわりに広がって振動する波動として表現される。だからといって電子が分解して空間に拡散してしまったわけではなく,電子の位置を観測すれば電子は(かけらではなく,まるまる)1点に見いだされることになり,ここに粒子性が現れるのである。また光は,波動のようにふるまって回折したり干渉したりもするが,たとえば電子に衝突する場合には一定のエネルギーと運動量をもったかたまり(光子,フォトン)の姿で現れる。原子が光をだす場合にも,光はじわじわとにじみ出るのではなくエネルギーのかたまりとして瞬間的に出るのである。このように,電子や光子,陽子,中性子などはかりに粒子的な名で呼ばれてはいるが,〈ときに波動の姿で現れ,ときに粒子の姿で立ち現れるあるもの〉とでもいうほかない。量子力学は,粒子と波動のことばをつかいながら,その両側面に統一的な記述をあたえる。統一のための橋渡しをするのが量子力学の確率解釈である。 [波動と確率] 量子力学的な粒子(たとえば原子の中の電子)の運動は波動で表現することができる。波動というものは,水面におこる波のようすから想像されるように,空間に広がり刻々に形を変えていくのが一般である。量子力学的な粒子について,その運動を表す波動の一時刻 t における形――その瞬間にシャッターを押して撮った写真――を,その粒子の時刻 t における〈状態〉とよぶ。粒子の状態とは,古典力学だったら,その時刻 t における粒子の位置と速度のことである。この二つが知れると以後の時刻におこることがニュートンの運動方程式から完全に決まるからである。同様に,量子力学においても,運動を表現する波動に対して,一時刻 t におけるその形から以後の移りゆきを完全に決める方程式があり,それを提出した人の名をとってシュレーディンガーの波動方程式とよばれる。空間の各点における波動の値(複素数)をあたえる関数は波動関数とよばれる。波動方程式は波動関数に対する偏微分方程式である。量子力学的な粒子の運動が波動で表されるといっても,粒子が粉々になって空間に拡散するわけではない。前にも述べたとおり,一時刻 t に粒子の位置を観測する実験をすれば1点に確定した結果が得られる。ただ,それがどこになるかは,その時刻の状態(その時刻 t における波動関数 カt)が知れていても観測より前に予言することはできない。予言できるのは,〈ここに粒子が見いだされる確率はこれだけ,あそこに見いだされる確率はこれだけ,……〉ということのみであって,一般に空間の位置 r に見いだされる確率はその点における波動関数の値 カt(r)の2乗であたえられる。正確にいえば,点 r の近傍の微小体積 dv に粒子の見いだされる確率は|カt(r)|2に体積 dv をかけて得られるので,|カt(r)|2自身は粒子の存在確率密度とよばれている。ただし,|カt(r)|2dv を全空間にわたって寄せ集めた値は1になるようにしておくのである。必要なら カtの大きさを全空間で一定の倍率で縮小または拡大するわけで,これを規格化という。時刻 t に観測が行われ,粒子が位置 r=a に見いだされた上は,もう一度その直後に粒子の位置を観測すると r=a とほとんど違わない結果になる。これは初めの観測で,波動関数が r=a 以外の場所では0であるような形に変えられたことを意味する。観測による波動関数のこの変化を点 a への波束の収縮とよぶ。それ以後,波動関数は点 a からシュレーディンガーの波動方程式に従って広がっていくことになる。 [定常状態] シュレーディンガー方程式の解のなかには,波動が空間のあらゆる点でいっせいに足並みそろえて振動するようなものがある。これは,2点の間にピーンと張った弦の振動の場合なら固有振動に相当するもので,量子力学の波動の場合にもその振動数は特定の一連の値(固有振動数)ν0,ν1,……に限られる。こうした カ の固有振動は,それぞれ量子力学的粒子のエネルギー確定の運動を表し,それをしている粒子は定常状態にあるといわれる。定常状態のエネルギーはそれぞれの振動数にプランク定数 h をかけたhν0,hν1,……であたえられ,系のエネルギー準位とよばれる。たとえば水素原子の電子のエネルギー準位は-13.6eV/n2と書ける(n=1,2,……)。量子力学的な系のエネルギーのとりうる値はその系のエネルギー準位の値 E0=hν0,E1=hν1,……に限られ,多くの場合とびとびになる。原子をはじめ量子力学的な系のだす光が多くの場合に線スペクトルをなすのはそのためである。実際,系がエネルギー En の定常状態からより低い Enア の定常状態に遷移するときにでる光の振動数 は,エネルギー保存則から で決まり,n と nア に応じたとびとびの値になる。このとき定常状態で固有振動する波動関数を カn と書けば,系が光をだす場合,その波動 カ がある時刻に急に カn から別の カnア に変わるのではなく,カ は両者の重ね合せ αnカn+αnアカnア で時間の経過につれて αn が小さくなり αnア が大きくなっていく。こうした変化は考える系と放射の場との相互作用を考慮に入れて初めておこることで,全系に対するシュレーディンガー方程式で決められる。そして考える系が時刻 t にまだ光をださず最初の状態にとどまっている確率が|αn|2であたえられ,すでに光をだして下の状態に遷移している確率は|αnア|2であたえられる。こうして量子力学は光の放出という瞬間的な遷移(時間的に不連続な過程)を確率を介して波動関数 αnカn+αnアカnア の時間空間的に連続な変化に直して記述している。 [観測量と固有関数] シュレーディンガー方程式は一般に, という形をしている(i2=-1,げ=h/2π)。》 は,たとえば水素原子の電子の場合でいえば,電子の質量を m,電荷を-e,真空の誘電率を ε0として, の形であり,電子の位置座標に相当する r=(x,y,z)の関数 カt=カt(x,y,z)に作用してこれを別の関数に変える働きをもつ。この種の働きをもつものを一般に演算子とよぶ。そのもっとも単純なものは関数を x で微分する微分演算子 ヤ/ヤx である。また上の 》 の中に見える, は関数 カt(x,y,z)を V(x,y,z)カt(x,y,z)に変える掛算演算子である。シュレーディンガー方程式に現れる 》 はハミルトニアン演算子とよばれるが,上の例では2階の微分演算子と掛算演算子の和になっており,一般に波動関数 カt を複雑なしかたで変えることが想像されよう。シュレーディンガー方程式の解のうちでとくに定常状態にあたるものは, という固有振動に特有の形をしており,un は, 》un=Enun をみたす。つまり un は,》 を作用させても En 倍される以外に関数形が変わらないという特別の性質をもっている。どんな関数がこの性質をもつかは演算子 》 によって違うが,非常に限られた種類のものであることは確かなので,それらを一括して演算子 》 の固有関数とよぶ。そして 》 を作用させたときの倍率 En を固有値とよぶ。前項に述べたことと併せていえば,量子力学的な系のエネルギーがとりうる値は,この系のハミルトニアン演算子 》 の固有値に限られる。その系が時刻 tに状態 カt にあるときエネルギーの観測をするものとすれば,観測前に予言できることは,観測値は 》 の固有値 E0,E1,……,En,……のどれかに限られ,このうちの En が得られる確率は|γn|2だということまでである。ただし γn は カtを, カt=γ0u0+γ1u1+……+γnun+…… のように 》 の固有関数で展開したときの展開係数であって,前項の αn とは, γn=αnexp{-iEnt/げ} の関係があり|γn|2=|αn|2である。 量子力学には,エネルギーに限らず他の力学量に関しても同様の構造がある。すなわち粒子の位置,運動量,運動エネルギー,……といった力学量のそれぞれに特有の演算子が対応し,それぞれの観測値と観測値ごとの確率は固有値と固有関数から上のようにして決められる。たとえば,粒子の位置座標には, ×=x・,÷=y・,==z・ という掛算演算子が対応し(x・は x を掛けることを表す),運動量には, という微分演算子が対応する。さきに記したエネルギーの演算子 》 が,古典力学のエネルギーの式, の px を -x で,……,x を × で,……,おきかえれば得られることに注意しよう。つまり,量子力学において力学量に対応する演算子を構成するには,その力学量の古典力学的な表式をとって位置座標と運動量を対応する演算子でおきかえればよい。たとえば,粒子の角運動量 L の古典力学的な表式は,x 成分でいえば, Lx=ypz-zpx であるから,量子力学でこれに対応する演算子は, となる。
ブラックホールのまわりでの粒子の運動は,太陽のまわりでの惑星の運動と比べて一つの大きな違いがある。もっとも内側の安定な円軌道(太陽質量の10倍のブラックホールでは半径90kmのところにある)というものが存在することである。これより外では,遠心力と重力がつりあった安定な円軌道が存在するが,これより内では安定な円軌道は存在せずに,粒子はブラックホールに吸い込まれる。はくちょう座 X‐1のような連星系では,超巨星から吹き出したガスが,まっすぐにはブラックホールに落ちずに,ブラックホールを取り巻く円板を形成する。ガスは粘性により徐々に小さい半径の円軌道に移っていき,半径が90km以下の円軌道になったときに,ブラックホールに吸い込まれて,二度と戻ってこない。ガスが半径90kmになるまでに,重力エネルギーが解放されて(その量は静止エネルギーの6%にも及ぶ),円板は数千万Kとなり X 線を放射する。つまり,ブラックホールからは光が出ないということと,ブラックホールのまわりのガスから X 線が放射されることとは,矛盾しない。 [超大質量のブラックホール] 質量が太陽質量の100万倍から1億倍のブラックホールは活動的銀河中心核やクエーサーのモデルとして有力なものである。クエーサーは,渦状銀河の中心にあり,大きさが1光年以下にもかかわらず,1000億個の恒星からなる銀河系(大きさ10万光年)が出しているエネルギーの100倍以上のエネルギーを電波,赤外線,可視光そして X 線の形で放出している。1年に太陽質量程度のガスが,太陽質量の1億倍のブラックホールに,はくちょう座 X‐1に見られるようにして落下していくなら,上記の莫大なエネルギーを説明できる。これも,ブラックホールが,核エネルギー(静止質量の0.7%)より大きな6%以上のエネルギー変換率をもっているためである。いくつかの銀河の中心核にブラックホールが存在することを示唆する観測事実がある。今までのブラックホールは,恒星の進化,または銀河系の進化の結果できる。一方,太陽質量の1.4~3倍より小さいブラックホールは通常の重力崩壊ではできない。唯一の可能性は,宇宙初期の大きな密度ゆらぎによって生じた原始ブラックホールとしてである。しかし,原始ブラックホールが存在することを支持する観測事実はまだない。10億tくらいのミニブラックホールになると,大きさは10兆分の1cm四方の小ささになるので,もはや古典論のみでは扱えず,物質に対しては場の量子論を考慮する必要が出てくる。ホーキング S. Hawking によると,10億t以下のブラックホールは,100億年(宇宙年齢)以内に,電磁波やニュートリノを放出して蒸発してしまう。この蒸発の過程を観測できれば,原始ブラックホールが確認できることになる。 [時空構造] どのような質量にせよブラックホールは物質の重力崩壊の結果できる。物質のエネルギーは正であるというような物理的に妥当な条件の下で,重力崩壊により必然的に特異点が生ずることが示されている(特異点定理)。重力崩壊の過程は動的で複雑なものであるが,最終的には,定常な時空構造ができると考えられる。この最終時空構造はアインシュタイン方程式の軸対称定常解として得られる。球対称なシュワルツシルト解(1916),非回転で軸対称なワイル解(1917),回転しているカー解(1963),回転と歪みの入った冨松=佐藤解(1972)などが知られている。シュワルツシルト解は,カー解で回転がない場合である。上記の解のうち,カー解のみが,特異点が事象の地平面に囲まれているという構造をもつ。逆に,事象の地平面の外側に特異点が存在すること(裸の特異点と呼ばれる)を禁止すると(宇宙検閲仮定という),軸対称定常解は,カー解のみに限ることが示されている(唯一性定理)。特異点においては一般相対論は破綻(はたん)している。例えば潮汐力が無限大になっている。裸の特異点では,理論の破綻している点が見えるという矛盾をもっている。カー解では,特異点は見えないという構造をもっているので,事象の地平面の外側の現象を論ずる限り理論との矛盾はない。したがって,ブラックホールといえば,カー解を指すのが一般的である。カー解を特徴づける物理量は,質量と角運動量と電荷の三つである。重力崩壊する前の星はいろいろな性質をもっていたのにもかかわらず,ブラックホールになると,たった3本の毛(性質)しかもたないことになる(無毛定理)。 物質が重力崩壊する過程では,重力波(時空の歪みが波動として伝わる)が放射される。ブラックホールができるときには,とくにブラックホールの準固有振動と呼ばれる重力波が励起される。これは,ちょうど寺の鐘の音のようなもので,鐘(ブラックホール)によって,音(重力波)の振動数と減衰率が違う。太陽質量の10倍のブラックホールの場合,振動数は1.2kHz で減衰時間は1000分の4秒である。この重力波を実際に測定しようという試みが,5tのアルミ棒またはレーザー干渉計を用いて世界で10以上のグループで試みられている。理論的には,重力崩壊の過程を大型コンピューターでシミュレートする数値的相対論が発展している。 カーブラックホールでは,事象の地平面と無限赤方変位面が一致しない。このために,古典的には入射波より反射波のエネルギーが大きくなる超放射現象が起こる。量子論的には,クラインのパラドックス(ある種の強いポテンシャルのもとでは,正エネルギーの電子が負エネルギー状態へ遷移しうるという理論)と似た理由によって粒子の自然放出が起こり,回転エネルギーが失われる。シュワルツシルトブラックホールに対しては,不確定性原理に起因して光子の自発的放出がプランク分布で起こる。すなわち,ブラックホールは,質量に逆比例した温度の黒体放射をする。また,表面積に比例したエントロピーをもっているとみなしたブラックホールを含んだ系の熱力学も建設されている。 宇宙には,個々の天体の放射する電波,銀河系の中で発生する電波などのほかに,宇宙全体を一様に満たしていると考えられる電波が存在している。アンテナをどの方向にむけても同じ強度で入射してくることからこの名称がある。電波の強度が絶対温度約3Kに相当することから3K放射,電波のスペクトルが黒体放射の性質を有することから宇宙黒体放射などとも呼ばれる。 この電波は,1965年,アメリカの技術者ペンジアス A. A. Penzias とウィルソン R. W. Wilson によって発見された。ビッグバン宇宙論によれば,宇宙の初期には高温,高密度の時期があり,宇宙はまったく不透明であったと考えられている。それが,膨張とともに温度が下がり数千度になったところで透明になる。この晴れ上がりのときにあった光が赤方偏移によって波長が長くなって電波になり現在まで残っているのがこの電波である。現在,この電波は,波長20cmから0.1mmの間で測定され,スペクトルはほぼ黒体放射に従うこと,0.01%程度と非常に少ないが強度に非等方性があることなどが知られている。
お礼
大変ご多忙の折、ご回答感謝致します。 >[理論からの帰結と発展](回答No.11) 《ローレンツ変換(3)からは,さまざまの新しい結果が導かれるが,速度の合成則も(2)式ではなく, となる。この式によると,光速以下の速度をどれだけ合成しても決して光速をこえないことがわかる。 つまり光速 c は,現実に達成しうる速度としては最大のものである。 また特別の場合として Vx=c とおくと Vxア=c となり,もくろみどおり,光速度不変の原理に一致するようになっている。》 >見て分からないならそれまで、ということですよ。 厳しい要求ですね。 方程式が空白で、「ア」が誤変換ということですと、私の能力では到底解りません。 >相間が昂じるとアインシュタインだけでなくニュートンも貶し始めるのはよくありますね。その二人だけ云々しても仕方ないんですが。 「相間」とは、何か病のような認識でおられるようですが、教科書を鵜呑みにしないで検証する作業は、極めて過酷な試みだと思います。 ニュートンのオカルト研究の暴露については、貶しめているわけではなく、彼の途轍もない好奇心と探究心について、逆に尊敬してます。 >後続の大勢が検証して引き継いでいますからね。彼ら二人が間違っていたとしも、何ら支障はありません。 アインシュタイン博士が人生最大の過ちと嘆いた「宇宙項」が、今現在ダークマターやダークエネルギーで復活したのは、なんとも言えない苦笑いですね。 >ニュートンは光の波動性を見落とし、アインシュタインは確率論が最終結果なことを受け入れられなかった、とかね。そうした点は誰も引き継いでいない。 引力の原因は、「質量」という部分は引き継いでいますね。 そこを問題にしている訳です。 引力の原因は、もしかしたら電磁気力ではないか、ということです。 磁気力は、「磁気量」の積に比例し距離の2乗に反比例することが確かめられています。 「質量原因」万有引力の法則は、「質量」の積に比例し距離の2乗に反比例という仮説ですが、実験で確認されていません。 磁気力を原因とした万有引力であれば、同様に「磁気量」の積に比例し距離の2乗に反比例し、成り立つことは想像に難くありません。 ありがとうございました。