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「勉強になった」の意味的解釈
「今度の仕事は、私にとっていい勉強になった」という文があります。これを意味的に詳細に分析すると、どのようなことになるのでしょうか。 私はこの場合の「勉強」とは「経験を積むこと」という意味であり、「なった」とは「物・ことが結果として実現・成立する」という意味だと解釈しています。結果的に「私はレベルアップした」という意味の文であって、「仕事が何か別のものに変化した」と考える余地はないものと思いますが、この解釈の正当性についてはいかがお考えでしょうか。
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#9です。 >「なる」は「変成・変化する」の意味であるとの説に釈然としないものがあったことが長引いている原因のひとつです。 : 文法的な側面から「これを意味的に詳細に分析すると、どのようなことになるの」かに触れます。 既に文法的には「「なる」「す」等実質概念を欠く動詞に対し、結果を表わす」というように、「~になる」とは実質概念のない、いわば存在詞に準じた役割として「~である」や「~に当たる」となりますが、この場合に当てはまる意味としては「今度の仕事はいい勉強として役立った」といったニュアンスンに近いでしょうか。 「役立つ」は瞬間性の自動詞ですから、「役立った」では状態性を帯びた形容詞的意味合いが高まります。 ですから、構文的には次のようになります。 今度の仕事は、私にとって いい勉強になった。 <対象格>、<主格> <副詞用法> <結果動詞> ↓ 「私にとって」は(提示の主格)、「今度の仕事」が(話題の対象格)「いい勉強として」(副詞的修飾格)「役立った」(結果の述格)。 この「私にとっては」となるような、主語が「には」系統の場合においては、「ガ格」は主語ではなく対象格であって、その述格は結果動詞として状態の形容に関わる構造になります。 参照: 「… (5)わたしは 朝がつらい。 (6)わたしは それが残念だ。 右の「わたしは」の「は」は、いずれも「には」系統のものであり、「にあっては」「にとっては」の意味であるとしている。…広く主観的な知覚・感情・情緒の表現に対しては対象語格をとりうることは、すでに述べてきたとおりである。」(加藤彰彦「主語は述語の中にある」(「講座日本語の文法2」明治書院)
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- hakobulu
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#16です。 >このページの質問例文は「今度の仕事を通じて、いい勉強になった」ではないので、このコメントは無理ですよ。だから次のページにまた新質問をしています。「今度の仕事を通じて~」に関する議論はそこで続行することにしませんか。そうでなければ、私とhakobuluさんだけでしか通じない議論になってしまいますから。 : まったく、おっしゃるとおりです。 ただ、それをわかっているからこそ、このままでは、論議の方向性がずれてしまう懸念が生じるわけで、せっかくのご回答が無駄にならないように、あえて出しゃばったものです。 そもそも、『意味的に詳細に分析する』のが目的ではなく、本来は『意味を詳細に分析する』のはずで、基本的な事情を知っていないと、その本来の質問意図を別の意図だと勘違いされる危険性があるわけです。 それを防ぎたかっただけでして、彼の回答者さんに反論したわけではなく、同じ土俵に上がっていただきたい、という意図での投稿でした。 最後の文でもお示ししましたが、「的を射た論議にはならない、という点だけ進言させていただきます」ということです。
お礼
ご配慮、ありがとうございました。 良かったら、さらなる新質問でも討論いたしましょう。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#13です。 新たな視点からの反論が為されたようですので、差し出がましいようですが、またお邪魔致します。 まず、どのような経過でこの質問が為されているのか、という点を知らないと質問の本来の意図からずれてしまいますので、#14、#15さんには、次の点にご留意いただいた上でご再考いただければ、と思います。 本質的な論点は、 ≪「今度の仕事を通じて、いい勉強になった」という表現は正しいか?≫ です。 この構文は誤り、つまり、「なる」という動詞の誤用であり、「今度の仕事は、いい勉強になった」と表現すべきだ、というのがわたしの立場です。 あるいは、「今度の仕事を通じて、いい勉強をした」とすべき、ということ。 誤まりであることを説明するには、おそらく様々な切り口があることでしょう。 わたしの場合、「なる」が持つ基本的な性格である変化という要素に着目しました。 「今度の仕事は、いい勉強に変化した」であれば意味は通じるが、「今度の仕事を通じて、いい勉強に変化した」では意味の通じない構文になってしまうだろう、というわけです。 「今度の仕事を通じて、いい勉強になった」が正しい文か否かは色々な見解があるかもしれません。 ただ、いずれにせよ、「なる」という動詞の文法的用法が問題にならざるを得ないわけですから、≪「なる」は「通じて」を受けることができるか?≫という点に留意なさって論じていただかないと、的を射た論議にはならない、という点だけ進言させていただきます。
お礼
たびたびご回答、ありがとうございます。 このページの質問例文は「今度の仕事を通じて、いい勉強になった」ではないので、このコメントは無理ですよ。だから次のページにまた新質問をしています。「今度の仕事を通じて~」に関する議論はそこで続行することにしませんか。そうでなければ、私とhakobuluさんだけでしか通じない議論になってしまいますから。 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8841347.html #13さん、あくまでも参考のために申し上げますが、hakobuluさんとの「激論」は下記のページから始まっているんですよ(締め切りの期限が迫ってしまったため、議論なかばでこの新質問をしたのです。既に締め切っているため、そこでは議論できません)。 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8800541.html
補足
お礼に書いた「#13さん、あくまでも参考のために申し上げますが」は「#14さん~」の間違いでした。 訂正させていただきます。
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
お礼ありがとうございます。 > 「君との出会いは、人生の宝だ!」ではなくて「君との出会いは、人生の宝になった」でも同様だということなのでしょうか。 一応、既回答で言及したつもりでしたが・・同様とお考え下さい。 基本は「なった」と言う動詞部分に拘るべきでは無く、敢えて「勉強」「宝」などのレトリック(比喩)を使用している部分に注目すべき!と言う考え方です。 動詞は、「だ/です」でも「だった/でした」でも、意味には大きな違いもないし、「なった」と言う過去形も、時制だけの話しで、「なる」や「なるだろう」などでも、時制が変わるだけです。 もしレトリックを使わなければ、「今度の仕事は、私にとって初めて挑んだ内容で、今後に資す良き経験になった」みたいな、長ったらしい説明文章になってしまいますが、それを「勉強」の一語で、比喩的に表現しているものと考えます。 さほど意図的では無いにせよ、レトリックを使用していますので、レトリックが、文章に豊かさや格調を与えたり、強調や相手の理解力を深める役割を果たしているワケです。 実際にも「いい勉強になった」と言う語感は、「今度の仕事」を、かなりポジティブに受け止めている印象を醸しています。 それにも関わらず、動詞「なる/なった」に拘って、変成の意味に捉えると、「今度の仕事は、私にとってプラスに作用する経験値に変換された」と言う感じで・・・。 後に文章を続けるとしますと、「いい経験をさせてくれてありがとう!」などだけじゃなく、極論しますと「この経験を利用すれば、出世や所得の増大に繋がるだろう。ウッシッシ!」とかでも成立してしまい、折角の「いい勉強」と言うレトリックから生じる語感は、雲散してしまいます。 モチロン、言語学的解釈は、レトリックを採択せず、「仕事が勉強に変成した」も可能ですが、ご質問が「意味的解釈」なので、その場合はレトリックに注目すべきと考えます。 逆に言いますと、仮に実社会で相手がそう言う発言したとすれば、どう返事するか?です。 机上では変成論者でも、案外、咄嗟には「そういって貰えて光栄です。こちらこそありがとう!」などと返事するのではないでしょうか? 「ミカンがメロンになりました」と言う変成の事実に対し、「ヨカッタね」は言えても、「ありがとう」は変でしょ? しかし「ミカンがまるでメロンの様になりました」と言うレトリックと解釈すれば、それに相手の感謝の意などを汲み取ることが可能になります。 言うまでもありませんが、「仕事」がミカンで、「いい勉強」がメロンと言う関係です。 たとえ「なった」に拘るとしても、単純な変成と言うよりは、本来は営利を目的とする「仕事」が、純粋な学究である「勉強」に高まったとか、仕事に加えて勉強にまでなったと言う、プラスアルファのニュアンスを汲み取るべきかと思います。
お礼
再度のご回答、ありがとうございました。 私の理解力不足もあって、無用に近い追及をしてしまいましたことをお詫びします(「なる」には変成・変化の意味以外に「プラスまたはマイナスの効果・機能がある」という意味もあることを忘れていました)。 この質問も少し長くなってしまいましたし、少し趣旨がずれる別の疑問が生じてしまいましたので、新質問をたてさせていただきました。下記のページにもご回答いただければ幸いです。 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8841347.html
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
おもしろいやりとりなので、参加させてください。 一つだけ、重要な概念が欠落している様です。 「修辞技法(レトリック)」です。 すなわち、「今度の仕事」を「いい勉強」と言う比喩表現することで、「今度の仕事」の性質の一部を、「わかり易く説明している文章」と考えるのが、最も自然な解釈かと思います。 「なった」を、変成を示す意味などと捉えてしまうと、わざわざ「勉強になった」と表現する意味が、完全に損なわれてしまいます。 たとえば「君との出会いは、人生の宝だ!」と言う表現は、「出会い」を「宝」と比喩することで、「価値有るもの」と言っているワケです。 それを「人生と宝は、等価では無い」とか、「なった」と言う動詞に拘って解釈すれば、「君との出会いは、経済的価値がある物質に変成した」みたいな、全く味気ない意味の文章になってしまいます。 その点、質問者さんの「勉強になった」の解釈は、「レベルアップ」と言う、喜びなどを含むものであって、「勉強になった」に、そう言うニュアンスを汲み取ることにより、はじめて活きる文章です。 まあ発言者が、そう言うニュアンスを一切思慮せずに発言した可能性も、完全に否定は出来ませんが・・。
お礼
新しい角度からのご回答、ありがとうございました。 ひとつだけ、追及させて下さい。 「君との出会いは、人生の宝だ!」ではなくて「君との出会いは、人生の宝になった」でも同様だということなのでしょうか。「それだけの価値を見出した」と解釈するのが適切かもしれませんね。そのように考えると「今度の仕事は勉強になった」は「今度の仕事に自分のレベルアップという価値を見出した(気がついた)」ということになりそうですが、そのような解釈でいいのでしょうか(それならば私も納得できます)。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#11です。 >そのようなこともありますので、私としては決してこの表現を見捨てることはできないと思っています。 : わかりました。 このようにおっしゃっていただければ、押し付けになりますので、これ以上のことは申しません。 こちらこそ、長きにわたりお付き合いいただきましてありがとうございました。特に必要が生じない限り、ここまでにしたいと思います。 ただ、ほんの少しだけ補足させていただくことをお許しください。 >ただし「この仕事を通じて、いい勉強になりました」という表現の苦しさは認めますが、「通じない」とは別のことです。この期に及んでも、私は「いい経験をした」という意味で通じると思っています。 : むろん、通じるのは通じますね。その点は全く異議ありません。 ただ、「~をした」のは「私」ですが、「~になった」のは「私」ではありません。つまり、「勉強になった」と「経験をした」では、動作主体が異なるわけです。動作主体が異なるのですから、当然、文の意図も異なります。 「太郎は花子を好いている」 「花子は太郎に好かれている」 どちらも同じひとつの状況を表わしている点で意味は通じますが、その意図が異なるのと似ているでしょう。 こうした点を押さえるのが、今回、最大の山場だと思います。 「私」は「する(した)」という動作はできますが、「なる」は「変化する」という意味なので、「私」が勉強というものに変化してしまったことになり、整合性が取れないわけです。(ここでは変化という本質的要素を使うほうが良いと思いましたので、再登場させました) いずれにせよ、以上の事から考えても、「なる」の主体が「仕事」にならざるを得ないことは確かなことではないでしょうか。 辞書にも「ある目的のための修業や経験をすること」という語釈があるのだから、変化ではなく「いい経験をした」という意味に考えれば、不都合はないのではないか、とMister0413さんは、おっしゃると思います。 しかし、それは違います。 「いい経験」は「勉強」の部分のみに置換えが可能なのであって、「なる」という動詞の部分まで置換えできるわけではありません。 ですから、「この仕事を通じて、いい勉強になりました」は「この仕事を通じて、いい経験になりました」という不自然な意味にしかならないわけです。 「この仕事を通じて、いい経験をした」という(自然な)意味にはならない、という点が重要です。
お礼
いろいろとありがとうございました。 「主語であるべき『仕事』が『を通じて』で副詞的に使われている」という点がすべてのようですね。後はそれをどのようにとらえるかという点にかかっているか、だと思います。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#10です。 >いい勉強をしました。の主語は省略されていますが、「私」です。 勉強になりました。参考になりました。は、主語が「仕事」や「経験」です。 この仕事は、私にとっていい勉強になりました。なのです。 「この仕事を通じて、いい勉強になりました」では、主語であるべき「仕事」が「を通じて」で副詞的に使われていることがおかしいのです。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question … : 確かに、こちらの説明は簡潔で要領を得ていますね。 わたしとしても、前回のご質問http://okwave.jp/qa/q8800541.html の#16で、以下のとおり、似たようなことを述べてはいるのですが、いかにも回りくどくて煩雑な表現だったかもしれません。 「この仕事を通じて、いい勉強になりました」が不自然である根拠を述べるには、様々な切り口があるということなのでしょう。 いずれにせよ、「変化」の要素に拘りすぎてご迷惑をお掛けしたこと、謝罪させていただきます。 (以下、前スレ#16より抜粋) 「(わたしは)いい勉強することができた」は、「わたし」に着目した表現です。「わたし」がなにをしたのか、どうだったのか、ということに焦点を当てたい場合の表現。 「(この仕事は)いい勉強になった」は、「この仕事」に着目した表現。「この仕事」がどうであったのか、どうなったのか、ということに焦点を当てたい場合の表現でしょう。 どちらも同じ内容について述べている文ではありますが、このような違いがあります。 最も大事なのは、「なった(なる)」という動詞を使う場合は、【「この仕事」がどうであったのか、どうなったのか】という意図があることになる、という点です。 今までのやりとりでは、すれ違いが多かったので、まず、ご自身で、主格(主語と表現すべきかもしれませんが)の違いについてお考えいただくほうが、こうしたことに気づいていただける確率が高いと考え、質問の形を取ったわけです。 いずれにせよ、これを踏まえて当初の例文、「この仕事を通じて、いい勉強になりました」について検証してみると、「この仕事を通じて、この仕事がいい勉強になりました」という意味になり、不自然であることがわかります。 「勉強になったもの=この仕事」ですから、「なる」を使うのであれば、あくまで、「この仕事はいい勉強になりました」のようにしなければなりません。
お礼
長きにわたり、いろいろとありがとうございました。 ただし「この仕事を通じて、いい勉強になりました」という表現の苦しさは認めますが、「通じない」とは別のことです。この期に及んでも、私は「いい経験をした」という意味で通じると思っています。苦しいと思われる表現でも、通じているものなら他にもありますしね(見苦しい言い訳だと思われたらお許し下さい)。 これとはレベルが違いますが、先般まで「全然」の後続が否定形でなければならなかったものが最近は肯定形も認められるようになりました(よく聞いてみると、当初は肯定形がくることになっていたのだとか)。 そのようなこともありますので、私としては決してこの表現を見捨てることはできないと思っています。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#7、#8です。 1. >「仕事を通じて」とは「仕事を媒介として」であり、換言すると「仕事をすることによって」という意味だと思っています。 : まず、「仕事を媒介として」は、私の提示した「仕事を経由して」という辞書語釈と全くと言ってよいほど変わりませんから、それは同意しています。ただ、「仕事をすることによって」という意味とは、若干、ニュアンスが異なる、と申し上げているのです。 ここで、大元の問題点を再確認する必要があると思います。 ≪「今度の仕事を通じて、いい勉強になった」という表現は正しいか?≫⇒( A ) これです。 この場合の「なる」は、「変化する」という用法を内在しているため誤りであり、「今度の仕事は、私にとっていい勉強になった」と表現すべきである、というのが私の主張です。 その説明で納得できないようでしたら、「今度の仕事を媒介として、(私にとって)いい勉強になった」という構文でも不自然でしょう、とも申し上げました。 しかし、「今度の仕事をすることによって、(私にとって)いい勉強になった」は正しい構文です。 つまり、「仕事を媒介として」を「仕事をすることによって」と換言することはできない、というのが、今回述べた内容です。理由は#7で述べましたので、あえて繰り返しませんが。 2. >つまり「今度の仕事を通じて、エクセルのいい勉強になりました」は「今度の仕事によって、エクセルのいい勉強をしたという効果がありました」と書き換えることができる、というのが私の解釈です。 : おっしゃりたいことは、よく分かりますし、そういった解釈を否定してはいません。 しかしですね、この構文は、いかにも不自然でしょう。ぜひ、係りの関係性を検証なさってみてください。 意味が通じるのと、正しい構文かどうか、は別の問題として考える必要があります。 意訳は自由にカスタマイズできるが、骨格となる直訳がいい加減であれば別の意味になってしまうだろう、ということ。 「今度の仕事によって⇒効果がありました」という構文が正しいと思われますか? 「今度の仕事は⇒効果がありました」ですよね。 ですから、「今度の仕事を通じて⇒勉強になりました」ではなく、「今度の仕事は⇒勉強になりました」が正しい、ということになるのです。 「なる」という動詞の用法が問題になっているわけですから、本質的な論点は、 ≪「なる」は「通じて」を受けることができるか?≫⇒( B ) であることを再確認する必要がありそうです。 受けることができるのは、たとえば、「イベントを通じて友人になった」などの場合でしょう。 この場合の「なる」は、大辞林の【(2)-(2)人がある身分に変わる。ある役・職業につく。 「将来何に-・りたいか」 「学芸会の劇で王子さまに-・る」 「若くして三人の子の母と-・る」】という用法だからです。 http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E3%81%AA%E3%82%8B&match=exact&itemid=DJR_naru_-020 「今度の仕事を通じて、いい勉強になった」の場合は、【(4)-(2)プラスまたはマイナスの効果・機能がある。 「ために-・る本」 「名誉と-・る」 「激励がかえって重荷に-・る」】という用法。 「今度の仕事を通じて、勉強という(プラスの)効果・機能があった」という意味ですから、「今度の仕事を通じて」ではなく「今度の仕事は」とする必要があります。 #2で、わたしは、『この「変化する」という要素が生きていればこそ、「効果・機能がある」という用法が派生的に生じたと考えるのが自然でしょう。』と述べています。 その考えは何ら変わりませんし、それこそが本質だと今も思っていますが、今回提示した「イベントを通じて友人になった」の場合も変化の用法であり、しかも、不自然ではない表現であることに気づきました。 そうすると、「変化する」という用法を理由に不自然であることを主張するのは、極めて下手な手法であったと反省しております。 この反省に基づき、一番、最初に#2で、提示しましたように、 『この「なる」は、大辞林の【(1) 物・ことが結果として実現・成立する。】ではなく、 【(4)ある機能をする】という項目の中の、【(2)プラスまたはマイナスの効果・機能がある。 「ために-・る本」 「名誉と-・る」 「激励がかえって重荷に-・る」】という用法に該当すると思います。』 及び、 『因みに、「今度の仕事を通じて、(私にとって)経験を積むという効果があった」は、論理的意味を成さないため、「今度の仕事を通じて、いい勉強になった」という文は成立しません。』 という内容を、改めて主張の骨子とさせていただきます。 いずれにせよ、「今度の仕事を通じて、いい勉強になった」という表現は誤りである、ということさえご理解いただけるなら、それで十分です。 3. >したがって「この回答を通じていい勉強になった」の「回答」を無機質なものとしてとらえるのは間違いです。「この回答を読むことを通じていい勉強になった」または(回答を作成した側にとっては)「この回答の作成作業を通じていい勉強になった」のいずれかの意味であり、それならば意味が通じると思います。 : 「無機質」という表現の意味するところが良くわかりませんが、それは、さておきます。 「この回答を読むことを通じていい勉強になった」 「この回答の作成作業を通じていい勉強になった」 は、意味としてはわかりますが、日本語の構文になっていない、という点が問題です。 「この回答を通じていい勉強になった」を辞書語釈を基にして直訳すると、「この回答を媒介にして、経験を積むという効果があった」となるでしょう。 これが不自然であることをご理解いただけないと、また「変化する」という本質的要素を持ち出して、「この回答を媒介にして、経験を積むという効果があるものに変化した」という意味になるので不自然なのです、のような説明をせざるを得なくなります。 「この回答は、経験を積むという効果があるものに変化した」という構文でなければ不自然ですよね、という理屈です。 『「この回答を媒介にして、経験を積むという効果があった」という意味になってしまうので、「この回答を通じていい勉強になった」は誤りである』という理屈をご理解いただけるのなら、あえて変化の要素を持ち出すまでもないのですが。 4. >少し無理な理屈をこねて、どんどん泥沼に入り込んでいると思われますでしょうか。 : いえいえ、その点はお互いさまのようです。 5. >ここで#9さんのご回答も考慮に入れてみてはいかがでしょうか。 : マンネリ化を防ぐためにも、新規のご参加は大変ありがたいですよね。 しかし、今回の場合の「なる」を「物・ことが結果として実現・成立する」と解釈なさっているのは、どうでしょうかね。 「プラスまたはマイナスの効果・機能がある」という語釈を採用するという点では、すでに一致を見たと判断していたのですが、また、当初の解釈に逆戻りしてしまいますね。 それはご自由ですが、勉強というものが結果として実現したり成立したりするわけではありませんから、わたしは、この語釈を適用するのは誤りだと考えています。 「水が一定温度以下になると氷になる」などとは別の用法と捉えるべきでしょう。 小学館の辞典では、 【「に[格助詞](2)(イ)「なる」「す」等実質概念を欠く動詞に対し、結果を表わす」】という語釈になっているようですが、それまでとは異なるものや状態に変化した結果を表わす、と解釈して何ら差し支えはないでしょう。その意味で、「何か別のものに変化した」という要素が「なる」の本質にあることを否定するのは間違っているように思います。 ただ、上でも述べましたように、また、#5でもすでに述べていますように、「今度の仕事を通じて、私にとって、経験を積むという効果のある仕事であった」という解釈が不自然であることをご理解いただけるのなら、「なった」には「変化した」という意味が含まれるかどうかということに、殊更こだわる必要はない、ということです。 上記の( A )( B )についてお考えいただくと、質問者さんの本来の疑問点に沿った意見を出しやすくなるでしょう。
お礼
> 『因みに、「今度の仕事を通じて、(私にとって)経験を積むという効果があった」は、論理的意味を成さないため、「今度の仕事を通じて、いい勉強になった」という文は成立しません。』 これまで別のことにばかり気を取られてコメントしてきませんでしたが、私はこれについてさえも納得できていませんでした。「今度の仕事にかかわったことで、経験を積むという効果が生じた」非論理的なのでしょうか。「通じて」の意味に関しては下記質問の#2さんを支持していますし、それが「媒介として」「経由して」と言い換えられているとの先入観があったわけです。 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8800541.html?pg=1&isShow=open ここまで泥沼に陥ってしまってはらちがあかないと判断して、別のサイトでも判断を仰いでみました。やはり違和感がないとする人もいたので少しは安心しましたが、現在いただいている回答の中では下記の説が最も説得力があるように思えます(それでもまだ完全には間違いだとは思えず、反論の余地はありそうな気がしていますが)。hakobuluさんのおっしゃりたいことの核心は、実はここにあったのではないでしょうか。 いい勉強をしました。の主語は省略されていますが、「私」です。 勉強になりました。参考になりました。は、主語が「仕事」や「経験」です。 この仕事は、私にとっていい勉強になりました。なのです。 「この仕事を通じて、いい勉強になりました」では、主語であるべき「仕事」が「を通じて」で副詞的に使われていることがおかしいのです。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10138549115
- kine-ore
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解釈についてはご質問の主旨のように受け取るのがごく自然だと思われます。 おっしゃる通り「この場合の「勉強」とは「経験を積むこと」という意味であり」そして、ここので「~になる」の用法は、「何か別のものに変化した」といった動詞としての実質概念を考慮するものではなく、「「物・ことが結果として実現・成立する」という意味だ」と。 「勉強[名詞](3)…また、社会生活や仕事などで修行や経験を積むこと」 「に[格助詞](2)(イ)「なる」「す」等実質概念を欠く動詞に対し、結果を表わす」 引用:「国語大辞典」小学館
お礼
ご回答、ありがとうございました。 これまで別の質問時からhakobuluさんと長い議論を交わしていたのですが、「なる」は「変成・変化する」の意味であるとの説に釈然としないものがあったことが長引いている原因のひとつです。 ようやく自分と同じように考えてくれる人に出会えて少し安心しました。もちろん十分考慮することなく、自説に同意してくれる人に賛同するのも禁物ですので、できるだけ多くの方からご意見を頂戴したく存じます。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
連続投稿です。 #3さんへのお礼で、 >それこそ「いい勉強になった」気がしています。 : とおっしゃっていますよね。 後ほど述懐する際には、「この回答はいい勉強になった」と表現するのではないでしょうか。 「この回答を通じていい勉強になった」とは言わないと思うのです。
お礼
#8へのお礼で述べたごとく、「○○を通じて」の表現において、○○は自分に作用するもの、または自分が働きかける・利用するものであるはずです。 したがって「この回答を通じていい勉強になった」の「回答」を無機質なものとしてとらえるのは間違いです。「この回答を読むことを通じていい勉強になった」または(回答を作成した側にとっては)「この回答の作成作業を通じていい勉強になった」のいずれかの意味であり、それならば意味が通じると思います。 これも屁理屈だと思われますでしょうか。
- hakobulu
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#6です。 一素人のため、系統立てて述べることができず、また、表現の仕方も上手いとは言えないため、結構わかりづらい文になっているようにも思います。 懲りずに真摯にご対応いただいておりますこと、まずは、お礼申し上げます。 賢い人であれば、達観しつつこの辺で矛を収める運びとなるのでしょうが、わたしは、単純な上にあきらめが悪いというか、良く言えば根気強い一面があり、ついつい長居してしまいます。 ご迷惑であれば、適当にうっちゃっていただいても全く気にしませんので、念のため、お伝えしておきたいと思います。 1. さて、今回は、わたしの表現下手により、また誤解を与えてしまったようですので、そのことから。 >つまりこの文における「仕事を通じて」とは「仕事を媒介として」であり、換言すると「仕事をすることによって」という意味だと思っています。この点もhakobuluさんと対立する原因のひとつのようですね。 : この点で対立してはおらず、わたしも、Mister0413さんと同意見です。 ただし、「仕事を媒介として」と「仕事をすることによって」では意味が異なるはずで、この点は同意できません。 たしかに、結果としては同じ事柄について述べていることにはなりますが、その意図が異なっているでしょう。 「クラブ活動を通じて仲間ができた」は、「クラブ活動を媒介にして仲間ができた」という意図であり、「クラブ活動をすることによって仲間ができた」とは若干、意図が異なると思います。 本来の意図は、媒介したものについて述べているはずですが、後者は、(仲間が出来た)方法について述べる意図になっています。 「なる(なった)」という動詞を適用できるか否か、というのが根本の問題ですので、このあたりは厳密に検証していく必要があるでしょう。 私が参考にしたのは、大辞林で、 【二-(5)(ア)あるものを経由する。また,仲介の手段とする。 「秘書を-・じて面会を乞う」】という語釈です。 http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E9%80%9A%E3%81%9A%E3%82%8B&match=exact&itemid=DJR_tuuzuru_-010 「経由する≒仲介の手段とする」と解釈したわけです。 また、#6で述べた下記の文章を確認していただいても、わかっていただけるかと思います。 『「今度の仕事を通じて、エクセルのいい勉強になりました」のような例に差し替えてみると、わかりやすくなるかもしれません。 たしかに、「今度の仕事をずっとやってきて」という意味であれば自然な文ですが、しかし、「今度の仕事を介在にして」という意味であれば不可でしょう。』 この最後のフレーズを正確に表現すると、 『しかし、「通じて」の本来の用法である「介在する」を適用した、「今度の仕事を介在にして」という意味であれば不可でしょう。』 です。 整理して書き直すと、要旨は、以下のようになります。 「今度の仕事を通じて、エクセルのいい勉強になりました」という文の場合、「通じて」を、 【二-(5)-(イ)物事が全体に行きわたる。 「四季を-・じて暖かい」 「生涯を-・じて守りぬいた信念」】という用法と捉えるなら、「今度の仕事の全体にわたって、エクセルのいい勉強になりました」という意味になるので自然な表現と言える。しかし、 【二-(5)(ア)あるものを経由する。また,仲介の手段とする。 「秘書を-・じて面会を乞う」】という用法を適用する場合には、 「今度の仕事を媒介として、エクセルのいい勉強になりました」という意味になり、文としての整合性が失われてしまうため誤用になる。 という内容。 今回お示しいただいたように、 「今度の仕事をすることによって、エクセルのいい勉強になりました」と言い換えても、上で述べましたように、本来の文意とはずれてしまう、という点で誤用になると思います。 「今度の仕事を通じて、エクセルのいい勉強をしました」であれば、「今度の仕事を媒介として、エクセルのいい勉強をしました」という意味になり、問題のない文です。 因みに、この表現の場合、「今度の仕事の全体にわたって、エクセルのいい勉強をしました」という、もうひとつの解釈も可能になります。 2. >「なる」に「変わる」という意味を含んでいるとは限らず、ここでは私が主張している意味だと思う以上、 「今度の仕事を通じて、エクセルのいい勉強になりました」は「今度の仕事をすることによって、エクセルのいい勉強をしたという効果がありました」となり、不自然さはないと考えています。 : 根拠は上で述べましたので繰り返しませんが、「不自然ではないが、意図が異なってしまう」と申し上げておきます。少し視点を変えてみますと、 「今度の仕事をすることによって、エクセルのいい勉強をしたという効果がありました」は、「今度の仕事は、エクセルのいい勉強になりました」という文の言い換えになっています。 つまり、「今度の仕事は、エクセルのいい勉強、という効果がありました」という意味になるので自然な文になるわけです。(「なる=プラスの効果がある」には変化の要素がありますが、現時点では、特に、それに拘る必要はありません。) 「今度の仕事を媒介として、エクセルのいい勉強、という効果がありました」という構文には整合性がない、という点に気づいていただきたいのですけどね。 そもそも、「いい勉強をしたという効果がある」という表現も意味が通らないように思います。これは、「いい勉強、という効果がある」とすべきです。 「今度の仕事をすることによって、エクセルのいい勉強、という効果がありました」とすれば、不自然であることがわかりやすくなるでしょう。 「エクセルのいい勉強、という効果があった=エクセルのいい勉強になった」という構図なのですから、「なった」を使う以上、あくまで「今度の仕事は」とする必要があります。 「今度の仕事を通じて」は誤用ですし、「今度の仕事をすることによって」は別の意図になってしまう、ということです。
お礼
> 「仕事を通じて」とは「仕事を媒介として」であり、換言すると「仕事をすることによって」という意味だと思っています これについては、表現がまずかったかもしれないと思っています。「○○を通じて」の表現において、○○は自分に作用するもの、または自分が働きかける・利用するものであるはずです。その点が明確になるように表現したつもりだったのですけれどもね。 そこで「『仕事を通じて』とは『仕事によって』という意味である」と言い換えたらどうでしょうか。 つまり「今度の仕事を通じて、エクセルのいい勉強になりました」は「今度の仕事によって、エクセルのいい勉強をしたという効果がありました」と書き換えることができる、というのが私の解釈です。 もし「同じことだ」と思われるのでしたら、「クラブ活動をすることによって仲間ができた」を裏返すと「クラブ活動をしなければ同じメンバーの仲間ができなかった」という意味であり、クラブ活動の媒介について述べていると理解することもできるのだ、と言わせていただきます。 また「クラブ活動を媒介にして仲間ができた」は「仲間ができたのはクラブ活動をしたからである」という意味であって仲間ができた方法について述べている、と理解することもできます。 少し無理な理屈をこねて、どんどん泥沼に入り込んでいると思われますでしょうか。ここで#9さんのご回答も考慮に入れてみてはいかがでしょうか。
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お礼
納得できるご説明、ありがとうございました。