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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:同世代が亡くなる寂しさ)

同世代の死の現実に向き合う 私の心境とは

このQ&Aのポイント
  • 同世代の方々が亡くなる寂しさについて考えると、自分の死を真剣に考えざるを得なくなり、心が落ち込みます。
  • 喪中ハガキの季節になり、学校や会社での同期生本人や配偶者の死を知ることがありました。
  • 私には孫がいて、彼らの成長を見守るためにも長生きしたいと思っていますが、同世代の知人の死を目にすると、自分の死が近いのではないかと不安になります。

みんなの回答

  • akiye2
  • ベストアンサー率27% (160/573)
回答No.4

60歳の者です。 何の為の還暦ですか。還暦になれば己の死を覚悟し、いつ死んでも良いように準備するのが当然。 56歳の従弟が一昨年、67歳の従兄が昨年死亡して、今年は私の番かと思ってます。 それが70歳になってうろたえるとは、どのような生き方をして来たのでしょうか。 私が9歳の時に生後半年で死んでいった末妹を思い、生と死を見つめながら私は生きて来た。 昭和19年のレイテ島戦で海底に沈んでいる志願兵の伯父を思い生きて来た。 父も志願兵として呉軍港で広島原爆を見てる。死んでいても不思議は無かった。 誰しも生と死の狭間で生きているのですよ。

jisann
質問者

お礼

ご立派な回答ですな 

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.3

少し後輩の67歳です。 70歳で「他人事と思っていた自分の死を真剣に考えざるを得なくなり」ということは、先輩はこれまでかなり幸せな道を歩んでこられたのだと思います。 私の場合は、51歳のときに会社の同僚が、57歳で学生時代の親友が、60歳過ぎてからは友人が続々とです。 親や叔父、叔母の死も経験してくると自分を含め諸行無常を実感しております。

jisann
質問者

お礼

やはり 同じように人生の無常を感じられますか

回答No.2

幾ら同級生でも唯の他人・・・ その他人の死を労うよりも まずは自分を見直しましょう・・ この前 バス亭で 煙草をバスに乗る直前まで吸っていて投げ捨てバスに乗った老人を見かけました 今の時代になっても こんな事をしている先輩達が居るのは感心出来ない・・ お迎え等 必ず来るものだから 考える必要はありません それより この世に 何か良い事を残して逝くのが 先輩としての術だと 俺は感じています・・

jisann
質問者

お礼

エラそうな回答どうもな

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.1

>同世代が亡くなる寂しさ 喪中ハガキの季節となりました それを見ると まだ70代に入ったばかりですが 他人事と思っていた自分の死を真剣に考えざるを得なくなり 心が落ち込んでいます。 ご老人の方 こういう状況になった場合何を考えますか?    ↓ 65歳 男性 少しばかり人生の後輩に当たる年代ですが、仰るような心境にふと思いをかける事が年々増えて来たように思います。 特に、体調を崩した時(病院の待合での混雑の中の一員として居るリアル感)や知人の見舞いや葬儀・法事に際し、死や老いを思い考えさせられる機会が・・・<順不同> ◇あの世に、より多くの由縁の友人・知人や親や親類の方が居られるので、未知の世界とはいえ話し相手には困らず寂しくないように思う。 ◇新聞やテレビの訃報で年齢が気になる、同世代の人のニュースには死や老いが現実味を帯び、迫って来ているような気がする。 ◇遺言・終活・介護etcの単語が、巷にあふれ目にしても無関心&無縁だった様な10数年前に比べ、最近はよく目にするように思えるのは、それだけ身近に関心が深まった証左のように思います。 そんな時に、良く思い浮かぶのは先人の思い出と後事を託し残す事になる家族への思いです。 また、その思い≒未練と関心が、現状、私の今・全力で生き抜く希望や勇気、気概の源泉のように思います。 そして、私の脳裏に浮かび心に響くは「白骨の御文章」です。 http://www.taiya-kakaku.com/kuyou/HTM/programhakkotsu.html

jisann
質問者

お礼

やはり 死期が近づくことを実感するのは寂しいことですな。お迎えが来るまで精一杯生きたいとは思いますが 早逝の人を羨ましくも思うこのごろです。

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