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息子の大学院進学
息子の大学院への進学 現在、大学二回生の息子の大学院進学についてです。 息子は理系の化学専攻の大学通っているのですが、 今の大学に自分のやりたいことをしている研究室がなく、 大学卒業後に他大学の大学院に進学したいと考えているそうです。 現在は関関同立の大学に通っているのですが、いきたい大学院は 大阪大学大学院だそうです。 このような行為は「学歴ロンダリング」と呼ばれ、あまり良く思われていない といわれているそうなのですが、 ただでさえ、大学院に行くことで就職の幅が狭まってしまうと思うのですが 学歴ロンダリングすることでさらに、就職が難しくなるのではと不安です。 実際に他大学に進学された方がおりましたらぜひ 就職のことや、苦労したこと良かったことなどお話を聞かせてください。 ちなみに修士課程に進み、卒業後は一般の企業の研究開発職に就きたい といっています。 よろしくおねがいします
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- gn_drive
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関関同立は所詮関西の私立大学。阪大は旧帝国大学なので就職は全国区で有利です。雑音は気にしないで阪大に進学した方が良いです。
学歴ロンダリング?あまり聞いたことがないですね。 関関同立から阪大院へいくケースはあると思います。 思いますが、大学院におけるペーパーテストは、自分の大学の学部生には甘いのですが、他大学の学生には厳しいところがあります。 どんなに、研究目的があっても、教授(研究室)の目に止まらなければ、院の試験には通りにくいものなんです。 それは、学部時代の教授のゼミのつてで学生が集まるために、仕方のないことなんです。 ハードルはかなり高いとみていいと思います。 昔は、院を出ても就職できることは少なかった時代があります。 企業が嫌がったのです。専門はいらない。企業に入って教育しなおすからといったことがありました。 今は、専門分野さえ、企業側と合致できれば、マスターコースを出ていれば研究させてもらえることはあります。しかし、研究対象は企業の利益になるもの「だけ」です。 最初は、誰でも企業の歴史やコンプライアンスの研修から始まり、雑用からのスタートだというのは、どこの企業でも官庁でも同じことです。 大学・研究機関の研究職に就くには、博士後期課程へ進んで出ないと、今の時代、無理と申し上げておきます。 大学院が全国に増えた結果、博士号を持つ人が増えてしまったので、博士号所持者を受け入れる場所がそもそもないのです。 ですから、ドクターコースを通っても、親のすねかじりは当分続くものとあらかじめ覚悟された方がよろしいかと思います。 要は、重要なのは、好きなことを好きなだけやるのは、それは理想としてよいことです。 しかしながら、学費の問題や、学費外の資料等、学会費、交通費は自費のことが多いです。 ご家庭で、それに耐えられる財力があるのかということでもあります。 さらに、修士になっても、きちんとした研究実績があがらなければ、また、プレゼンテーションの能力が上がらないとなれば、就職希望先も人物を見てそっぽをむいてしまうことになりかねません。 迷ってらっしゃるのであれば、おやめになったほうがよろしいと思いますし、強い信念があるのであれば、おすすめできるかなと。 研究実績は、努力だけでは済まないところがありまして、ある意味「勘」であるとか、「感覚」であるとか、生育環境によるところもあって、論理だけつきつめれば、実績が出るというシロモノではないのです。 逆に、それだから、醍醐味もありますし、やれるひとはやれるし、できるやつはやっぱりできるということなんです。親御さんとして一発勝負に出られるのか?といったことだと思います。 学生の数年間よりも、その後の人生を終えるまでの方がはるかに長いので、学習することはたくさんあるということでもありますが。 仕事を大事にする人がいれば、家庭が趣味だという人もいますので、そこは、2回生とのことなので、あと、1年程度じっくりお考えになってもいいのかなと。 今は、結論をつけないといった選択も、とりあえずありますので。 学生の1年間は、たくさん吸収するので、興味が変わってきますから。
- doc_somday
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>このような行為は「学歴ロンダリング」と呼ばれ、あまり良く思われていない といわれているそうなのですが、 あなたは御存知無い様だが、その言葉は「アホ」が悔し紛れに作った言葉だ。 既にもう使われなくなった。「死語」になったのだ。 関関同立から阪大の院へ行くのは超難関だが、「研究者」になるなら避けて通れない。 今の大学の院へ行ったら一生暗黒だ、就活でも相手にされない。 それに四年で出たら、「文系就職」で専門など全く考慮して貰えない、 阪大の修士(博士課程前期)でようやく「研究者・技術者」コースに乗れる。 学位(ここでは博士の事だが、正確には修士も、学士も学位ではある)を得ても企業へ行くなら まあ安心、だが「研究者」になるのは非常に大変だ、余っているのだ。 だから外国の教授を頼ってそこの研究室に行ってしまう天才共も居るが、長くは居られない。 既に半世紀前欧州では余っていた、不安定な身分のまま五十過ぎまで家族と職探ししていた 人がゴロゴロ居た、充分優秀で無いからだ、学者の世界は狭い、専門はもっともっと狭い 全世界で「流行中」で無ければ、研究分野は「村」状態だ。 就職するなら、突破するしかない、阪大の院卒なら誰も大学のことは気にしない、逆だ、良く 難関を突破したと尊敬される。だから落ちても、研究生になって研究室に貼り付き、過去問を 勉強しながら次の院試を待つ、そんな奴幾らでもいる。私は東大だが後輩に院試に失敗して 筑波大の研究生をして戻って来、学会で進歩賞を取り、九大の後京大の教授を為て居る奴が 居る。偉いと思う。