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昭和30年代の地方都市の商店街について
地方の小さな市町村も昭和30年代や40年代は、商店街があってにぎわっていたと思います。 しかし、今ではどこに行ってもシャッター街になってしまって人どおりがありません。 商店街には、いろんな商店(洋服、文具、本屋、酒、タバコ、食品、駄菓子屋、おもちゃ、など) があったと思いますが、どのようにして商店街ができあがっていったのか、その成り立ちの歴史が 知りたいです。 城下町などは、もともとそこで古くからなんらかの商売をしている人たちがいて、2代目3代目と引き継いで昭和に入り時代にあった商品に移行していったんでしょうか。 それとも、行政が商店街を作ること主導して、商人を募集して商店街ができたのでしょうか。 商店街だと、たくさんの店があるけど、重複しないようにバラバラの商品を扱うように調整されてるように思います。 だれでも、商売を始める時はいろいろ考えると思いますが、自分ひとりで考えてもいい案が浮かばないのが普通なのに、全国に同じような商店街が出来上がっているのは、誰かにすすめられたのが商売をはじめるきっかけとなっているのでしょうか?(銀行やメーカーが指導したなど) ひとりひとりが、「この商売をするぞ」と思いついて、たまたまたくさんの仲間がそこにいて商店街になったのでしょうか?(それならすごいことだと思う) 商店街の成り立ちとともに、1軒1軒の店主の決断の過程も知りたいです。 なぜ、その商売をはじめたのか?なぜその商売を選んだのか?きっかけはなんだったのか? その頃の商店街の成り立つ過程がわかれば、同じことをして田舎の商店街が復刻できないものかと 思ったことと、今の時代、商店をやりたくても、どこに相談したらいいかわからないし、誰かがすすめてくるきっかけなどみつからないので、なにか参考にならないかと思って質問しました。 詳しい方がいればおしえてください。 また、実家が商店だったという人は、親が商売をはじめたきっかけなど知っていたら教えてください。
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- 1paku
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商売に適した道路と、その地域の人誰もが知ってる目印(駅や老舗の店)が有ってでしょう。 ドラマのおしんなどを参考にすれば、繁盛している店の近くで開店すれば成功するというので、そういう土地を探している会話があります。 そこで商売を始めると成功するという理由で、自然発生的に商店街になっていったのでしょう。 反対に、一店、一店が散在している地域は、商店街に客を取られ、自然に寂れていった感じ。 住宅密集地の近くに小型スーパーが単独で開店し、数年で閉店というパターンもけっこうありました。 衰退の原因は、 自動車の普及で、人の流れが変わった。駐車スペースがない。 廃業した人がその場所を明け渡さない。自分の土地で商売の形から、貸し店舗という形が増えた結果、家賃負担などが理由で、ほぼ同時期に店がなくなり、一気にシャッター街になるパターン。 また商店街の中に深夜営業の風俗店が出来て、ぐちゃぐちゃになったところも。 新たな商店街の形として、大手が広い土地を開発して商店街ぽいものを創ってますが、みんなテナントですから、店はかなりの頻度で入れ替わってます。この形だと、昔の商店街にあった利益はとんとんだけど交流の場になってたような店は対象から外れます。 昔の商店街の復刻は、全く新しいアプローチが必要でしょうね。
- trytobe
- ベストアンサー率36% (3457/9591)
基本は、江戸時代の五街道をはじめとする、各地を結ぶ街道(塩街道や鯖街道のように、通称で今も五街道以外にも街道の名が残っているものがたくさんありますが)の中継地点や宿場町には、一通りのものを扱う店が揃っていた、というのが大前提です。 そこに、武士が平民になって仕方なく始めた眼鏡屋や薬屋など舶来のものが入ってきて、中核都市と農村部のすみわけがハッキリします。今の中国の都市戸籍・農村戸籍みたいに商人と農民は代々継いでいるような状態で、農民で田畑が分けてもらえない・食っていけない子どもは都市の商店に丁稚として、または工員として住み込みで働かされると。 そんな状態で戦争に入って、一応まともに商店が集まるところを作ったほうが客も寄りやすいということで、バラックで作った闇市も含めて旧来の市街に加えて、えらく密集して不自然な区割りになっている商店街ができます。 その後の電化製品での日本の急成長のところで、電化製品は取扱店を街の電気屋さんとしてロゴの看板やマスコットの人形を置いて、電化製品を売りつつ、その修理や点検にまわる、というアフターサービスもするような地元密着が続きました。 問題は、バブルでの地価の上昇と、その頃には農業をやってくれなくなった人間が都市部にたくさん住むようになって、細かい土地はまとめてマンションみたいなものが建てられるように立ち退いてもらおうという「地上げ屋」が脅しまわり始めたころからでしょう。このころから、巨大ビルを商業施設として、スーパーや百貨店など何でも揃えている「大規模小売店舗」ができて、古くからの特定分野の商品を扱う商店街の脅威となり「大規模小売店舗立地法」というものができたほどです。 その後は、東京のように莫大な人数の「農家の子ども」が郊外に作られたニュータウンに住むようになり、各家庭が車を所有できるようになり、その近くに取り扱いメーカーの縛りのない、家電量販店のような郊外型ショッピングモールが作れるようになって、完全なるコスト競争が、古くからの商店街を襲いました。 という私の親戚は、良質の針葉樹林を山ごと買い付けて、その木を伐採しては川でいかだにして海の木場まで持っていって一財産をなすという仕事をしていて、戦後に木材の家が減ったところで引退したような人間です。19世紀生まれからの伝聞も含めたのが上記の内容です。 大規模小売店舗立地法 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A6%8F%E6%A8%A1%E5%B0%8F%E5%A3%B2%E5%BA%97%E8%88%97%E7%AB%8B%E5%9C%B0%E6%B3%95 大規模小売店舗立地法および葛飾区特定商業施設関係|葛飾区 http://www.city.katsushika.lg.jp/41/001303.html
- totokyo
- ベストアンサー率18% (2/11)
お礼
なるほど、詳しい説明ありがとうございます。